ep.02 まるで恋をしているような


「なにボケてるんだ? 佐藤」


「今日は6月8日に決まってるだろう。もしかして中間テストの答案が返ってきたせいで頭のネジでも外れたか――ッ痛ってー!」


 佐藤沙織に対して、リサマの主人公らしく軽口を叩いたタイミングで、後頭部に衝撃が走る。

 誰かに頭を叩かれたのだと気づいた。

 唐突の攻撃に思わずムッとなり振り返る。


 振り返った先に、とてつもない美少女がいた。


「ボケてるのはあんたのほうでしょ。なにが6月よ。今日は7月よ。7月10日。――はぁ。ホント、バカズキね」


 リサマの正ヒロイン、結城さやかが立っていた。その手には丸めた大学ノート。 

 

 それまでモニター越しに見ていた世界がここにはあった。

 机に椅子。それまでの授業内容が残る黒板。当たり前なのだが、周りにいるのは若い生徒たち。

 そして正ヒロインにして、幼馴染の結城さやか。

 その親友の佐藤沙織。


 懐かしいような雰囲気だが、そこまで懐かしくも感じないのは、

 ゲーム配信で慣れ親しんでいるからか。それとも――。


 それにしても、わざと間違えたというのにバカズキとはひどい言われようだ。

『バカ一樹』。縮めてバカズキ。

 結城さやかはよく主人公の真田一樹をそう呼ぶことがある。

 そんなところも、ゲーム通りだ。


 間違いなくここまでのやり取りは、リサマの冒頭のやりとりだ。


 俺はなんの因果かそれまでプレイしていたゲームの世界に転生したということだ。

 主人公、真田一樹として。


 理由はわからない。

もしかするとこれは走馬灯で、俺は死に際にまでギャルゲーの夢を見ているのかもしれないし。

 琥珀がついにとてつもない科学技術でVR世界を作り出したのかもしれない。


 もし前者なら、これは俺の最後のノベルゲームだ。

 そして、後者ならこれは俺のノベルゲーム配信者としての最大の挑戦になる。


「なあ、さやか。なんで高校生が使うノートのことを大学ノートって呼ぶんだろうな」


「知らないわよ、そんなこと」


 あえてゲーム内のスクリプト通りに発言してみるも、結城さやかの台詞はゲーム通りのようだ。


「まぁまぁ、お二人さん。痴話喧嘩もそこそこにしておかないとつぎの授業始まるよ」 


 間を縫って佐藤沙織が声をかける。

 実際に見る沙織は、画面越しに見るよりも花があると思うのは気のせいだろうか。

 

――そこまでモブという感じはしないな。


 確かに設定に忠実で、結城さやかと比べると、胸も少し小さいけど。


「なにじろじろ見てんのよ」


「……へ?」


 この言葉に俺は驚きを隠せなかった。思わず変な声を返してしまった。ゲーム内にはない台詞を口にするとは思わなかった。

 つまり、これからはゲーム外の言葉も聞けるのか……。


 それは、いち、ゲーマーとしては歓迎すべきことで……

 思わず興奮を抑えきれなくなるところだったが、その途端チャイムが鳴る。


 胸元を手で隠しながら結城さやかは、その頬を赤く染めたままに自席へと戻っていった。


 その姿もまた可愛く思えたが、この状況に対して冷静になって思考を巡らす。


 リサマというノベルゲーム世界であることは間違いないとして、それでも俺の知る限りのスクリプト外のことは容易に起こるのだろう。

 つまり自由度の高いオープンワールドの中にいるようなものだ。

 

 そしてゲームの展開なら、このあと主人公はもう一度授業開始とともに睡魔に襲われる。そこで、6月8日、ゲームの中での1日目が始まる。


 結城さやかが言ったように、このいまの時間軸は7月10日で、これは七夕の告白イベントを終えたあと、ヒロイン分岐後ということになる。


 このあと6月に戻り、6月内でタイムループを繰り返すもこの7月10日以降にいくことはないはずだ。

 次に7月10日に戻るときルート分岐に成功していれば、対象のヒロインと付き合った状態での個別シナリオがメインの後半パートに入る。

 

 最後は各キャラごとのエンディングを迎えるというのが筋書きだ。

 もし6月内でどのキャラクターとも恋愛に進展しなければ、七夕の日にひとり、夏空を眺めて終わることになる。そんなゲームオーバーはごめんだ。


 正直なところ佐藤沙織とのルートがあるかも、あったとしてもどういう分岐を辿るのかも未知数なままだった。

 ましてオープンワールドと化したこの状況では、無限にある分岐から正解を導く必要がある。

 これはそういうゲームなんだな――と。改めて認識する。

 

 二限目の数学の授業は三角関数だったが、その授業内容は眠気を誘う。


「まったく頭に入ってこない……数学ってこんなんだったか」


 一応理系を専門として、プログラミングを職としているというのに、高校の数学がひどく難解なものに感じた。

 早々にあきらめ、机にうつ伏せながら横目に授業を受けている、結城さやかのことを眺めることにした。


 大きな胸と長い髪。

 まさに正ヒロイン枠に合致するその風貌は、確かに魅力的だ。


 だけどさ――。

 俺の視線はそのさらに奥を捉える。

 真剣な眼差しで黒板を見る、佐藤沙織の横顔。


 強気で明るい性格とプログラムされたモブキャラクター。

 本来のゲームでは見ることができない、立ち絵メインのノベルゲームではありえない構図でのショットだった。


 そんなとき、佐藤沙織が俺のほうへと顔を向けた。

 見ていたことを気づかれるのが、少しバツが悪い気がして、すぐに目を逸らした。

 

 いや、逸らそうとしたが実際には目があってしまった。その瞬間、彼女は俺にだけわかる微笑みを見せたように思えた。

 屈託のない彼女らしいものではなく、たどたどしい感じの笑み。まるで恋をしているような表情。

 それは七夕の日以降に各ルート対象のヒロインが見せる、を示すときのそれだった。

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