鉛の鉄則とスノードロップ(三輪目)
ーー潮時ーー
時は時でも最後に稼がねば、という思いから俺達は地中海を回りながら商売を続けた。
基本的に政府から武器輸出が認められた団体から依頼がサイトに載せられれば、個人事業主である俺達のようなフリーランスが仕事を受ける仕組みができている。それからは武器を調達して戦争地域に行って、領収書を貰うのが基本だ。
仕事終わりはいつも酒を飲んで戦場で見た光景を記憶の彼方に押しやり、また次の仕事に取り掛かる。そんなある日の事だった。
「できちゃったよ。確実に」
アフガニスタンの米軍基地回り、アフガニスタンから撤収する彼等から置いて行く武器を貰おうとしていた。近くの宿で酒を10瓶くらいは飲み干した次の朝、テーブルの前で頭を抱えたアリサがそんな事を言い出す。
「何がだ?」
「ちょっとだけだけど、不安だったんだ。時差とか移動でさ。本来なら昨日は絶対大丈夫のはずなんだ」
「だから要点を言え。何がどうなったんだ」
頭を抱えている肩に触れると肘を置いていた腕が力なく落ちた。手を退かしたテーブルの上には妊娠のテスト機画面に線を引かせている。
「できたのか?」
「みたい」
四六時中一緒にいるのだ。一緒に行動して8年は軽く経つ。こんな事が起きるかもと思っていたが、心の準備は全くしていなかった。酒飲んで仕事して酒飲めば、それだけで全て変わらぬと思い込んでいたのだと今更気付いてしまう。
「いや、別にブルーになる事でもないが、仕事には障るか」
「まぁそうだろうね」
産婦人科のお医者さんでもない。関連知識は何もないが、直感的に俺はそんな事を口にした。船での長距離移動、時差、銃声の鳴る紛争地域、たまに起こる胃の痛くなる脅し、様々なトラブル、買収の利かない国際警察、妊娠関係なく居心地良い環境とはいかない。
さっさと商売を始めなければ買い取る前に基地ごとテロリストどもに奪われる。文化遺産を爆破させるような連中だ。見境があるとは思えない。
「や、やめちゃおうかな? 今回の注文とか、仕入れとか」
ぼそっとアリサがそんな事を呟いた。
「やめるって、米軍が撤収するなんて十年以上経っての決定だぞ? もうこんな機会は二度と来ない」
「い、言ってみただけだって! ただの冗談さ冗談!」
涼し気な表情を浮かばせながら、彼女は声を大にして笑って見せた。その笑みは余りにも作為的で、嘘くそく、なにより納得がいかない。
少なくとも俺が知る彼女は、アリサという女は如何なる状況であっても稼ぎ時を見誤る人間ではなかったのだから。
それでも俺は信じていた。きっと大丈夫だろうと。何も変わるはずないのだと。今の生活が崩れる事はないだろうと。
しかし、彼女は決定的に変わっていった。理解できないくらいの速度と方向で、変化して行ったのだ。
あれから8ヵ月、彼女は見違える程だった。仕事を手放しては建設関係に手を付け、果てには寧ろ武器を運ぶのに使っていた船などもそこに当てている。
「どういう事だアリサ!」
「別に?」
「別にって何だ」
任せていた注文がまともに処理されてもいない。今日までに品を仕入れて運計画が台無しだ。久しぶりの大きな仕事だったのに、上手く行けば15万ドルは軽かったというのに、全て棒に振りやがった。
「受けてた注文は取り消しておいたから良いじゃん」
「良い訳ないだろ! 船の維持費もただじゃない! ちんけな木材とか資材売って稼ぎにもならねぇのは知ってるだろ。そんなもん繰り返して何になるってんだ!」
「さあね。何にでもなるんじゃない?」
「テメェーは!」
俺達はとんでもない運送システムを持つ訳でも、既にある会社から客を奪える程の売りがある訳でもない。普通の事業で競争すれば寧ろ押されるなんて当たり前じゃないか。
「落ち着くまでは俺が全部引き継いでも良いって言ったよな? 何でこんな邪魔ばかりするんだ。今まで俺達が築いてきたのを全部ぶち壊す気か?」
受けた仕事を何度も理由なしに破棄するなんて、どんな事業に携わろうと許されないだろう。そんなの常識だ。
しかしアリサは逆に平然とした無表情に苛立ちを浮かばせる。
「うるせぇーんだよエリック。あんたが今まで手伝ってくれた事は嬉しく思うし楽しかった。でも、頭に乗るんじゃねぇ」
「......」
「別にやりたくなくなったから辞めるだけ。それを止める権利はあんたにない」
少し憤りを感じさせる目が俺を睨んできた。灰色の瞳は今まで見た中でも最も綺麗で透き通っている。
「そんな事よりあんたもこっちの仕事手伝いな。船の維持費もただじゃないんだから。こき使わないと」
「ふざけるな!」
頬杖をついたまま興味のなさそうなアリサに思わず声をあげてしまった。けれど到底理性だけは納められない感情が喉元まで込みあがっている。俺にはそれを少しずつでも漏れださせる以外に術がない。
「俺達はこの商売に才能がある! 俺達が求められているのは建設業でも、アボカド農場での農夫でもない、武器を売るのディーラーだ! こっちが俺達のやるべき事に決まってるだろ!」
「何熱くなってんだ? 今までが良くなかっただけ。これから良くしていこうというだけ。何が問題だ?」
確かに、それはそうだ。褒められるような事してきたわけじゃない。しかし少なくとも誇れる仕事をしてきた。いや、誇れなければいけない真似を平然とやってきたではないか。
「今住んでる別荘はどうやって買えたアリサ?」
「辞めろ」
「今チーズをつまみに飲んでいるワインはどうした?」
「辞めろ」
「使っているパソコンは? 資材運搬に回した船は? 食べた物、着ている物、住んでいる場所も全部武器を売って稼げた物じゃなぇか。商品が何処に使われるかを考えない。鉄則を忘れたのか!」
「辞めろって言ってるのが聞こえないのエリック!」
黙々とパソコンの画面ばかりに目を向けていたアリサがようやく立ち上がった。椅子を倒れさせては俺と同じで激昂した様子でこちらの胸倉を掴みあげる。
「あんたもう黙れ。それ以上言ったら口を鉄線で縫合してやる」
持っていたワインガラスを落した左手からは爪が掌に傷を付けていた。 床に広がるワインに別の色の液体がポタポタと落ちる。
「なんなんだ一体。テメェどうしちまったんだアリサ」
たったの数年、されど8年以上四六時中を一緒にいた。癖も、好みも、ホクロの数も、先に洗う場所も知り尽くしている。にも、今じゃ目の前の彼女が何を考えているか分からない。
まるで別人になってしまったような感覚だ。それも目まぐるしい程急激に。
「怖いんだよ」
「今更何を、俺達紛争地域で散々銃口向けられて、激戦地も通り抜いてきたじゃないか」
「違う。別にそんなのどうでも良い。寧ろ私、火薬の匂いにはちょっと興奮するから」
「まさか良心の呵責とでも?」
「そんなの感じた事もない。酒少し飲んで終えるだけ。あんたと同じさ。でも」
眉を潜ませては視線を自分のお腹の方に向けた。服の上でも隠せないくらい膨らんだ様子はたった数ヵ月前と比較させない変化を体現している。
「この子が、怖い」
子供を殺しかねない銃と銃弾を手渡してきた。
「この子が普通に育って、私達の事を知るのが、怖い」
暖かい街をも焼き尽くす砲弾を流してきた。
「自分も、そんな金で生きているんだと思われるのが、怖い」
平和になれたかも知れない国を壊滅させうる武器を売りさばいてきた。
「それでも! 何不自由なく生きる方が幸せに決まってるだろ。そうだっただろ? お前も! 俺も!」
後悔しないと思っていたのは、生まれ育った場所で何時死ぬかも知れない恐怖に怯えるよりマシだったからだ。疑う事がなくなったのは金と立場を手に入れてからである。
二人分の重さが俺の胸元に寄り添ってきた。一人は誰よりも愛らしく、一人はその存在が誰よりも可愛らしい。
「それでもワインを飲む時に血の味を感じない生活が良いんだ。少なくともアルコールが喉を潤さなければ見てきた光景が浮かばない日常が必要なんだ。それをようやく気付けた。エリック、少しでも私に恩を感じるならこの我儘に付き合って頂戴」
言い返す言葉が思いついた。「世界的な企業が締結している中国の組み立て工場は、未だ疑似奴隷制度を用いている」のだと金の力を力説したい。
「俺達が売っていた武器の9割はUN安全保障理事会の加盟国から生産された物じゃないか」と思い浮かばせたい。
「募金に金を投じる殆どは、金が何処に使われているのかの確認すらしないまま己を善人だと思いたがる連中ばかりだ」とこの世に貧しい者を利用する我々人間の素晴らしさを覚えていて欲しい。
どこもかしこも金の為に魂ごと他人を売れるような連中しかない世界だ。それを俺達は直接見ては参加してきた。子供への募金額を政府が団体と横取りし、戦争に懐疑的な国が銃器を紛争地域に流す。
「奪われるだけが嫌だったからお前についていった。その時間すら否定されたら、俺には何も残らない。俺には人を殺す武器を売る事以外」
そんな世の中で俺達は必要な存在だ。そんな世の中だから俺達は必要な存在でいられる。他の場所では、俺達はただの薄汚い犯罪者に過ぎない。
だからこそ
「生きている意味がないんだ。俺は」
「それくらい」
アリサは俺の手を腹の上に持っていった。掌の体温を手の甲で感じ、顔も知らない小さな誰かの動きが彼女の腹から指先に伝わる。
「それくらいこの子が作ってくれるさ。真新しくて、輝かしい、新型の奴を」
「随分と、値がいきそうだな」
「やってきた事は忘れて、これからの事だけ考えよう。これから私達二人の鉄則は一つだけ。「報いさせない」だ」
何と言う我儘だろうか。数々の可能性を踏みにじった癖して、今更我が子大事さに何もかも忘れると宣言するなど正気の沙汰とは思えない。だが、何て事だ。
(俺もそうありたい)
そう望む自分を否定できない、したくない。身勝手ながら、何て事だろうか。
やってきた事の数々が頭を過っているのにも、目の前の彼女と子供しか残る物がない。
「潮時、だな」
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