第7話 お兄ちゃん

 その夜のことだった。


 僕がベッドで微睡んでいると、コンコンとノック音が響いたのだ。


「どうぞ、ツユリ」


「し、……しつれい、します」


 パジャマ姿のツユリが、ぎこちない動きで部屋に入ってくる。


「どうしたんだい?」


「え、えっと、その、あの……。ひ、一人でベッドに寝てると、その、あの」


 顔を真っ赤にしてツユリはアワアワしている。


「不安?」


「そう! ふ、不安、だから……」


「読み聞かせでもしようか」


「そっ、そんな子供じゃないもん! あ、え、えと」


 もん、いただきました。


「じゃあどうしようか。一人が不安と言うなら、いっそ添い寝でもするかい?」


 冗談のつもりで言ったら、ツユリは顔をさらに赤くして、こくりと頷いた。


 ……なるほど、大胆だな。


 僕は感心する。


「じゃあ、いいよ。不安にさせないために全力を尽くそう。こっちにおいで」


「う、うん……」


 ツユリはロボットみたいな足取りで僕のベッドまでくる。


 そして僕が開いた布団のスペースに、緊張気味に入り込んできた。


「こ、こっち見ないで……! あ、あっち向いてて」


「いいよ。こうかな」


 指示に従って僕は壁に向かう。


 その背中に、ツユリはぴったりと密着してきた。


 とても女の子の人肌を感じる。


「……ツユリ?」


「し、静かにっ。……静かにしてて……」


 とのことなので、僕は黙る。


 ツユリも沈黙する。


 ……これはアレか、このまま寝ろという事か。


 ちなみにだが僕も男の子なので、普通に今日は寝られない自信があるぞ!(ドヤッ)


 そんな益体もないことを考えていると、ツユリがか細い声で尋ねてきた。


「ねぇ。……私の生い立ちとかって、聞いてる?」


「うん、聞いているよ」


「そっか……。どう思った?」


「難しい質問をするじゃないか」


 僕が言うと「だよね」とツユリは言った。


「……別に、幸せになりたいとか、今更思ってないよ。幸せな家庭なんか知らないし。でも、分かったように可哀そうとか、そう言う風に思われるのは、嫌」


 分かんない癖に、とツユリは言う。


「みんな、最初に分かったような顔をするの。可愛そうな子だねって。たらい回しにされてきた不安とか、心細さなんて、一ミリも分かんない癖に」


 だって、分かるなら、あんなことしない。


 ツユリは言葉を絞り出すように呟いた。


「腫物を扱うみたいにしないでよ。難しいなんて言って遠ざけないでよ。置いて行かないでよ。一人にしないでよ」


「うん」


「死神だなんて呼ばないでよ。疫病神だなんて言わないでよ。私の所為じゃないもん。お父さんになった人とお母さんになった人が分かれたり死んじゃったりするのは、私の所為じゃないもん……!」


「……うん」


 ツユリは、僕の服の背中に縋りついて、すすり泣いていた。


「私に、居場所なんかない。いっつも転校生で、いっつも相手の連れ子で。私陰キャだから、転校したばっかりで友達なんかできないし。連れ子だから、家族と思える人もいないし」


「……」


 僕は、とうとうかける言葉を失った。


 本当に、居場所のない人生を歩んできたのだろう。


 親を亡くしたことは僕にも経験がある。だから、その苦しさも想像できる。


 だが、ここまでの孤独を、分かった振りなど出来ない。


「ねぇ、……居場所になってくれるって、言ったよね」


 ツユリが、低い声で僕に確認を取ってくる。


「ああ、言ったよ」


「それは、つまり、私のことを一番に構ってくれるってこと? 私のことを寂しがらせたりしない。ずっと私の傍にいる。……そういうこと?」


 念押しするような確認に、僕は背筋がゾクゾクと粟立つのを感じる。


 これだ。これだよ。これを求めていたんだ。


「それを願うのなら、僕はそのために努力するよ」


「努力じゃ、ダメ」


 背中の服を掴む手が、ぎゅっと強くなる。


「約束して。私の家族になるって言うなら、私を一番に優先して。私だけを見て。私を寂しくさせないで。じゃなきゃ、許さないから」


「ああ、分かった。約束しよう。ツユリを決して寂しくなんてさせない。……これでいいかな?」


「……こっち、向いて」


「うん」


 寝返りを打つようにして振り返る。


 ツユリは、深い瞳でじっと僕のことを見上げている。


「本当に、約束してくれる? 本当の、本当に? ……私だって、面倒くさいこと、言ってる自覚、あるよ? じ、自信が、ない、なら。……今からでも、断って」


「バカだな、そんな泣きそうな顔をしてるツユリを前に、約束しないわけがないじゃないか」


 ツユリをそっと抱き寄せる。


 すると、ツユリは一層泣きそうに瞳を潤ませた。


「……約束、破ったら許さないから」


「うん」


「破ったら、私、何するか分かんないんだから。本当、だからね」


「うん。望むところだ」


「……本当に約束してくれるの?」


「ああ、約束する」


「本当の本当に?」


 この面倒くささが堪らない。


「本当だよ。約束する。ツユリを絶対に寂しくなんかさせない。ツユリが寂しくなったら、何をしてくれてもいい。約束だ」


「……うん。約束」


 ツユリはもぞもぞと体を動かして、より僕に密着するような体勢を取る。


「よろしく、ね。……お、お兄、ちゃん」


 ツユリは言って自分で恥ずかしくなったのか、そのまま僕の胸に顔をうずめてきた。


 ああ、最高だ。何という事だろうか。


 神様、あなたは本物です。


 あなたのお蔭で、僕はたった一日でヤンデレ妹をゲットしてしまいました……。


「感動で涙が出そうだ……」


「ふふっ、……大げさ」


 僕にべったりくっついたまま、ツユリは目だけ出して、上目遣いに僕を見る。


 それに見返すと、恥ずかしがってまた顔を完全にうずめてしまうのだ。


 何だこの可愛さは。


 僕は何かもう、浄化されそうな気分でツユリをそっと抱きしめて眠るのだった。

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