第37話 火事
ユイの家へと赴くと、聞いた話の通りに炎上していた。
夜の暗がりの中。暗い空に、火の粉が巻き上がる。
やじ馬がぞろぞろと集って、炎上する家を前にざわめいている。
そしてその中に一人、冷静な顔をしたヨシマサが立っていた。
「ヨシマサ」
「アキラ、来たか。消防車は呼んである。ユイちゃんは保護してあるんだな? ご両親は避難してるか?」
「そのことについてだけど、すこし複雑でね―――そうか」
僕はユイについて抱えていたいくつかの悩みが、この機に解決可能であることに思い至る。
「ヨシマサッ!」
「え、な、何だよ」
僕は、この場の全員に聞こえるように大声で言う。
「まだこの家には、ご両親がいる! 助けに行かなきゃ!」
「はぁ!?」
衆目が僕に集まる。
僕は思惑通りの状況づくりに成功したと思いながら、家の敷地に侵入した。
「おっ、おい! 待てよアキラ!」
ヨシマサの制止を振り切って、僕はまず玄関が開くか試す。開かない。それそのものは問題ない。
肝心なのは、救助に赴いて苦戦している姿が周りから見られることだ。
僕は「クソッ!」と毒づいて、横から家の庭に回る。
そこには、先日ツユリがガムテープで割って入った窓ガラスがある。
「―――割られてる」
ツユリの時に、すでに開けられたガラス穴。それが、さらに拡大されていた。
僕は目を細める。それから、こんなことをしている場合ではない、と呼吸を落ち着けた。
ポーチから手袋とマスクを取り出して装着する。
「行こう」
煙の充満する空間で、僕は姿勢を低く服の腕部分を口と鼻に当てながら移動する。
まず僕は、ユイの話の通り、キッチンの冷凍庫を開けに向かう。
そこには、ドロドロに溶けた無数の肉を冷凍したものが入っていた。
「はは、グロいね」
僕はそれを担ぐ。重い。
ユイが少し流していたとしても、まだまだ人間二人分からそう減っていないように思う。
「今回は、ユイの慎重さに助けられたね」
僕は苦笑しながら二階にあるユイの両親の寝室へと向かう。
二階は流石煙が充満していて、僕でも少しキツイ。
だが、すべきことをしよう。ユイを守るために。
僕は両親の寝室の扉を開き、そしてその骸骨に冷凍肉を叩き付けた。
周囲の火の手で僅かに溶け始めた肉は、それで砕け、肉片をベッドにまき散らす。
「よし。偽装開始だ」
僕は肉片を見て、どの部位が溶けたものかを何となく判断しながら死体を再構築していく。
「これは内臓、これは筋線維、これは……」
肉片を肋骨に詰め込んだり、腕の骨にまとわせたりしていく。
そうして十数分が経過する。肉片の再構築がある程度完了する。
だが、僕の呼吸もかなりキツさが出てくる。
「まだ、だ。まだ詰めが甘い……」
僕は窓を開けて外のきれいな空気を吸う。回復。
そして、駆け足で戻った。
階下。僕は燃料を探す。灯油か、ガソリン。
そんな風にアンテナを張って探していると、誰のものとも知れないポリタンクを発見した。
「これは……運がいいね」
僕はそれをもって、二階の寝室に戻る。
そしてユイの両親の死体に向けて念入りにぶちまけた。
周囲の火から引火して、どんどんと二人の死体が燃え上がる。
最後にドアの鍵を閉めてから、体当たりで破壊した。
これで、偽装は完了しただろう。
鍵の掛かっていたこの部屋を開けるために苦戦し、やっと開けたら二人とも焼け死んでいた、という筋書きに違和感がなくなる。
「……出よう……」
僕はよろめきながらも、寝室の窓から家の屋根に乗り上げる。そして大の字で寝ころんだ。
それで、だいぶ呼吸が楽になってくる。煙だらけの密封された空間は、やはり対策していても息苦しかった。
僕が呼吸を整えていると、消防車のサイレン音が聞こえてくる。
「……さて、ここから名演技が求められる。頑張ろう」
僕はむくりと上半身を起こす。手袋を外す。マスクはこのままでいいだろう。
そして、屋根の上から塀を伝って地面へと降りたった。
「お、おい! 大丈夫かよアキラ!」
ヨシマサが瞠目して駆け寄ってくる。
僕はそんな彼に、抱き着き、涙ながらに声を絞り出した。
「……ダメだった」
「は!?」
「ユイのご両親は、ダメだった。救えなかった。クソ、……クソッ!」
強く拳を握る。集まっていたやじ馬が、僕の言葉を聞いて息をのむ。
「そんな……良いお医者さんだったのに」「最近は休みがちで心配してたけど」「まさかこんな火事でなんて……」
周囲の反応は思った通りのものだ。僕は沈鬱な表情のまま、それを聞く。
そこで、消防車が到着した。消防士さんたちがキビキビと動いて、消火活動を始める。
ものすごい勢いで噴出する水に、僕は、後は祈るばかりだ、と目を瞑る。
消防士さんたちの手際は良かったが、それでもかなりの勢いで燃え上がるユイの家が沈下するのに、かなりの時間がかかった。
二階は崩落し、ユイの両親の死体はさらに念入りに燃やし尽くされる。
僕は静かに、それを眺めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「家の中に、ポリタンクがあったんだね?」
「はい。それで、助けに入った頃には……」
「ありがとう、概ね流れは分かったよ。大変だったね。もう十分だから、今日は家に帰ってぐっすり休みなさい」
「はい……」
僕は先日ユイの家で対応した警官の内、若い方、深堀さんに事情聴取を受けていた。
遅れてきた警察から、事情聴取を要請されたのだ。
状況が状況であるが故、僕への事情聴取は優しいものだった。
「しかし、君は本当に正義漢だね。周りの人が驚いてたよ。あんなに迷わず飛び込むなんて自分には出来ないって」
「あはは……。良くしていただきましたから」
「そうだね……。彼女さんのご両親だもんね」
僕は肩を落とす演技をして、立ち上がった。
「では、失礼します。今日は、色々あって疲れました」
「昼間の不審者の侵入も、遠藤君が鎮圧したんだったか」
「その場にいましたので」
「見事なものだよ。犯人は軽度な打撲だけで、抵抗の意思なく現行犯逮捕だ。ま、仕方ないかもしれないね。あのナイフは私も震えた。どうやったんだい?」
「はい? ……普通に」
「……その答えが一番怖いよ」
僕は一礼して部屋を出る。
すると、出口で後藤警部が待っていた。
「ああ、遠藤君。こんばんは。今回は残念でしたね」
「……えぇ。本当に、何でって気持ちで、いっぱいです」
「そうですねぇ……。いいお医者さんだったんですが。私も何度か世話になった」
それはそれとして、と警部は僕を見る。
「今日は随分お忙しかったようで。昼間に不審者と格闘。夜は火事の中に飛び込んで救助活動。遠藤君、何者かに狙われてませんか?」
「狙われてるんでしょうか……。正直、心当たりばっかりで」
「はっはっは。そうですねぇ、君は以前から随分活躍してらっしゃるから。君を目障りに思う人間は多いでしょう」
しかしね、と警部は続ける。
「今回のそれこれは、ちょっと執拗です。今までとは全く毛色の違う執着が感じられる。よければ、身辺警護に数人回しましょうか?」
「……」
僕は考えるふりをしてから、答えた。
「―――大丈夫です。少し疲れましたが、何とかします」
「……その何とかしますって言うのも、私ら的にはちょっと怖いんですがねぇ」
警部は後頭部を掻く。
「まぁまぁ、文句はないですよ。遠藤君は、正当防衛の範囲から決して出ない。怪我なんてほとんどさせないし、させても擦り傷やちょっとした打撲だ。相手の武装にもかかわらずね」
「……」
「私らの中じゃあ、君のことをちょっと怖いという奴もいますよ。怪我すらしてない加害者側が、こぞって君を『化け物』なんて呼ぶもんですからね」
ねぇ、と警部は聞いてきた。
「君、何者なんです? ここだけの話にしますから、教えてくださいよ」
僕は微笑み返して、答える。
「実はここだけの話、僕、本当に化け物なんですよ」
なんてね。
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