第7話 マシュマンの憂鬱

 一級神官のマシュマンは気が重かった。

 今日は彼が務める第二神殿で定例会議が行われる日であった。

 会議には一級神官以上が出席し、各地から集められた情報の共有を行なったり、議題にあがった案件について議論される。

 職務にそれほど熱心ではないマシュマンはいつもなら話を聞き流し、議題に挙がった案件について適当に相槌をうつだけであった。

 だが、今日は違った。

 議題の中に一級神官の選考会が含まれていたからだ。

 

 マシュマンは一人の男を一級神官に推薦するつもりであった。

 その者の名をハリス・ローエンスという。

 ローエンス家は五大貴族、ガンマーク家に連なる貴族であり、ハリスはローエンス家の次男であった。

 本来であれば神官になるのではなく、父や後継者である兄の補佐をすべき立場であった。

 そんな彼が神官になったのは熱心なジュアス教の信者だったから、ではない。

 貴族である事をいい事にやりたい放題するハリスに手を焼いた親は半ば勘当同然に神殿に押し込んだのだ。

 しかし、神殿に入った後もハリスが反省することはなかった。



 マシュマンは一級神官に昇格する条件を思い浮かべる。


 一.一級神官の定員に欠員があること

 二.一級神官以上の者からの推薦があること

 三.神聖魔法を五つ以上授かること、またはジュアス式武闘術で二級以上の資格を持つこと


 一級神官は二級神官と違い、各神殿で定員が決められている。

 欠員がでない限りどんなに優れた者でも一級神官になれない。

 第二神殿の一級神官の定員は三十五名で現在空きが一席あった。

 

 マシュマンは大きく溜息をついた。


「ハリスが昇格条件を満たしていればなあ」


 ハリスは一級神官に昇格する条件のうち、三を満たしていなかった。

 この条件は形骸化しており、貴族なら満たしていなくても問題になることはないはずだった。


(ハリスの奴、なんでよりにもよってここに、俺んとこに来るかなぁ)


 ハリスは元々第一神殿の二級神官だった。

 ハリスが第二神殿に移籍してすぐに一級神官の欠員ができたのは偶然ではない。

 第二神殿には市民出の一級神官がいたのでハリスの親が金にものを言わせて退任に追いやったのだ。流石に一級神官全てを貴族で占める第一神殿でこの手は使えなかった。

 勘当したとはいえ、やはり我が子は可愛いらしく、一級神官になりたいという息子の願いを叶えようとしたのだ。

 そして同じ一族の血を引くマシュマンにハリスを推薦するように話が来たのだが、これは最悪のタイミングだった。

 サラの台頭である。


 ナナルは何を思ったのか半年ほど前からサラを鍛え始めた。

 ナナルが特定の人物を鍛える事など今まで一度もなかった。

 サラについては以前、ナナル自身が第二神殿に連れて来た頃に定例会議でも話題に上がったことがあったが、ナナルはそっけなく「入団希望だったので連れて来ました」としか言わなかった。

 実際、それ以降、ナナルがサラに特別何かしたという話は聞いたことがなかった。

 サラについて話に上るのはその容姿だけで、特別信仰深いわけでも能力が高いわけでもないようだった。


 だが、サラは変わった。

 ナナルの直接指導によりサラの才能は開花し、今では十を超える魔法を授かっているという。

 一級神官昇格の条件が五つであることからもサラがずば抜けて優秀である事が分かるだろう。

 しかもサラの才能は魔法だけではなかった。

 武術に関しても既に二級の資格を持ち、実力はもっと上だという噂だ。

 それだけでなく、神殿騎士団に従い魔物討伐を積極的に行なっており神殿内での評判も非常に高い。

 今や騎士団の誰よりも強いのではとの噂さえあり、“鉄拳制裁のサラ”の二つ名はマシュマンの耳にも届いていた。


(もし、ナナルがサラを一級神官に推薦したらハリスは負けるだろう。一級神官になるために移籍してきたのに昇進出来なかったらとんだ笑い物だな。ま、俺もただじゃ済まないだろうが。……だが、ナナルだってローエンス家に逆らったらただじゃ済まないことはわかってるはずだ。……ナナルが五大貴族の血を引いているという噂が真実ならまた話は違ってくるがな)


 ナナルは噂について肯定も否定もしていない。ただ一言こう言っただけだ。


「神殿では貴族も平民も関係ありません」


 と。



 定例会議は何事もなく過ぎていく。


「ーー以上の三名が二級神官へ昇格とします」


 議長を務めるナナルは淡々と議案をこなしていく。


「次に一級神官への昇格者について協議に移ります。推薦者はおられますか?」

「私が」

「ではマシュマン殿、推薦者の名前とその理由をお話しください」


 議長のナナルの口調はいつもと変わらないが、負い目からかマシュマンには自分を蔑んでいるように聞こえた。


「はい。私は一級神官にハリス・ローエンスを推薦します」


 神殿内では家名を名乗る必要はない。家名は貴族の特権であり、家名を名乗ること、イコール貴族である事を相手に示している事になる。

 神殿内では血筋は関係なく、役職が優先される。

 あくまでも建前である。

 ちなみに同姓同名が複数存在する場合は“どこどこ出身の”などを付け加える事になる。

 マシュマンは意図して家名をつけたわけではない。

 後ろめたい気持ちから無意識にであった。


「ハリス・ローエンスは……」

「マシュマン殿、一々家名を呼ばなくてもいいですよ」


 マシュマンは声を発した相手を見た。

 一級神官のファンだった。

 ファンは市民出で二十代後半で一級神官になった。

 市民出からわかるようにファンの実力は疑いもなく本物である。

 ファンはマシュマンと目が合うとニヤっと笑った。


(下賤の生まれの分際で!)


 マシュマンはカッと頭に血が上ったが深呼吸をしてすぐに冷静に戻る。


「ーー失礼しました。緊張していたようです」

「構いません。続けて下さい」


 ナナルは特に気にした様子もなく、言葉は淡々としたものだった。


「はい。ハリスはその、敬虔な信者であり、」


 どこからか笑いが漏れた。

 それがファンだとすぐわかったが、マシュマンは無視して続ける。


「ーー以上により、ハリスは昇格条件を満たしてはいませんが、一級神官になる資格は十分にあると私は考えております」


 ファンはおかしくて笑い出したいのを必死に我慢していた。


(いやー、マシュマン凄いわー。あのハリスをよくあそこまで褒めれたぜ。そんなにいいとこあったかー?)


 マシュマンはハリスを賛美したが、ファンの見識とは全く異なる。

 ハリスの第一神殿での悪評は第二神殿にまで届いていた。

 ファンが知るハリスは敬虔な信者などではない。対極と言っていい。

 公然と自分は貴族の出だと威張り散らし、務めを他人に押し付けることなど日常茶飯事。

 見習いや二級神官に手を出したことも一度や二度ではないという。

 それが許されるのは貴族だからだ。

 

(あんな奴を推薦しなくちゃならないマシュマンにも同情するけどよ)


「他に推薦する者はいませんか?」


 皆の視線が無意識にナナルに向けられる。

 皆、ナナルがサラを推薦すると思っていたのだ。

 ナナルがその視線に気づかないはずはないが、ナナルの口からサラの名が出る事はなかった。


「ーーいないようですね。ではハリスが一級神官に昇格するのに反対する者はいますか?」


 マシュマンはホッとした。

 反対意見が出ることはまったく考えていなかった。

 反対する場合、自ら挙手し反対意見を述べなくてはならない。

 それはローエンス家、強いてはガンマーク家に対して敵意を持っていると判断されるからだ。


「ーー反対もいないようですのでハリスを一級神官への昇格を認めることとします」


 ファンは心の中で愚痴を漏らす。


(あーあ、つまんねえあ。てっきりナナル殿がサラを推薦すると思ったんだけどなぁ。そうすりゃ面白くなったのに)


 もし、ナナルがサラを推薦したらマシュマンはハリスがサラより優れている所を挙げなくてはならなくなる。


(流石に血筋とは言わないだろうから、そうなるとハリスの将来性にかけることになるのか?だが、それじゃあ現状全くサラに及ばないという事を自ら証明する事になってしまうよなー)


 後は強いて挙げるならばサラは二級神官昇格からまだ一年も経っておらず昇格には早すぎる事くらいだが、前例がないわけではない。

 ナナルは二級神官昇級から三ヶ月経たずに一級神官に昇級しているのだ。ただこの時は魔族襲来という特別な事情があったのだが。



「マシュマン殿」


 ハリスが無事一級神官に昇格出来た事にほっとしていたマシュマンはナナルから話しかけられ、心底驚いた。


「はっ!?はい、な、なんですかな?」

「先程、あなたが話した事、決して忘れないでくださいね」

「は?……あ、あの」


 マシュマンの返事を待たずナナルは会議室を出て行った。



「ナナル殿ー」


 ナナルが立ち止まり振り返るとファンが手を振って近づいて来た。


「ファン殿、どうかしましたか?」

「いやー、ちょっと聞きたいことがあってさー」

「何でしょうか?」

「何でサラを推薦しなかったのかなー?って」

「まだ早いと判断したからです」

「そうですか?でもさ、ハリスの噂聞いていませんか?こっちじゃまだ悪さしてないみたいですけど、時間の問題だと思うよ。アレよりは全然サラのほうが相応しいでしょう?」

「そう思うならあなたが推薦すればよかったのでは?」

「いやいやいや!師匠であるあなたを差し置いてそんな事は出来ませんよ。はははは」


(そんなことしたら俺がローエンス家に恨まれるしさー)


「そうですか」

「それとさあ」

「何ですか?」

「ナナル殿、最近なんか丸くなったよね?あ、体じゃないですよ!性格がですよ、性格が!」

「……そう見えますか?」

「ええ。以前ならハリスみたいな奴を推薦してきたら推薦した奴諸共バッサリ切ってましたよ!」

「神官長にそんな権限はありませんよ」

「まあ、そうなんですけどね」

「それと別に私は丸くなどなってませんよ」

「そ、そうですかぁ?」

「ええ」



 ナナルはファンと別れた後、心の中で呟いた。


(そう、私は丸くなってはいない。“今”に関心がなくなっただけ……でも、そう、あの子が、“あの子達”が見せる”未来“は……)


 滅多に笑顔を見せる事のないナナルが笑みを浮かべた。

 それは見る者にどこか不安を抱かせる笑顔だった。

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