第35話 防衛

 今日、僕が明確に二人を守れないタイミングとして、体育の授業があった。


「じゃあ、みんなよろしくね」


「うんっ!」「ちゃんと集まって歩いて、他のクラスから突っかかられないように気をつけるね!」


「うん。じゃあツユリ、ユイ。気を付けて」


「う、うん……」


「あ、アキラくんも、気を付けてね……?」


「僕は大丈夫だよ。ああ、あとはそうだな。危ないと思ったら大声で助けを読んでね。いつでも駆け付けるから」


 僕らはそれぞれ体育着への着替えを済ませて、体育館の前で示し合わせていた。


 というのも、ウチの高校は男女で体育が別々なのだ。


 体格差もあるから致し方ないことだが、こういうときは歯がゆい。


 そんな訳で、僕は女子のみんなが校庭に出ていくのを見届けてから、体育館の中に入る。


「おう、珍しくしょぼくれてんな」「アキラのこんな顔中々見れねぇぞ」


 イツメンたちに囲われて、僕は「あぁ……」と生返事する。


「いや……流石に少し心配でね。僕が居れば何とかなるけど、僕が物理的に遠い状況で事が起これば、僕だって臆病になるさ」


「それならいっそ三人で仮病使って休めばいいんじゃねぇの?」


「逆だよ。学校の都合に振り回されはするものの、クラスが味方に付いてくれる学校の方が安全だ」


 本当に手を選ばない敵、というのはそれこそ何でもする。


 そう説明すると「ふぅん、そういうもんか」「アキラが言うと説得力が違うな」と言いながら、彼らは散って言った。


 僕は何となく体育館の中央に移動する。


 それから周囲を確認して、ヨシマサがいまだに教室に戻ってきていないことを知る。


「……ご苦労なことだね」


 僕は親友の奔走に感謝の念を捧げながら、体育のバスケに勤しむのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「会長を止めろ!」


「あいつ速すぎだろッ! あっ!」


 僕は自チームのゴール下で確保したボールを一人でコートの真ん中まで運び、勢いそのままに跳躍した。


「うっそだろ高ッ!」


「だから言っただろ! アキラに4人マーク付けろって!」


「5対5の試合でそんなことできるわけねぇだろ!」


 ブロックにジャンプした3人よりも遥かに高い位置で、僕はボールを放つ。


 綺麗な放物線を描いたボールは、そのまま相手のゴールに吸い込まれていった。


「あぁぁあああ! もうこれコールドでいいよ……」


「つーかアキラがやるなら1対9にしてくれマジで。それでも敵わない説あんだから」


「いやぁ、バスケって楽しいね」


「お前ほどうまくいけばさぞ楽しいだろうなぁ!」


 体育のバスケに興じていると、不意にポッケに入れていたスマホが震えるのを感じた。


「おーい誰だ~? 体育にスマホ持ってきたのは~!」


 体育教師が呼びかける。それで僕は、ああ、言い忘れてたな、なんてことを思い出す。


「すいません先生、僕です」


「うぇ、あ、そうか遠藤か……。ごほん。体育の授業中はスマホ禁止というのは知っていたよな?」


「そうなんですが、ちょっと緊急事態で。連絡が入り次第すぐに動かなければならない状態が続いておりまして」


「遠藤お前消防士か何かなのか?」


 教師の問いに僕は肩を竦めつつ、スマホを取り出して、電話に出る。


「おい、電話に出るな。よこしなさい、ほら」


 教師が僕に手を差し出す。体育館中の視線が僕に集まっている。


 その中で、スマホ越しに叫び声が上がった。


『アキラッ! 不審者が守衛さん突破した! まっすぐ校庭に走っていく! 向かえ!』


「先生! 抜けます! スマホはお渡しします!」


「あっ、おい!」


 スマホを投げ渡しながら、僕は猛ダッシュで体育館から飛び出した。


 勢いそのままに校庭に飛び出す。靴なんか履き替えている余裕はない。


「わっ、会長?」「何々、何かあった?」


 校庭の入り口階段で休んでいた女子たちが慌てて僕を見上げている。


「不審者が向かっているって速報を聞いたんだ。ツユリとユイは?」


「不審者!?」「え、なにそれこわいこわい」「それは流石にデマじゃ……」


「いいから二人は?」


 休んでいた女子三人が、校庭の中央を指さす。そこでは、女子たちの数名がドッジボールをしている。


「ツユリちゃんはまだ残ってるよ。意外にすばしっこくて生き残ってる」


「ユイちゃんは今朝のこともあって、今日は見学だって」


「ありがとう」


 僕は校庭に目を向ける。まだ目立った異常は発生していないらしい。


 だがそこで、女子の一人が「え……?」と困惑の声を漏らした。


「あの、黒い人、何? すごい勢いで走ってくる……」


「え、何あの人。先生? すごい大きいけど」


「え、ま、まさか本当に不審者――――」


 僕は姿勢を低くした。


「行ってくる」


 駆ける。


「キャッ!」「風すごっ」「うわー……もうあんな遠くいる」


 女子たちの声を置き去りにして、僕は走った。


 不審者らしき影は、ツユリを中心にして、ちょうど僕の点対称に存在した。


 そして、その手元には輝く銀色。


 ナイフ。


「ヨシマサ、君の情報網には本当に頭が上がらないよ」


 僕は走りながら、不審者の巨躯に段々と気づいてくる。まるで大岩だ。二メートル近くある。


 だが、僕は負けない。


「―――ツユリッ!」


「わっ、えっ、お兄ちゃ―――」


「うぉおおおおおお!」


「えっ、なに、誰っ!?」


 僕とツユリまで5メートル。不審者まで10メートル。


 僕は確信する。僕の方が早い。


 さらに足を延ばす。時間がまるでゆっくりになったような感覚に襲われる。


 僕はツユリへと手を伸ばす。不審者もナイフを構えているが関係ない。


 校庭の白線の中でドッジボールをしていたツユリを抱きかかえて背後にしながら、僕は右拳を振るった。


 ナイフを躱し、僕の拳は不審者の顔面に突き刺さる。


「うっ、がぁあああ!」


 不審者は僕の拳と自分の勢いによってもたらされた痛みに、もんどりうって校庭を転がった。


 地面に痕が残るほどの激しい鼻血を流している。


「ひっ……、な、何。お兄ちゃん、あの人、だれ」


「ツユリ、みんなと一緒に逃げて。僕は彼を相手する」


「えっ、き、危険だよ! お兄ちゃんも逃げよう!? 刺されたりなんかしたら―――」


「ツユリ、よく覚えておいて」


 僕は笑いかけた。


「僕の身体は鋼だ。僕の心配はするだけ無駄だ。だから、自分のことをまず考えて欲しい」


「……お兄ちゃん……?」


「みんな、ツユリを頼む」


 周囲で凍り付いている女子たちに呼びかける。彼女たちはそれでハッとして、ユイの手を取って校舎側に駆けていく。


「あ、やだっ、放して! お兄ちゃん!」


「大丈夫だから! 会長なら大丈夫だから、にげるの!」


「むしろ他の人が居たら足を引っ張ることになる! 早くいくよっ!」


「お兄ちゃんッ!」


 僕はツユリを安心させるように、ただ笑いかける。


 それから、振り返った。


 不審者が、澱んだ瞳で僕を見つめている。


 しずくが出来るほどの鼻血が垂れている。


「……お前じゃない。女だ。逃げてった長髪の小柄な女……! アイツを刺すように言われてんだよ……!」


「へぇ、それは良い事を聞いたよ。つまり、今回の騒動には糸を引いてる黒幕が存在するってことだね?」


「知るかよ……。俺は金さえもらえればいいんだ……。金さえあれば、やり直せるんだ……」


 不審者はナイフを構える。僕も息を吐いて、柔道の構えを取った。


「依頼殺人なんて、逮捕されて出てこられるとは思えないけれど」


「うるっせぇぇえ! 俺は! やんなきゃいけねぇんだよぉ! どけぇぇえええ!」


 巨躯の不審者は、僕目がけて走ってくる。……彼にも不憫な運命があったのだろう。


 だが、僕の恋人を狙ったのだ。容赦はしない。


「あくまで正当防衛で行くよ」


 突進してくる不審者に僕は言った。


「つまり、恐怖だ」


 接触。


 不審者は、空中2メートルを舞った。


「は? ―――ぁっ、ぐぁああ!」


 背中をしたたかに打ち付けた不審者は、再び激痛に地面で身もだえする。


「頑丈なことだね。恐らくその体はかなりの筋肉に包まれているんだろう。そんな君を恐怖させるのは至難の業だ」


「ぐ、う、何、言って……」


 立てないままに、不審者は僕を見上げてくる。


 そして、目を丸くした。


 恐らく、僕の手の内にある彼のナイフを見たためだろう。


「お、お前、そのナイフ……」


「これ? これは危険だから君から取り上げたものだ。そして」


 僕は微笑む。


「君を恐怖させるための、小道具だよ」


 僕はナイフを左手で掴んで、思いっきり右手に突き刺した。


「ッ!? ……は? 何で、貫通してやがらねぇ……」


 不審者は困惑する。その通りだ。ナイフを突き刺したが、僕の右手はナイフに貫かれていない。


 僕は、刀身全てが右手の中に埋まったはずのナイフを、そっと右手から離す。


 それを見て、不審者は震え上がった。


「あ、ああ、あああ、ああああああ!」


「言っただろう? 僕の身体は鋼だ」


 ―――ナイフは、ぐにゃぐにゃに折れ曲がっていた。


 まるで壁に叩き付けられた折り紙のように。


「ば、化け物……化け物……!」


「僕と戦った人って、全員そう言うんだよね。学校を牛耳ってた体育教師も、抗争を吹っかけてきた不良も、そう言ってたよ」


「う、うわぁあああああ!」


 不審者は全速力で逃げ出す。


 それに、僕は言った。


「ということだ。捕獲は任せたよ、みんな」


「「「「おうっ!」」」」


 僕の背後から、数人が風を纏って走り出した。イツメンや、ラグビー部の男連中だ。


 彼らはたちまちに不審者を取り押さえ、そ上からさらにタックルで不審者を押し倒してしまう。


 そして最後には、こんもりとした男の山になった。


「さて、これでいいかな」


 僕は振り返る。そこには、体育を管轄していた体育教師たちが、戦慄して成り行きに立ち尽くしていた。

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