美しさについて

 蜜柑の実の花言葉のひとつに「美しさ」があると、何処かで耳にした記憶があります。それを最初に聞いた時は「ありえない」と感じました。蜜柑というもの、あれは私からしてみれば「口に入れれば瞬く間に味蕾を劈く針」であり、果物というより、鋭利な刃物や画鋲のような、そういう類のものでございました。しかし、人間はきっかけさえ何処かで拾ってしまえば、その痛覚も可笑しくなって、その痛みを欲すようになり、次第にその感覚に依存し、べったりと癒着して、その蜜に融かされて––––。そう、またこうやって蜜柑に食べられるのであります。蜜柑は、私の脳のみそも、骨の髄も総て融かして、私を液体にしては、その熟れた果実に私を取り込んでしまうのです。


 私の中では、蜜柑そのものに「美しさ」を見出すことはとても難しかったのですが、やはり私も人間でして「きっかけ」がそこに落ちていて拾ってしまえばもう、蜜柑のことを考えずにはいられないのであります。例えば青果店で。箱に無造作に入れられた蜜柑達の中から一つ、又は幾つかを選ぶとき。貴方は自身の躰のどの感覚を使って選ばれますのでしょうか。手にとって軽く指先に力を入れ反発する感覚、はたまたいい匂いを纏っているもの、色が鮮やかで形が綺麗で大きいから、試食で気になって取り敢えず同じ品種のものを。ここに出したものは触覚・嗅覚・視覚・味覚に該当すると思われますし、この私ごときに、他人がどの感覚を使って選んでいるかの思案を、見透かすようなことはできそうにもありません。ここで伝えたいものは、これらは総じて「五感」の一部に入るのではないかということであります。


 しかし、人間というもの、またこれが都合のいいもの、「第六感」だなんていう、勘といものもありまして、もっと言えば、多くの人が第六感に頼って選んでいるのではないかと、私は思案を巡らせております。私たちは「なんだかこれがいいな」という勘で、手に取るきっかけを作り、その手のひらで軽く蹂躙し、果汁の香りを鼻腔に溜め込み、瞳の近くまで寄せて、最後は貴方の口の中。そうではありませんか。


 それは、もう、あちら側の思うつぼなのでありますよ。蜜柑は、私たち人間をそのように弄び、私たちの体内を融解して取り込むのであります。

 ほら、貴方も、蜜柑を欲してしまうのではありませんか。興味があるようですね、口が開いておりますよ。そこに僕の父が営んでいる青果店があるのですが、すこし寄っていきませんか。

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