第2話 ジュアス教団の神官

「ああっー‼︎」


 ゴン!


「いったぁ!」


 強烈な痛みでサラは目覚めた。

 一体何が起きたのかと頭をさすりながら辺りを見て、ベッドから落ちたのだと理解する。


 サラはジュアス教団の神官である。

 ジュアス教はこの世界、ラシュグリアを創造したとされる光の神、水の女神、大地の女神、闇の神、火の神、そして風の神の六大神を信仰する宗教である。

 この大陸のおよそ六割がジュアス教の信者といわれており、ジュアス教を国教としている国も多い。

 

 サラはエル聖王国の神殿都市ムルトに建てられた第二神殿に務めており、つい一ヶ月前に神官見習いから二級神官に昇格したばかりの新米神官であった。


「ああー、また落ちちゃったぁ」


 言葉の通りサラがベッドから落ちるのはこれが初めてではない。

 二級神官に昇格し、部屋が変わって間もないからではない。

 元から寝相が悪いのだ。

 以前、まだ神官見習いで二人部屋にいた頃、同室の子に「あんた、絶対二段ベッドの上で寝たらダメよ!死ぬよっ!」と言われる程であった。


「恐ろしい夢だったなぁ……あれ?恐ろしい夢?んー?どんな夢だったのかしら?……思い出せないなぁ」


 ドンドンドン、と部屋のドアを叩く音が聞こえた。


「サラー、起きてるー?」

「あ、カナリア?ちょっと待って」


 ドアを開けるとカナリアが立っていた。

 いつもの神官服ではなく、冒険者に近い服装だった。


 サラがカナリアと最初に出会ったのは神殿領内にある神官見習い用の寮である。

 見習いのときの同室の相手がこのカナリアだった。

 先ほどの「死ぬよ!」発言をした人物である。


 教団内の上下関係は厳しく、同じ見習いであっても半年前に入団したカナリアは先輩であり、敬語を使うべきであるが、カナリアが嫌がった。


「あたしそういうの面倒だからいいや。歳も同じ十五歳なんだし、普通に話してよっ」


 それから三年。

 サラたちは十八歳になり、カナリアは一年前に二級神官に昇格していた。

 今もカナリアはサラの一番の親友であった。


 ちなみに見習いから三年で二級神官への昇格は遅くはないが早くもない。

 至って普通だ。



「あれ?どうしたのその格好?」

「まだ寝ぼけてるの?今日は騎士団に同行して魔物討伐すんでしょ?あんた朝弱いからまだ寝てんじゃないかと思って呼びに来てあげたんじゃん」

「え?あ、うん、ありがとう。でもカナリアもだっけ?」

「そうよ。ほらっ、早く着替えて!ご飯食べる時間なくなるよっ」

「う、うん!すぐ着替えるわ!」



 サラとカナリアは足早に寮の食堂へと向かった。

 寮の食事の用意は神官見習いの仕事で当番は持ち回りで行なっている。

 そのため料理は日毎に当たり外れがあったが、今日は当たりの日だった。


「こりゃ幸先いいわねー。ちょっと温いけど」


 野菜をじっくり煮込んだスープを一口飲んで感想をいうカナリア。


「ーーうん、確かにもうちょっと熱いほうがいいわね」

 

 大きな鍋で一度に大量に作られるスープが温め直されることはない。

 薪代も馬鹿にならないからだ。

 温かいスープが飲みたかったら早く来るしかないのだ


 カナリアは手に力を込めて黒パンをちぎる。

 半端な力ではこの硬いパンは千切れないのだ。

 それだけ硬いのだからそのまま食べると顎を傷めるので、スープなどにつけて柔らかくして食べるのが普通だ。

 カナリアは千切った黒パンをスープに浸して口に放り込んだ。

 サラも黒パンを手に力を込めて千切り、スープに浸して食べる。


「貴族様は毎日“白パン”食べてんだよねえ」

「そうね」


 実はサラも貴族出身ではあるがその事は誰にも話していない。

 入団当時、同室だったカナリアは当初のサラを知っているのでそのときの言葉遣いや仕草から貴族である事を薄々感づいているかもしれないが、直接その事で話をした事はない。


 白パンは、黒パンと違って柔らかく簡単に千切れるし、味もしっかりついている。

 しかし、その分高価で平民が毎日食べれるものではなかった。

 ちなみに白パン、黒パンは正式名称ではない。

 実際のところ、白パンの色は正確には白じゃないし、黒パンも黒ではない。

 だがサラ達にはそれで十分だった。名前などどうでもいいのだ。


 黒パンも悪いことばかりではない。

 黒パンは保存がきくので冒険者達の必須の携帯食となっているのだ。



「そういえば、一級神官様は白パン食い放題だって知ってた?」

「そうなの?確かに一級神官様の食事は寮生が作るんじゃないって聞いたことあるけど」

「羨ましいっ!あたし達もさ、絶対一級神官になって白パン食いまくってやろうねっ!」

「……カナリア、それなんか違うわ」



 サラとカナリアはジュアス教団に所属する神殿騎士団に同行していた。

 神殿騎士団は各神殿で組織されており、普段は神殿長の指揮下にある。

 今回の騎士団の目的はサラ達が住む神殿都市ムルトからそう遠くない場所に位置するネパの森に棲んでいる魔物、ウォルーの討伐である。

 ウォルーは狼に似た魔物である。

 神殿騎士団の主な任務は巡礼者や教団関係者の護衛であるが、実戦経験を積むために今回のように本来冒険者が受けるような魔物討伐も行うことがある。

 そしてサラ達神官は日々の修行の中に戦闘訓練が含まれていた。


 何故、神官に戦闘訓練が義務付けられているのか。

 それを説明するためには勇者について説明する必要がある。


 勇者は六大神によって選ばれるとされている。

 魔族の力は強大で下級魔族にすら通常の武器ではダメージを与え難く、上級魔族ともなると魔法などの特別な力でなければ傷一つつけられない。

 そんな魔族に対しても勇者は通常の武器で容易にダメージを与えることができる。

 そしてこの効果が得られるのは勇者だけではない。

 勇者が認めた者すべてにこの効果が現れるのだ。

 勇者が一人いるだけで通常の武器しか持たない軍隊が魔族と対等に戦える強力な軍隊に変わるのだ。


 では六大神は勇者をどうやって選ぶのか?

 そこで神官達の出番である。

 神官達は各々が勇者と信じる者の名を六大神に告げ、神はその中から勇者を選ぶとされている。

 勇者候補を選定する神官が弱過ぎて、勇者を探す途中に魔物に襲われ倒されたら笑い話にもならない。

 その為に神官にも戦う力が求められ、戦闘訓練が義務付けられているのである。


 二級神官は最低でも年に一度、神殿騎士団に同行し、実戦を経験する事が義務付けられている。

 とはいえ、サラやカナリアのように自ら志願して討伐に参加するのは珍しかった。



「しかし、あんたも物好きよねー」

「あなたもね、カナリア」


 サラは呆れ顔で隣を歩くカナリアを見た。


「私は早く一人前になってナナル様の力になりたいから参加したのよ」


 ナナルは第二神殿の神官長であり、その名は広く知られていた。

 それは十年前の魔族襲来の際に大きな功績を残したことが大きい。

 その功績からジュアス教団歴代最年少で神官長になった人物である。

 現在は第二神殿の神殿長が不在であるため神殿長代理も兼ねている。


 

「あんたは二言目にはナナル様ね、言っとくけどあたしはノーマルだからね」

「し、失礼ね!私もノーマルよっ!って何回目よ、この話するの」

「いやあ、好みなんていつまでも同じとは限らないじゃん。こうやってあんたの趣味を定期的に確認しとかないとあたしも心の準備があるじゃん」

「なんの準備よ、なんの。ーーでも真面目な話、私に付き合うことなかったのよ」

「いいのよ。あたしもそろそ命令来るとこだったし」

「ありがとう。カナリアがいると心強いわ」

「ふふ」


 カナリアがサラに満更でもなさそうな笑顔を向ける。


「それにあんた世間知らずだからさ、一人で行かせてさ、帰ってきて『神さまが今度は魔法ではなく子供を授けてくれました!』とか喜んで言われても困っちゃうし」

「な、何よそれっ!そこまで世間知らずじゃないわよっ!」


 サラは顔を真っ赤にしてカナリアを睨む。


「どうだか」

「それに騎士団の方達がついてるのよ」

「あのねぇ、あんた、騎士団全員が清廉潔白だとでも?」

「そ、そこまでは言わないけど…」

「言っとくと、あたしは最初の遠征の時、襲われそうになった」

「ええっ⁉︎」


 サラの驚きに前を歩いていた騎士が振り返り怪訝な表情を向ける。

 その様子から話の内容は聞こえていなかったとわかり、内心ホッとしながらサラは小さく頭を下げて謝罪する。

 カナリアは楽しそうな表情を崩さず、さっきよりやや声を落として続ける。


「といっても力ずくってわけじゃないわよ。疲れ切ってぼうっとしてるところで口説かれたの。あれはヤバかったわ。もうあと一、二回魔法を使ってたら頭回らなくて何でもかんでも『うん』て返事してヤられちゃってたかもね!そんであたしがあんたの代わりに『神様から赤ちゃん授かりました!るんっ!』って言ってたかもしんない」


 サラもやや声を落として抗議した。


「だからなんで私は確定なのよ!」

「ともかく言葉だけじゃ心配だからね。それに初めての実戦は緊張して体が思うように動かないのよ。知ってると言いたげだけど、聞いたのと実際とはやっぱり違うのよ。あんたなら普通に力が出せればウォルーごとき指先ひとつで倒せるかもしれないけど」

「それはそれで失礼ね」

「ふふ」


 サラはカナリアがなんだかんだ言いながら自分を心配して付いてきてくれたことがうれしかった。


「ついて来てくれてありがと、カナリア」

「どういたしまして」

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