第6話 ツユリ
今日は転校生が二人というイレギュラーこそあったものの、他は平常運転だった。
つまりは、昼食も放課後も生徒会活動で完結してしまったという事だ。
不安がっているツユリに付いていたくもあったし、積極的にこちらにアピールしているユイと話したい気持ちもあったが、まぁ仕方ないことだろう。
そんな形でいつも通りヨシマサと下校を済ませて家に帰ると、リビングの奥で人の気配がした。
「ただいま」
「……お、おかえ、り」
不安げにリビング入口まで駆け寄ってきて、扉の影からこそっとツユリはこちらをうかがってくる。
何とも小動物チックな動きで愛らしい。
なので直接伝えてみた。
「可愛いな、ツユリは」
「かっ、かわっ……!?」
「さて、宿題をササっと済ませてしまおう。ツユリはもうやったかい? やってないなら一緒にしよう。前の学校との進捗のズレもあるだろうし、困ったことがあれば教えるよ」
「……うん。ありがと」
意外にも、一日二日でツユリの警戒はかなり解けているらしい。
嬉しいことだと思いながら、僕はツユリに並んで宿題を始めた。
「ふう、終わりっと」
そして終わった。
「えっ、早くない?」
「毎日回答を書いたメモを飲んでるからね」
「それ絶対お腹壊すよ。ちょっと見せて」
ツユリが僕の回答を奪い、模範解答と見比べた。
そして瞠目する。
「ぜ、全部合ってる……」
「ふふっ、これが全国模試一位の実力だとも!」
「えっ、すご……。べ、勉強見てもらっていい?」
「もちろんマイシスター」
「そのマイシスターっていうの止めて。ツユリでいい」
マイシスター禁止令が下ってしまった。悲しい。
だが、これで名前呼びが公認になったので嬉しさもある。
「ツユリ」
「な、なに」
「呼んだだけ」
「うざ……」
「と言うのは冗談で、そこ間違えてるよ」
「えっ、ど、どこ……?」
手の平の上でコロコロ転がってくれるので会話していて楽しい。
そんなこんなで宿題も無事終えた僕らは、自由時間となっていた。
僕はキッとツユリを見つめ、宣言する。
「さて、ではツユリ、昨日のリベンジと行こうじゃないか」
「……リベンジ?」
「昨日の手ミぉカートでは惨敗を喫したからね。今日こそ勝ってみせる」
「ああ……」
ツユリは昨日、二人揃って寝落ちしたあの激闘を思い出し、言った。
「無理じゃない?」
なんて残酷な答えなんだ。
「そんなことない! 何故だ! 何故そんなことを言うんだ」
「え。だっておに、えっと、あなた、弱すぎるし」
今お兄ちゃんって呼びかけたね?
「おに……?」
「な、何でもない! 何でもないから!」
「そうか……。分かった、なら一度話を変えよう」
僕は一度咳払いをして告げた。
「では、今日は単なるゲームではなく、願望をかけた真剣勝負としよう。ツユリが勝ったら、僕はツユリの言うことを何でも聞く。逆に僕が勝ったら、ツユリには僕を『お兄ちゃん』と呼んでもらおう」
「話変わってない!」
ツユリの猛反発を無視して、僕はゲームを立ち上げた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
勝敗は決した。
「う、嘘……」
「ふっ、これが実力だよ」
僕は順位を見て、余裕の笑みを浮かべた。
「あんな約束するから本当は強いんだと思ったのに、やっぱり弱すぎる……」
「……」
そう、僕の惨敗だった。
ツユリは連続一位。僕はCPU含めて連続最下位だ。
「よくあんな勝負持ちかけられたね」
「勝つ自信があったからね」
「どこから来るのその自信」
「若者特有の根拠のない自信だよ」
「それ若者本人が言っていい言葉じゃないと思う……」
ということで、僕の敗北が決まった。
「ふーん……。さっき、何でも言うことを聞くって言ったよね?」
「言ったとも」
どんな無茶振りをされるかワクワクしてくる。
ちなみに男連中でこう言って負けた時は、シンプルに奢らされた。
回らない寿司……高かった。
「じ、じゃあ、あの人のこと、お、教えて」
ずい、と真剣な目で迫ってきたツユリは、至近距離で僕の瞳を見つめてきた。
「あの人、とは?」
「だ、だから、今日私と一緒に転校生だった、あの」
「ああ、ユイのことか」
「そ、そう。……どんな関係なのか、とか。包み隠さず」
「ふむ……」
僕は考える。
ユイとの関係性だけではない。ツユリが僕に抱いている感情が何か、までも。
「ひとまず、その答えだけれど」
ツユリがごくりと固唾をのむ。
「幼馴染だよ。小学五年生まで仲が良かった。大切な約束を交わしているけれど、その内容は生憎と思い出せていない。……これが全てだね」
「……そ、その約束って」
「僕も分からない」
「そ、そう……」
ツユリは下唇を噛んで、浮かせていた腰を地面につけた。
それから、視線を右往左往させながら、所在なさげにくるくると指で髪をいじっている。
これは……。
「……不安、にさせたかな」
「っ!」
僕が聞くと、ツユリはビクリと肩を跳ねさせる。
見るも明らかな図星だ。
「ふっ、不安って、何!? わ、私は何も不安じゃない! べ、別に、こんな気持ち、どうにでもなるし。そんな、大したことじゃ」
目を剥いてまくし立てるツユリ。その顔は、変なところに力が入って強張って見える。
僕は悟る。ああ、これは僕が悪い。
人の感情の、ひどくやわらかで、繊細なところに触れた感触だ。
「不安にさせてごめん。僕が君を安心させなきゃならなかったんだ。だって僕は、君の兄なんだから」
僕は謝罪の念を込めて、誠心誠意頭を下げる。
すると。
「……う」
ツユリの瞳から、ぽろりと一滴が落ちる。
「何、よ。昨日、いきなり兄になった、だけの癖に……!」
「え、あ。ご、ごめん。まさか泣かせてしまうだなんて。ああ、泣かないで。えっと、このハンカチを使って」
「う、うぅぅうぅぅ……!」
ボロボロと、ツユリは涙をこぼす。
「わ、わたっ、私の、こと、何も、知らない癖、に」
「うん、そうだね。知らない。―――だから、知っていきたいと思う」
「……分かん、ないっ。私、分かんない、よ。何で、そんなに優しくしてくれる、の? 今まで、こんな人、い、いなかった……! 死神とか、疫病神とかいって、みんな嫌ってきたのに……!」
「……家族だからね。家族には優しくするさ」
「信じられないッ!」
ツユリは力任せに、ハンカチで涙を拭う僕の手を振り払った。
そして勢いそのままに叫ぶ。
「家族なんて、家族なんてもういない! 私の本当の家族は、パパとママだけ……! もう、どっちも死んじゃった、あの二人だけ……!」
「……辛かったね。僕にも、経験がある。僕の実の母さんも、早くに逝ってしまったから」
「あ……」
僕の言葉に、ツユリの勢いが一気にしおれていく。
「ねぇ、ツユリ」
僕は彼女に微笑みかける。
「君の言う通りだ。昨日今日で知り合ってはい家族、だなんて都合のいい話もない。だから、僕は頑張って、君の家族になりたい。君の安心できる居場所になりたいんだ」
「……何で……? 私、性格悪いし、陰キャだし、そんな風に思ってもらえる要素、ないよ……」
「何を言うんだ! 君は僕の冗談に付き合ってくれる。それだけで僕にとっては魅力的だよ!」
「……え、そこ……?」
「だいたい考えても見てくれ。僕の話を聞きに来たって言うのに、男子連中め。僕が懇切丁寧に説明したら、『解散!』と来たもんだ! こんなにひどいことがあるか!」
「ああ、今朝の……絶対気にしてないと思ってた」
「まぁ気にしてないんだが」
「今の話なに?」
「ともかく」
僕はツユリに向き合う。
「すでに、僕はかなり君のことが好きなんだ。僕の冗談にここまで真摯に向き合ってくれる女の子はそう居ない。そんな君が家族としてここにいる。それがどれだけ幸運なことか」
「す、すき、え、あ、……うぅ」
「僕は、それに報いたい。僕が君を好きなのと同じくらい、君に僕を家族と認めてもらいたい。そのためなら何だってするさ」
「……」
ツユリは、顔を真っ赤にして僕を見つめていた。
それから、躊躇いがちに、おずおずと、僕に体を預けてくる。
「ツユリ……」
「あ、安心、させてくれるって、言った……!」
「……そうだね。安心して欲しい。ここは君の家だ。君の居場所だ」
そっとツユリを抱きしめる。
ツユリは僕の胸の中で、静かに縮こまっていた。
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