第9話 バチバチ

 教室についてからも、ツユリの様子は変わらなかった。


「お兄ちゃん~♡」


 椅子に座る僕の上に座って、ゴロゴロと猫のように頬をこすりつけてくる。


 メチャクチャ可愛いんだけど、それはそれとしてちょっと感心する。


 昨日あれだけ引っ込み思案を晒していたというのに、吹っ切れると何も恥ずかしくないのだろうか。


「アレすげぇな……」


「ツユリちゃん、めっちゃ可愛いと思ってたのに……」


「いや、待て。そもそもあの会長だぞ? 美人なだけじゃ絶対になびかなかった、会長がイチャつく相手だぞ?」


「あっ……(察し)」


 周囲のぼそぼそと交わされる会話も、僕に夢中のツユリには届かない。


 なので僕が代わりにサムズアップを返しておく。


「おぉ……流石会長だ……」


「何だあの肝っ玉は……」


「とっても可愛いぞ、ツユリ」


「頼むから視線こっちから外してくんねぇかな」


「ツユリちゃんを見ろ。こっち見んな」


 そんな風に独自の雰囲気を構築していると、教室にユイが現れた。


「おはようアキラく! ……ん……」


 勢いがツユリのべったりさ加減を見て一気に削がれている。


「おはようユイ」


「……そ、それ……」


 強張った表情で、ユイは僕に引っ付くツユリを指さした。


 ツユリは、とても余裕な顔で言う。


「おはよう、ユイちゃん」


「……お、おはよ、う。……ツユリ、ちゃん」


 ギ、とまるで油を差していないロボットのようなぎこちない動きで、ユイはツユリに挨拶を返した。


「え、えと、その、……ツユリ、ちゃん。アキラくん、それ、どういう……?」


 青ざめた顔で困惑たっぷりに問いかけてくるユイに、僕はこう答えた。


「ユイ、僕はね……兄になったんだよ」


「ごめん全然分かんない」


 だろうね。


 僕がどう説明しようか、と考えていたところ、意外にもツユリが口を開く。


「昨日、お兄ちゃんが私に告白してきたの。だから、付き合うことにしたんだ」


 脚色がすごい。


 その言葉に、クラス中が騒然となった。


 こう見えてみんなと仲良しな僕だ。これから僕に構ってもらえないと寂しがっているのだろう。


「お、おい。ってことは、会長のヤンデレハーレム計画がとうとう始動したのか……?」


「ってことは、妹ちゃんは、やっぱり……」


「みんな、警戒しろ。会長のことだから会長の周りは無事だろうが、俺たちは巻き込まれたら最悪命を落とすぞ」


 おかしいな……、思った反応と違う。


 一方見るから精神の安定を失っているのはユイだ。


「……アキラくん?」


 光の失せた瞳で、ユイは僕を見つめてくる。


「アキラくん、約束、思い出してくれるって……」


「それはもちろん思い出すよ」


「なら、今思い出して」


 中々の無茶振りをしてくれる。


「ごめん、難しい。せめて、何か材料があれば」


「なら、これでいい?」


 ユイは僕の襟首をつかんで、強引に引き寄せた。


 そして、そのまま僕の唇を奪っていく。


「うおおおおおおお」


「ヤバいぞ! 何だアレは! ものすごいことになってるぞ!」


「修羅場だ! 昼ドラですら中々ないような修羅場があそこにある!」


「すげぇ……美少女二人に取り合われてるのにみじんも羨ましくねぇ……」


 長々とキスをかましたユイは、潤んだ、縋り付くような目で僕を見つめてくる。


 それが、昔の、別れ際の彼女の姿と被って見えた。


「……どう? 思い出して、くれた?」


「……うん、思い出したよ」


 胸に訪れた懐かしさ。あの初恋の感触。


 僕は言う。


「『大人になったら、結婚しよう』、だったね」


「―――――ッ! アキラくんっ!」


 ユイはツユリを押しのけて、僕を強く抱きしめてくる。


 女の子特有の、華奢で柔らかな感触が僕を包み込む。


 一方、目を剥いて僕らを見つめるのがツユリだ。


 ユイに押しのけられ、教室の地面に手をついている。


「……え、なに、それ。え? だ、だって昨日、お兄ちゃん、私に……」


 ツユリは一気に僕の傍を奪われて、涙目で呆然と突っ立っている。


 僕も流石にここまでユイの攻撃力が高いと思っていなかったので、中々に面食らっている。


「ゆ、ユイ? その、人前だか、んむっ」


 僕が流石に物申そうとすると、ユイはそれをさらにキスを重ねる形で封じた。


 強い、強いぞユイ! パワー系ヤンデレ幼馴染だったのか君は!


 僕は湿度のパワーでねじ伏せられ、もがく以外に抵抗の手段を失ってしまう。


「あ、ああ、ああぁあああぁぁ……!」


 ツユリはまるで悪夢が目の前に起こったかのように、顔を蒼白にしながら震えていた。


 涙を流し、勢いのあまり立ち上がり、そして耐え切れずその場を脱出する。


「逃亡! 妹、逃亡!」


「これは強いぞ転校生! すでにコールド勝ちが決まりつつあった状況をパワーでねじ伏せた!」


「すげぇなアレ……。でも妹ちゃんはいうて同じ家に住んでるんだろ? ……明日、会長生きてるかな」


「流石の会長でも危ういかもしれんな、これは……」


 外野が好き勝手実況しているのを感じながら、僕はユイから唇を話される。


 僕とユイの唇の間で、一瞬橋がかかり、そして消えた。


 艶めかしく微笑んで、ユイは言う。


「ね、ツユリちゃんが言ってた、付き合ってるのって、本当?」


「それは……、事実ではないね」


「あは、だと思った。じゃあ~……アキラくん、私と付き合わない?」


 そう言うユイの、朝の光に包まれた笑みの綺麗さったらなくて。


 本当なら、ツユリとのそれこれを考えて悩むところなのだろうけれど。


 僕の夢から逆算すれば、僕の答えは、決まっている。


「いいよ。付き合おう、ユイ」


「嬉しい♡ 大好きだよ、アキラくん」


 ユイは最後に、僕に触れるようなキスをした。


 教室のどこかで「勝者! 幼馴染ぃぃいいいいいいいい!」と勝鬨の声が上がった。

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