夜明けに実る、アルストロメリア(四輪)

 砲弾はもう降ってこなかった。倉庫の標本は壁も塞いだお陰で、一様は冷気からも守られたと言える。

 それからという物、俺は何故か手錠もなしに植物管理に付き合わされていた。相変わらず研究所の人々はつまらない作業を、腹にまともな物も詰め込めずに延々と続けている。一緒にいると気を落してしまいそうなのは俺だけかと叫びたくなる日々だ。それでも

(まぁ監視されない分には息苦しくなくて良いな)

「まさか、あれが偽物だったとはな。危ないとは思わなかったのか?」

「万が一爆発して植物が怪我でもしたら、その方が問題だよ」

 眼鏡野郎、ドミトリーは手を休まずに返答だけをぽっと投げた。

「ん、まぁ俺には分からないがな」

 不思議かな。納得のいく説明だったと思う。腹が減って判断力が鈍っているのか、怒る気力も残されていないのか、無心に頷けた。

「それにもう辞めないかその話。もう二週間はぐずぐず言っているじゃないか。以外と根に持つ性格なんだな」

「爆弾背負わされて根に持たないのは、それはそれで異常極まる性格だと思うがな」

 いつものような長話に付き合わされ、またそれに適当な返しをしていく。そうしながらも指示通りに作物の入った袋を運んで奴に渡したり、単純作業だがやる事が出来た分に退屈凌ぎになった。

「思い詰めるのはかなり疲れる力仕事だ。研究が頓挫したり、所長に怒られたり、全然仮説と違う結果が出たのに理由の見当がつかなかったりする時とか、思い詰めるとキリがない」

「どうも経験談に聞こえるのは気のせいか? というかそういうテメェは毎日毎日喋っているのに疲れないのか?」

「疲れるよ。疲れないはずない」

「だったら何でそんな口数が多いんだ? 早死にしたくなければ程々にしろ」

 そんな事を口走ると驚いた風に目を大きく見開いた。

「何だ?」

「君に心配されるとは以外だな」

「そうそう心配しているから、少しはお喋りを減らしてくれ」

 適当に流して黙らすつもりだったが、眼鏡は話題を育てて話を続ける。

「実際何故話を止めないのかと聞くなら、理由なんて決まっている」

(俺の話を全然聞いてないだろテメェ)

「喋るのは子供の頃から好きだったんだ。だが多く喋るには多くを知って居なければいけない。沢山の勉強を積み重ねなければならない。つまりはやりたい事だから。その一文で説明は完結される」

「やりたい事?」

 全然一文ではなかったが、久しぶりに聞く理由だった。少なくともチンピラや強盗やっている時「これがやりたい事だった」何て言う狂った奴は見た事がなかったからではあろう。

「そう、やりたい事。人はやりたい事にこそ生きる実感を得られるのさ。いや、僕は哲学には造詣が深くないから経験談のような物に過ぎないけどね?」

 高尚な言い方をする物だ。思わず鼻で笑ってしまう。

「だからここを守っている人々は全員が全員我慢強いってのか。こんな場所に閉じ込められているのがお前等のやりたい事だったなのか?」

「はは! 成程、確かにこの状況に陥りたかったかと問われたらそうじゃないな! 何だ君、結構ユーモアセンスがあるじゃないか。またもや見直したぞ」

「いや、そういう意味じゃなかったがな」

 皮肉をしたのに大笑いで返されると、何て虚しいのだろうか。

「だがね。環境というのはどうにもならない。変える事はできるけど、どうせ変えられる力を持った頃には元いた問題も解決できちゃうからね。もし戦争を止められたらどれだけ良いか。誰もがたらふく食べ物を食べられれば、暖かい場所にいられたらどれだけ楽か」

「だったらどうすれば良いんだ」

 結局限りを尽くしても、あの大男は死んだ。最後の最後まで自分が守った物の最後すら見届けず、流れ弾の破片に殺された。あんな最後ができる限りを尽くした果てだとするならば、そこに意味はあるのか。

 視線を降ろすとあの男の姿が浮かんできた。手にはまだ血の温かみが残っている。それは生涯始めての経験であり、起爆剤のように今まで侵しては目を逸らしてきた感覚を想起させた。

「知ってるなら教えてくれよ。どうすれば良かったかを」

 数十秒経ってもお喋りな眼鏡、ドミトリ―はは何も語らない。不思議で視線を上げると奴はただニコリと微笑んだまま俺の肩を叩く。

「明日答えても良いかな。ちょっと喋り過ぎて疲れたよ」

「散々言ってきたじゃないか。アホくさ」

「悪いね。だから自習時間としよう。僕が教えるまでに自分で考える事。どうだい? 退屈凌ぎには丁度良いだろ?」

「それなら出来そうだ」

 冷静になってようやく自分が妙に熱くなっていたと気付けた。そのまま風を浴びに倉庫を出る。

 またおかくず混じりのパンを口に、酒を飲んで微かな温かみを感じて、一晩中自分自身について考えた。やってきた事とか、今出来る事とか、これからの事とか。

 しかし幾ら考えても「どうしたら良いのか」という問いの答は出ない。こんな状況に立ち向かう術を何も思い浮かべられないのだ。

「ただのチンピラが今更何が出来るっていうんだ」


 結局答を導き出せぬままに夜は過ぎて行った。ようやくという感じに返答を得る為ドミトリーの部屋を訪れる。

「おい眼鏡、約束だぞ。後わざわざパン持ってきてやったんだ感謝しやがれ」

 冷気の入らないように窓を塞いだせいで、朝の日は一切差して来ない部屋だった。外から聞こえる砲撃の音もないせいで、息の音すらない静寂だけが霧のように寒い空気と共に足元を満たす。無情な事にも、その静かさと寒さは慣れたそれだった。それでも出来るだけ不遜に、無礼に、無心に悪態をつく。

「クソ眼鏡野郎が。答を渋っておいて逃げたのかよ」

 部屋を埋め尽くしているのは棚。棚を埋め尽くしているのは稲の袋達。その前には膝から崩れ落ちた男が一人、深々と首を落していた。地面から罅の入った眼鏡を拾うと、既に聞こえもしない奴に向かって言葉数が増える。

「やりたい事がない人間はどうすれば良い。ここにも、外には多いだろ。そういうのが見つからない人々が。明日食べる物もなくて、夜は寒くて、死んでしまいそうで、何も考えられないような、そんな人が沢山……」

 自分で口にしていた言葉の最後を飲み込んだ。一体外とここが何が違うというのかと自分に問うてしまった。

 毎日腹が減って、死にそうなくらい寒くて、しかも手の届く場所にそれを解決できる物がある環境。毎日聞こえる砲撃の音まで、酷い事はあってもマシな点は一つもない。

「いや、何でもない。自習、だからな」

 掌で瞼を降ろして楽な姿勢に寝かした。そこでようやく奴が満足げに微笑んでいると気付く。一体内蔵の千切れるような空腹感の中で、どんな思いをすれば微笑んでられるのか気が知れない。

「気は知れないが、確かにやりたい事が出来たぞドミトリー。あんたが言っていた黄金色の畑、凄く見たくなっちまった」

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