第44話 師走の雪解け

 季節は移ろい師走ももう暮れの頃、祐之進達が床上げをしてから早くも一ヶ月が経とうとしていた。久しぶりに晴れたこの日、祐之進とアオは浜路に簡単な使いを頼まれた。なんでも庄屋の家に正月用の餅や野菜を取りに行って来いと言うものだった。この村では其々の家から餅米を持ち寄って、正月用の餅を皆んなでついて配るという習慣があるらしく、浜路も餅米を庄屋に預けていたのだった。


「何故そのようなまどろっこしい事をするのだ?其々の家で餅をついたら良いじゃないか」


 踏み固めららた雪道を、庄屋の屋敷へ向かって二人はつらつらと歩きながら祐之進は不思議そうにアオに尋ねた。


「俺も良くは分からないが、農家にも貧富の差があるのさ、だから少しづつ餅米を持ち寄って正月くらいは皆んなで平等に餅を食べようと言う事らしい。それに、杵と臼がこの時期足りなくなるらしい。一箇所で餅つきをした方が理に適っているんだよきっと。結構、餅をつくのは手間のかかる作業で、」

「え?ちょっと待ってくれ」


 祐之進はアオの話を遮った。


「そんな物が足りなくなるってどう言う事だ?」

「それはだな…」


 アオがそう言おうとした時、ちょうど良く杵と臼を積んだ大八車が牛に引かれてゴトゴトとやって来た。


「出張餅つきと言うやつだ。この時期の農家の副業なんだ。江戸で商家や武家屋敷なんかに出向いて餅をついたり、門松を作ってやったりするんだ。ほら、あんな風にな」


 道の先から今度は竹を沢山積んだ大八車が近づいて来た。牛の手綱を引いていたのは見知った男だった。


「おや、若様じゃありませんか、お身体はもう?」


 そう声をかけて来たのはいつもは田畑を耕している七助と六助の兄弟だった。


「今から餅をつきに行くのか?」

「へえ、さようで」


そうのんびりと六助が答えると、七助が二人に近づいて来た。


「ところで若様、刀傷の具合はいかがです?」

「うん、ありがとう。もうだいぶ良いよ」

「冬は傷の治りが治りが遅いと聞くが、やっぱり若さって事ですかねえ。

どうぞ養生なさって下さいまし、それでは良いお歳を」

「ああ、其方も」


 そう言って去り際に七助がアオの肩をポンと叩いた。たったそれだけの事だったがアオも祐之進も驚いた。


「…これは…どう言う事だ?」


 そんな事をされ慣れていないアオが去っていく大八車を見送りながら身体を固まらせている。


「ええと、それはきっと…其方にも良いお歳をと挨拶をしたのじゃないか?」


 いつも嫌悪の眼差しで見られていたアオだったが、近頃はこんな事がままあるのだ。知らない老婆がにこやかにアオに挨拶をして来たり、焚き火のそばを通り過ぎた時などには、紙に包んだ焼き芋が懐に捩じ込まれたり、第一子供がアオから逃げなくなった。

 アオが身体を張って村人を守ったと言う噂が立つと、村人の気持ちや態度が少しづつ変わって来たのだ。人間なんて都合のいい生き物だなと祐之進は思わないではなかったが、それはやはり嬉しい変化に思えた。


「うん、良い事だ。良い事だよアオ」


 祐之進はご満悦だった。少しづつアオがこの村に、と言うよりも「人」に馴染んできているようで、早くも春の雪解けを感じて暖かな気持ちになるのだった。


 庄屋の家に近づくと、餅米の蒸された甘い香りが漂って来た。それと同時に餅をつく音や威勢の良い掛け声が屋敷の庭から溢れてきた。この日庄屋の屋敷の庭はこんなに村人がいたのかと思うほどの人だかりでまるでお祭り騒ぎだった。餅米を洗う人、蒸すひとこねる人。ついた餅ははじから村人総出で丸めて行く。

 そんな中へ祐之進達が入ってくると、一斉に二人に視線が注がれた。慣れというのは恐ろしいもので、咄嗟にアオは視線を避けるように下を向く。


「若様!若様自らお使いですか?ご苦労様でございます。もう餅の用意は出来てございますよ」


 奥から頰被りをした庄屋の内儀が餅の入った風呂敷包みを重そうに抱えてきた。


「先日は美緒ちゃんを助けてくださって、本当にありがとうございました。若い身体に刀傷まで作って守って下さって本当に申し訳ないやら有難いやら」


 そう言われるとこそばゆい。自分は闇雲に刀を振り回していたに過ぎない。実際に人斬りを退治して美緒を助けたのは父なのだ。自分はただ斬られただけ。


「いや、私はなどさほどお役には…」


 そう謙遜していると、足元で麻袋に野菜を詰めていた庄屋の下男が声を上げた。


「そんな事はありません!皆んなあなた方に感謝してるんでさ。さすが田村の若様だってね」

「…はあ、あははっ、、」


 誉め殺しにされると居た堪れなくなる。アオも人混みに居心地悪そうな顔をしているし、祐之進達は挨拶もそこそこにそそくさと屋敷から飛び出していた。帰り道、何となく祐之進の足は軽かった。目の前に広がる白銀の田畑を見た途端、祐之進は餅の風呂敷包みを背負って雪原に駆け出していた。


「祐之進?急にどうしたんだ!」

「どうしたもこうしたも、ただこんな気分だったのだ!」


 そう言うと祐之進は足元の雪を掴んで丸めると、笑いながらアオに向かって投げつけた。雪は見事にアオの顔に命中した。


「このぉ〜!不意打ちとは卑怯なり!おのれ後で泣くなよ!祐之進!」


 そう言うとアオは野菜の入った麻袋を投げ出して雪原の中へと突進していった。突如勃発した雪合戦に、二人は笑って叫んで転がって、息が上がるまで遊び呆けた。最後にはどちらに軍配が上がる事もなく戦はうやむやのうちに終結を迎えた。

 雪まみれの二人が上機嫌で帰宅すると、屋敷の裏木戸に見慣れぬ男が立っていた。祐之進が声をかけた。


「どちら様でしょうか。拙宅に何か御用でも…」


 相手が名乗るより先に、その立ち姿に覚えのあるアオが名を呼んだ。


「…津島殿…」

「お久しぶりです、蒼十郎様」


 そう言って会釈をした男は黒い編笠の男こと島津周作だった。アオの顔が俄に曇った。






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