冬の宮殿とブーゲンビリア(二輪)

「しかし、あの女。どう考えても侍女じゃないよね。どう思うブローシュ?」

 一晩過ぎて、あの清々しさは何処に行ったか、俺は噛み砕けない疑問に苛まれていた。無論馬に聞いても何も答えちゃくれないが、それ程までに彼女の剣は素晴らしかったのである。

「銃一発あれば全てを解決できる時代に、侍女さんがあれ程までに実力を付ける理由があるのか?」

 正直、そう、とても恥ずかしいが、俺の方が遅れをとっていた。実践でもなかったが、言い訳にはならん。相手は間違えば自分で踏んでしまい兼ねないドレスを着ていたのだから。

「本当に、ただの侍女か?」

 宮殿内で陛下の隣にいると、色んな貴婦人の方々や侍女の皆と話す事が多い。彼女等の口数とお喋り量、そして情報量は凄まじいがレアに関しては記憶がないのだ。

 馬の汗を払っていると、その黒い後ろ髪を大きな手が撫で降ろした。振り向けば伯爵様が自ら乾草を食わせている。

「ブツブツと何を独りで喋っている?」

「伯爵様! 何故?」

「我が我の馬と部下の様子を確かめるのに何か不満でもあるのか?」

「いえ決して」

 頭を下げていると手を休めるなと叩かれた。躓きそうになりながらも頭を振って馬の世話に戻る。

「しかし何をそう悩んでいる? お前がここまで近づいて気付けない等、何かあったのか?」

「そのような」

「お前の為に聞くのではない。お前が呆けていては師匠である我が評判に響く」

 相談するような出来事でもない。のだが

(それでも俺なんかよりは対外的な面に詳しいか)

「レア、レア・ド・ボモンという女帝陛下の侍女をご存知ですか?」

「知らない方が可笑しな話であろう。お前は夜会に参加しないから分からないかも知れないが、あの容姿だ。有名にもなる」

 確かにレアは美しかった。生まれ持つ顔もさることながら、貴婦人の使う良く分からない美容法よりも日頃の鍛錬から出る肉体美がドレスの下からでも感じられる。

「うむ。確か、フランスの出身とか言っていたな。毛皮商人の娘だとか」

「他に変わった事はないんですか?」

「なんだ? やけに興味津々ではないか。もしや惚れてしまったか?」

「ご冗談を。神に誓ってそのような事はありません」

 もし惚れたとすれば彼女の剣にだ。そもそも同性同士の営み等、どの国でもかつてから禁止されている。

「神に誓うか、まぁどうでも良いがな。しかし折角話して貰ってすまないが我もそう詳しくは知らん。 身の振り方から見た所身分、若しくは育ちは良さそうだが、大人しい無口な美人だという以外の印象もないな」

「無口な美人?」

「何だ? お前相手には違うのか?」

 頭の中ではレアの姿を思い出していた。月明かりの下で剣を手にしたドレス姿を、簡単に俺を投げやがった後見せた楽し気な澄まし顔を。少なくても大人しかったり、無口といった印象は一切ない。

「遠い国の社交界なのだ。そういう事もあるだろう。何にせよ好意を寄せられるのは悪い事ではない。油断はならぬ事だがな」

 伯爵様は乾草を餌箱に入れて溜息を吐いた。それ以上は何も語らずに馬小屋を出ていってしまわれる。最後に仰った事の意味を聞けず、俺は馬のブローシュに残りの乾草を食わせた。

「油断?」


 夜、再び川辺に向かうと既にレアが修練に勤しんでいた。良く手入れされたレイピアを振う度、宙に突き刺す度、反射された月光が川と地面にその軌跡を描く。

(可笑しいと感じるのは、ある。けれど)

 目を逸らすことなく磨かれたであろう剣は尊敬できる人だ。軍人ではなく、貴族であり騎士として尊敬に値する。

「どうもな」

 色んな理由が浮かんだけれど、結局目的は定まっていた。俺は彼女と友達になりたいのである。魂の死んだ嘘つきばかりが蔓延る宮殿の中で、唯一対等に剣を競える人と中良くなりたいだけなのだ。

 俺は片手で剣を抜いて川辺を駆け降りた。軽く大剣を振えば彼女は、彼は当たり前のようにそれを受け流してくれる。

「空気の上に相手を描く等、寂しくはないのか?」

「今始めた所ですわ。それより約束の酒は持ってきたのでしょうね?」

 酒瓶二つを芝生において剣を交わし始めた。鉄と鉄がぶつかり合う度に自分から何かが剥がれ落ちて行く。戦うのが楽しいのではない。競争と刃物だけが持つスリルに胸が踊るのだ。

「今日こそはあんたの剣を見切って見せる!」

「でないとまた地面を這う事になりますわよ」

 鋭い剣先が耳元を掠った。鉄が空気を裂く音が服をはためかせる。突き刺されたレイピアを避けて手袋で払いのけ、たまには刀身の根本同士をぶつけては没常識な力比べをした。

「レア、その剣術はフランスのもの?」

「さて、剣なんて修練を重ねれば国等関係ないのではなくて? ニコライの剣もそうでありましょう?」

 大雨と曇りの日でを除いて、俺達は毎日のように勝負を繰り返す。最初は宮殿内で起きた出来事を語っていたが、いつの間にか日頃の愚痴や故郷での出来事に至るまでの下らない雑談だけが行きかうようになっていた。

 日が暮れれば実力を競い合い、日曜が過ぎれば内面を語り合い、月を渡っては酒の趣味を擦り合わせ、季節の合間に思い出を共有する。そうやって新しい一年が出来上がっていった。


 両方とも息が続かなくなってしまえば酒を飲み、足りなければ宮殿の貯蔵庫から酒をかっぱらう。管理人にバレたらレアが、侍女にバレたら俺が誤魔化して噂にならぬように逃れた。対処した人が一番に口を付ける決まりである。

「今日のは当たりだレア。上物だぞ」

「飲みすぎですわニコライ! そもそも一度に飲む量が多いんですから」

「別に良いだろう?」

「ワインを嗜む事もできぬのですか? 繊細さが足りないという証拠です」

「そういうお前は夜会で殿方に話しかけられただけで固まるじゃないか。大胆さが足りない証拠だ」

「わたくしは別にそんな事ありませんけど!?」

「いやいやレア、気付いてないだけで全体的に動きが硬くなるんだよ。俺には見えている」

「そんな事ありませんわ!」

「いや」

「ありません!」

「わ、分かりましたよ。そう怒るなって」

 嫌な時は嫌な顔で問い詰め、気分が良くなればゲラゲラと笑い声を出した。それができる場所が何よりも大切だった。

「今のは屈辱を感じました。発言を撤回させる為、剣で勝負してあげますわ!」

「カクカクした動きで勝てると思うな!」


 俺がレアに対して今一度考える切っ掛けになったのは、そんなある日の出来事が原因だった。

「オリャアア!」

 ウォッカの瓶をずらりと並べたカウンター席の後ろでは、数十人が互いを殴り合っていた。聞けば機嫌を悪そうにしていた男がいきなり隣テーブルに喧嘩を仕掛けたらしい。それが伝染して自然と十人を超える殴り合いが始まり、またそれを見る為に人が集まっている。中でいちゃもんでもつける奴があれば再び喧嘩、その繰り返しだ。

「ここはいつも騒がしいな。何もしなくて良いのかね首都警備軍の旦那」

「数人ぶっ倒れれば席に戻ってくだろ。ほっとけ」

 幼馴染から酒に誘われて着てみればこの様である。しかし治安維持が目的の軍人としては、わざわざ小競り合いに勤しむ気はないらしい。

「それよりこっちの話だキリルよ。最近どうもあっちこっち騒がしい。夜な夜な外部の者と接触している貴族がいるという噂もかなり広まっていてな」

 心当たりが多すぎて思わず口に含んでいたビールを噴き出してしまう所だった。

「貴族が何処に出向こうと自由じゃないか? 俺もこうやって外出くらいするし」

「下町に遊びに来るくらいならば、の話だろ? そうじゃなくて外国の人間と接触しているという話だ」

「まさかフロイセンの?」

「さてどうだろうな。としたら最悪の事態だろう」

 オーストリアの領土を奪う為にフロイセンからふっかけた戦争は、もはやヨーロッパ全土を巻き込んだ状態にまで苛烈を極まっていた。イギリス、フランス、オーストリア、フロイセン、他諸国を始めた、我がロシアも昨年大小の戦闘を行っている。

「そもそもが、だ。陛下の命令で国境を封鎖している状態で宮殿内にスパイが紛れ込んでいること事態が問題だ」

「首都の警備としては不安ってか?」

「もし外側からの密入国を見逃した等という話にでもなってみろ。責任問題からは免れられん」

 現在も国境は特に男性の移動が厳しく制限されている状態だ。レアの父である毛皮商人もそのせいで入国が拒否されたと聞く。

(何にせよ周辺警備が厳しくなれば、レアとも合い難くなるか)

 何より宮殿内には女帝陛下もいらっしゃるのだ。軍としても、貴族としても、スパイが紛れ込んでいるかも知れない状況は宜しくない。いつも配慮してもらっえちる恩に報いる為にも聞き流せる話ではないだろう。

「一様宮殿は俺の方でも見張ってみるとするよ」

 奢られた酒を一気に飲み干してそう言うと、奴は笑顔一杯に抱きしめてきた。積もりに積もった不満で一杯なのは同じらしい。俺はそっとビールグラスで顔を押しのけてやる。

「それでこそだ! やっぱ話が通じるじゃなぇーか。他の貴族様は自分達の役割でもないとしている風潮でな。その癖宮殿内の警護は同じ貴族で固めているから話を通す術がなかったんだよ!」

「分かってるからくっ付くな気持ち悪い。何か掴んだら連絡をよこす」


 月が昇って俺は馬小屋に隠れて様子を見ていた。相手が馬を持ち出すなら直ぐに追える。でなけれど馬小屋から見れば少なくと誰が外へ出ていくのかくらいは把握できるはずだ。

「宮殿からわざわざ下町に夜出かける貴族はそうないだろうからな」

 俺は政治に参加していないからこその特殊な場合だが、宮殿の敷地内には基本的に食べ物も酒も人もいる。貴族として外出する用事等殆どいない。やっても領地に戻る時くらいの物だ。

「しかしスパイか」

 フランスとは共同戦争の最中、つまり軍事的協力関係にある。しかしこれはフランスと完璧な面で軍事同盟関係を結んだとは言えない。あくまでフロイセンに対抗する為のオーストリアのマリア・テレジアとエカチェリーナ女帝陛下との協力関係だ。もしフランスからスパイを仕込んでいて、それが外交トラブルにでもなった日にはレアも余り良い目線では見られないだろう。

 剣に体重を任せたままは隅でうずくまって息を忍ばせていた。雨の音に紛れて誰かの足音が鳴らないかと耳を傾かせ、ただずっと待ち続ける。

 そうしていると真夜中に誰かが馬小屋の扉を空けた。少し開いた扉からの月明かりでは誰なのかも分からないが、その人影は手慣れたように鞍と鐙を馬に付けて連れ出していく。

(馬も一切抵抗しないな)

 どんな生き物でも慣れていない相手、慣れてない時間に動かされうのは厳しい。馬のように徹底的に人間に飼育されている動物は尚更だ。

「追うか」

 俺は馬の走っていく方角を確かめながらサンクト・ピーテルブールフの街並みを駆けて行った。女帝陛下のお住まいになっている冬宮殿を中心にして、放射線状の道は尾行には適している。

 馬の脚を一定の距離をおいて追い続けていると宮殿の外、街の外れにまで人影は移動した。その内人の手が殆ど届いていない森の中へと入っていく。

 若干速度を出しても三十分程の距離。歩いて往復だと二時間は掛かるだろう。夜中に軽く出かけられる距離ではない。

 森の中、馬の足音を追っていった先には廃れた教会が一軒だけ建てられていた。手入れも行き届かずに森の中、石の壁には緑がつたっている。

「綺麗な場所だが、どうやら誰かと待ち合わせしているようだな」

 教会の外には手綱を結ばれたままの馬二匹がバケツの水を舐めていた。馬に気付かれぬように裏てに周って壁に耳を当てる。

中からは聴き慣れた声が本を読んでいた。まるで劇でもするかのように人物になりきって、大袈裟で面白く物語る。まるで子供におとぎ話を聞かせるような感情豊富な声、そこで俺はようやくその声の主が伯爵だと気付けた。

(こんな所で、何を?)

 相手が気になって壊れた窓から少し覗くと伯爵と同じくらいの、パッと見た所五十後半そこらに見える婦人が一人肩を寄り添わせている。

(これは、ちょっと罪悪感を感じざるを得ないな)

 気軽に覗いてはならぬ空間を見てしまった。そんな気がする。

 何度も修繕しているにも清潔に維持している服装、それには見合わない高価なペンダント。婦人の方は農奴のように見えた。

「どうやら伯爵は白っぽいな。断言はできないけど」

 楽し気な二人の声を耳に数時間と待っていると、その内雨も止んでみ婦人は軽く「ではまた気が向いたら来てくださいね」とだけ挨拶をして馬に乗って行ってしまう。

 俺もそろそろ戻ろうと考えていると伯爵様の方から裏てに歩いてきた。

「終わったぞキリル。監視お疲れ様だ」

「バレてましたか」

 いつものような不愛想で無情な声で、諭すように俺の間違いを指摘する。

「せめて軍のお友達と連携する訳には行かなかったのか? 体力は認めるが、街中で走って標的を追うのは良くないぞ」

「申し訳ございませんでした!」

 伯爵様は手綱を俺に任せて鞍に跨った。

「あくまで個人的な興味ですが、あの方は何方でしょうか?」

「ただの農奴だ」

 そう断言する。しかしその内聞くかどうか迷っている事が気になってしまわれたか、また伯爵様の方から口を開く。

「暇つぶしだ」

「それは?」

「以前宮殿に向かう途中馬車壊れてな。馬車を修理してくれた民家の娘が美人だったから相手にしてやってるだけだ」

「……それだけですか?」

「それだけだ」

 そんな話は聞いた事がない。俺がこの宮殿に来て女帝陛下と伯爵様に仕えて十年だ。少なくともその間馬車の破損で何処かで足止めを喰らった等という話は聞かない。

(一体何年相手にしてるんだこの人)

「農奴の娘等、綺麗でもないなら相手にしちゃいない」

 伯爵様は宮殿に着くまでそれ以上何も語らなかった。

「お前も随分と熱を上げているようではないか」

 馬を休ませて馬具を片付けると伯爵様は突然俺が付けていた剣を抜いて剣身を確かめる。一度ひる返して月に照らしながら手入れをが行き届いているかをお確かめになった。

「そっちもバレていましたか」

「雨の日でも晴れの日でも雪の日でも、ほぼ毎日のように出入りしている。宮殿に住んでいる人間なら気付けぬ訳がない」

「それ程でしたか!? 雨の日は、自重していましたが」

「陛下の侍女とその騎士に、別段禁止されている訳でもない手前言わんだけだ」

 一年もやってると当たり前な話ではある。けれど宮殿内の知り合いが無さ過ぎて気付けなかった。余りにも周りが見えていないのは直すべき悪い癖だろう。

「貴様も区切りくらいは付けておけ」

「いやいや、俺は伯爵様とあのお方のような仲では」

「言葉を選べ」

 口を滑らしてしまったのか一瞬で俺の剣の先端が喉元に届く。

「いえ、伯爵様と同じでそんな深い関係ではないと申しますか」

「友達としてでも、いつか離れなくてはならない時に備えろという事だ。時が来てからしか行動できぬは愚者の証明よ。まだ任命書は出されていないが、まあ良いだろう」

 何のことかと問い返す前に、伯爵様から剣を逆様に握って柄の方を俺に向けた。

「ニコライ・モーリッツ・キリル、貴殿はヴィリム・ヴィリモヴィチ・フェルモル閣下率いるフロイセンへの攻勢に加わり、最前線でその役目を果せ。これは如何なる事態においても決して覆らぬ決定だ」

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