蜜柑のこと

(こちらは完璧なフィクションです。)


 



 幼い頃、八百屋かどこかで、紙袋いっぱいの蜜柑を抱えて、それを持って家に帰ろうと、ふらふらと寒い冬の、星が煌めく夜空の下を歩いていた。何故かはわからないが、少し視線を上に向けたら、街灯がやけにきらきらと、いかんこれは眼球に良くない、脊髄反射で目を瞑った。それでも余りに眩しくて、そのままアスファルトに倒れ込んだ。蜜柑は、紙袋からこぼれて、あちらこちらに、転がって行ってしまって、私も吃驚して、腰が抜けてすぐには立ち上がれず、あァやってしまった、母さんにひどく叱られ、尻のひとつやふたつ、叩かれてもおかしくないない。だなんて考えて、諦めるようにまた、上を向いた。視界が暮夜ける瞬間があって、街灯が、本当に蜜柑に見えたのだ。橙色の光、煌びやかな、星のような、この一瞬を、カメラで一枚撮って、島の皆に自慢しようと思って、母さんが夜な夜な、編んでくれた肩掛けのポーチに、両手をつっこんでカメラを探した。こんなに小さなポーチが広い夜空のように、ポーチの中で散らばった小銭が、星に見える気がした。必死に、小さな夜空を掻いていると、母さんが、おいおいこっちだと、手招きしているではないか。私は安堵して、大きな声で、わんわんと泣いてしまった。母さんは、私を産んで、すぐ亡くなったから、顔も、声も、何にも知らないのに、何故、母さんだとわかるのか、それは、もうこの、寒い冬の、海の上では、何も問題はないのであった。ぽつんと海に浮かぶ、この無人島の街灯は、あの日私がこぼした、あの、蜜柑たちなのかもしれない。

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