オレンジについて

 相変わらず、柑橘というものは素晴らしいものである。何より私は、その形に見惚れてしまう。綺麗な球体のものや、傷がついてしまったもの、少し他のものより大きいもの。そのどれもに感動できてしまうのだ。目の前にあるオレンジは、他より少し大きい、いや大きすぎるのではないか。だがしかし、私はその歪な貴方を愛でることができる。指先が彼の輪郭をなぞる。今日は君を頂こう。


 だが、ただ口に入れて弄ぶには彼に失礼な気がして、何かいいものはないかと辺りを見回してみる。ほう、いいものがあるじゃないか。私は化粧台にある口紅に目をつけた。私が何歳のときだったのかが思い出せないが、この真紅の口紅は母からもらったものである。当時の私には高級すぎるものだったが、買い与えてくれた。この口紅は、彼に似合う気がした。しかし隣に、別の国のブランドのリップを見つけた。これはふんわりとした淡い色なのに、実際に塗ってみると全く色落ちがしないものである。桃色か、淡いピンクか、なんと言えばこの色を言葉にできるのだろう。そして、どちらが彼に似合うだろう。二本のリップを繰り出し、彼の顔の近くに持っていく。どちらも彼のために誂えられたもののようであった。彼には頭が上がらない。例えていうならば、彼の美しさが圧倒的であるという事象が、まるで永い時間と労力をかけてやっと証明されたかのように感じる。


 今回は淡い色のものを塗ろう。いきなり真紅を塗って、彼がびっくりしてしまうのではないかと不安になったからだ。それより、それを塗った彼、私が見てしまったら、私がひっくり返ってしまうことが一番怖かった。それほどに彼が美しいということが、これで貴方にも伝わるだろう。


 彼の顔に手を添えて、少し震える指先でリップを持ち、丁寧に、慎重に塗っていく。普段からオレンジを体内に摂り入れている分際で、こういうことをいうのは可笑しいのだが、改めてこんなに近くでまじまじと見てしまうと、こちらが激しく緊張してしまう。息を止めて、指先に神経を集中させていても、ふとした時に気が抜けてしまったとしたら、彼の果肉に吸収されてしまいそうなほどに。彼に触れられない限りなく近い距離が、また彼の魅力を引き立てている。。


 淡いピンクのリップを塗り終わり、彼から顔を離す。なんとなく、誓いのキスをしたあとゆっくり顔を離し、自分のためにドレスを纏った花嫁を見るという、そのときに近い感情で胸がときめいた。やはり彼には勝てない、涙が出るほどの愛らしさが、私の心を蹂躙する。そして、それがとても快感であることを知ってしまった。みずみずしい彼の表面を、少しマットなリップがより際立たせている。あまりに神聖な場所であるが故に、そこの果樹園の木に隠れていた彼の本当の形象、本物の感覚を知ってしまった背徳感が、私の心拍を早めていく。リップを塗った彼に、照れ隠しを含んでひとつ口づけをした。


 彼とこのような遊戯を楽しんで、その興奮は寝る前になってもおさまることはなかった。オレンジの香水を枕に多少振りかけ、彼を思いながら彼の夢を見る。指先はまだ彼の輪郭を撫でていた。

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