ep.03 さやかじゃなくて? 1/2

 肝心なことを忘れていた。

 7月8日の次に向かうのは、7月ではないが、それは6月に戻るわけではなく。

 

 二学期の始業式。つまり9月だ。


 俺はまだはっきりとしない意識の中で、教室を眺めていた。


 そうしなければいけない気がして、幼馴染の結城さやかのことを探す。

 しかし、そこに彼女の姿はなく

 ただ、結城さやかの机の上には、添えられた花があるだけだ。


 リサマというのは、そういうストーリーのノベルゲーム。

 タイムリープした未来で見た、幼馴染の死という運命を変えるための物語。


――どうして、あの子を守ってやらなかったの……! 恨んでやる、絶対あなたのこと許さないッ。許さないんだから。


 呆然と立ち尽くす主人公の胸を叩き、大粒の涙を零す。ヒロインの親友。

 これは、リサマのはじまりのシーン。そういうストーリーだったはずだ。


――そういう、既定路線だった筈だよな


『なあ、******。俺、******のこと守ってやれなかった』


       ***



『目が覚めたとき、俺は泣いていた。それはそのとき見た夢のせいか、それとも――』

 

 オープニングムービーが流れたあと、最初のスクリプトはこういった文章だったと思う。


 自室。といっても真田一樹としての部屋のベッドの上で、俺は目を覚ました。

 枕元のスマホを見れば、確かに6月8日だ。


 おそらく、見た夢はリサマの既定路線通りの『結城さやかの死』を意味したものだろう。

 ゲームにおいて主人公は、それを単なる夢だと思い込み始まる。

 だが、俺はその意味をわかったうえでプレイできる。これはルート攻略における、大きなアドバンテージだ。


 制服の袖に腕を通す。

 スーツではなく、制服というのが若さを感じさせる。そう思うとともに、違う世界にいるという実感が湧いてくる。


 初日は大きなイベントはないが、各ヒロインの初登場シーンとして描かれる。

 しかし、そんなゲームのシナリオに乗ったまま進めて、佐藤沙織へのルートを勝ち取れるのだろうか。

 考えを巡らせながら、俺は時計を見て、そろそろ登校しなければいけないと思い家を出た。


 

 すっかり葉桜になった並木道を歩く。その足取りは軽かった。それはそうだ、部長に怒られることもない。

 会社員なんて、やらなくていいのだから。


「それにしても……会社に行かなくていいってだけで、気が軽くなるってもんだな」


「バカズキ、いつからそんなおっさんっぽいこと言うようになったわけ。あまり一人で年取らないでくれるかしら。こっちまで老けてく気がするわ」


「おお、婆さんや、待ってくれんかね」


「やめろっつってんのよ」


 人生二度目の高校生活、しかしその内容は大きく違うものだ。

 リサマのルーチンに倣ったもので、正ヒロイン、幼馴染の結城さやかと家を出てすぐ合流した。

 彼女とは家が隣同士なのだから、それも当然ともいえる。


 結城さやかとの登校時のやりとりは、リサマの定番だ。


「なぁ、今日って6月8日だよな」

 

 ストーリーを進めるため、一つのトリガーワードを俺は口にした。

 日時に触れることが、このリサマにおいて重要なことだった。


「んん……? まだボケ老人続けるつもり? ねえ、沙織ぃ。このバカどうにかしてよ」

 

「ちょっと、アタシに振らないでってば。真田くんはさやかの幼馴染でしょ。……それに、なんだろう。今の冗談で言ったわけじゃない気がするんだけどね。アタシ」


「……ん? 沙織、どういうこと?」


「あー、ううん。なんでもないんだ」


 佐藤沙織は非常に察しの良いキャラクターだ。

 主人公の異変にいち早く気づき、そして『結城さやかの死』の夢のことを主人公が打ち明ける最初の存在。

 その後タイムリープという秘密を主人公と共有する。セーブポイントのような存在。

各ヒロインルートにかかわらず、満遍なく主人公と絡みそして重要なシーンではそっと姿を消す。

 そういう存在。いわば便利キャラともいえる。


そんな沙織の耳元に近づき、真田一樹として必要なことを告げる。


「佐藤、ちょっと今日昼空いてるかな、ちょっと話したいことがあって」


 近づいた瞬間、ふわりと薫る甘い匂い。

 それは画面越しには得られない五感の一つで、思わず動揺してしまう。


 結城さやかと並んで歩いているだけで、正直なところ気持ちが浮つきそうで、ドキドキしていたのだが。

 匂いという感覚での魅力は、また視覚的な可愛さとは違う刺激だった。


『ちょっと話したいことがある』、そんな感じで呼び出すことも、ゲームではフラグになることが多い。イベントの発生や、好感度の変動が生じるためだ。


 しかし、佐藤沙織は攻略対象外のモブキャラクター。

 他のヒロイン相手だったら間違えなくフラグになるこの言葉にも、特に特別な意味を持たずに返事を出す。

 だからこそ、話が円滑に進む。はずだった。


 佐藤沙織が、俺へと顔を向ける。

 彼女の青い髪がふわりと跳ねて、振り向いた途端に、唇が寸前、俺の口元を掠める。

 一瞬、このままキスするかと……思ってしまった。


 この女友達キャラは、リサマ内ではあっさりとした口ぶりで話すボーイッシュな少女。

 淡々としつつ、溌剌と明るい声をだす。そんな声優の演技が売りのキャラクターのはずだったのだが……。


 あまりに、かみかみの声で。その頬を赤らめながら俺に喋りかけてきた。


「あ、え、えっ? アタシ…? アタシ……!? アタシぃ……!? え、えと、さやかじゃなくて……?」


 明らかに動揺した佐藤沙織の姿があった、

 だが、ここで同じように動揺してはストーリー通りにいかないし、そうなればルート攻略に支障が生じる。


 そう思い俺は、冷静にスクリプト通りの言葉を伝える。


「ああ、すまん佐藤に……用があるんだ。ちょっとさやかには内緒の話でな」


 スクリプトに沿った場合、どうなるか。

 どうだ……? 少し不安ながらそれを受けた佐藤沙織の反応を待つ。

 

「ん、わかった。なるほど、なるほど……そういうことなら、話を聞こうじゃないか」


 何を勘違いしたのか、次の瞬間には冷静な声色でそう沙織は返す。

 それは結城さやかとの恋を応援する、女友達としての正常な反応だった。

 

「ちょっと、二人とも遅刻するわよ。早くはやく!」


 遠くで待ちくたびれたように呑気な声をあげる正ヒロイン、結城さやかは、やはり可愛かった。

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