第45話 その先は…。

 何を話しているのだろう。気になる。


 一先ず家にと言う祐之進の申し出を断り、野菜の入った麻袋を祐之進に託したアオは島津と共に何処かへ出掛けて行った。島津と言えばアオにとっては父の家臣だが、祐之進にとっては「黒い編笠の男」だ。彼がアオの母の死を知らせに来た直後、アオは中洲に自ら火を放って自死を図った。

 胸騒ぎがするのも当然だった。二人の表情から察するに、とても久しぶりの再会を喜ぶと言うような風では無く、二人の間に何か重苦しいものが介在している事を祐之進は感じていた。


 いったい何を話に来たと言うのだ。

今度は父君に何かあったのだろうか。それとも家に帰って来いとでも言うのだろうか。


 考えても仕方ないと腰を落ち着けてみるが直ぐに立ち上がり、障子を開けたり締めたり果ては廊下にうろうろと出てみたりと無意味な動作を繰り返す。そうこうするうちに意外と早くアオが戻ってきた。祐之進は堪らず飛びつくように駆け寄った。


「アオ!どうしたのだ?島津殿は何故アオに会いにきたのだ」

「ああ、なに大した話では無いよ。父上から様子を見て来いと言われたのだろう」


 努めて明るく、いつも通りに話すアオの表情の中に祐之進だからこそ分かる憂いが見える。


「嘘だ!私は誤魔化されないぞ!私に嘘をつくなアオ!」

「馬鹿だな、祐之進。何を早合点しているのだ。何も無い俺にこれ以上何があると言うのだ」

「誤魔化すな!」

「誤魔化してなどいない」

「嘘だ嘘だ!何処かに行ってしまう気だろう!」

「祐之進…」

「嫌だアオ!其方が居ないうつつなど悪い夢と同じだ!」


 まるで聞き分けのない駄々っ子になってしまった祐之進が、喚きながらがむしゃらにアオに縋り付く。

真っ直ぐに恋慕の情をぶつけてくる二つ歳下の弟のような可愛い少年、友というには近すぎて、情人と言うにはまだ浅い。だが誰とも繋がっていないアオにとって、祐之進は己の世界の全てに等しい存在になっていた。そうなる事を恐れて避けたつもりが、いつの間にか人並みに幸せを求め手を伸ばしていた。アオにとっての祐之進はその先に咲いていた美しい一輪の花だった。

 とうとうアオは作り笑顔を保てなくなってしまった。今まで必死に押し殺してきた感情が決壊を迎えた水流のように押し寄せ膨れ、そして溢れた。アオは縋り付く祐之進の身体をあらん限りの力で抱き竦め、喚くその唇を己の唇で塞いでいた。それは啄みとは違う祐之進が初めて知る大人の口付けだった。

 いったいどのくらい自分達はこうして口づけあっていたのだろう。気付けば行燈に灯りがともる時刻になっていた。


「アオは…狡い…」


 震える声で縺れる舌でようやくそれだけ言えた言葉。

 こうすれば私が黙ると思っているのだろう。そう言いたかったが言葉が上手く出てこない。実際に祐之進は誤魔化されてしまっていた。初めて交わした濃厚な口付けに、祐之進の腰は砕け、脳髄は痺れ、顔はまるで火を吹いたように熱かった。アオの支えがなければとうにぐずぐずと座り込んでいたに違いない。

 この夜、浜路が夕餉の時間だと呼びに来るまで、そんな祐之進をアオはただ黙って手放すことなく抱きしめ続けていた。


 好きあっている同士なら、当然この先を望むものではないのか?アオが望むなら、衆道の契りを交わしたって構わない。私の気持ちを知りながら、あんな風に口付けて、自分だって私のことを好きなくせにアオはいったい自分達の関係をどうしたいと言うのだろう。寡黙にも程がある。


 この夜、布団を並べそれ以上の何を求めるでもなく背を向けて眠てしまったアオを憎らしく思いながら、祐之進は眠れぬ夜を明かしたのだった。


 あれから何度となく島津殿が会いに来た理由を問い詰めたがアオからは祐之進が納得するような答えは得られず、二人の関係も一向に進展しなかった。いつものように寝起きし、いつものように食事を共にし、いつものように他愛もない事を語り合った。それでも以前はなにものにも変え難いほど幸せだったのに今は少し違う。

 祐之進は欲張りになっている自分を感じていた。それは何かに急かされているような気持ちに似ていた。ゆっくり関係を深めていけば良いと思う反面、何故こんなにも何かにせき立てられる気がするのだろう。祐之進のそんな気持ちは日毎に強くなっていった。


 もっと其方に触れたい。もっとアオが欲しい。なぜ、アオはそれ以上の何かを求めてこないのだろう。弟から兄に強請っても良いのだろうか。


 衆道のなんたるかは朧げに知っていても、具体的にどうすれば良いのか祐之進は分からない。けれどもアオを思う時、身体の内側から湧き上がるこの熱をどうにかして欲しいと心底思う。そんな風に悶々としながら祐之進はこの村で過ごす初めての正月を迎えていた。

 武家の長男にとって、年末年始は父と共に家臣達の挨拶を受けたり、城に参内したりと忙しいはずだが、あの口煩い父からは正月に帰って来いの一言もない。いよいよ本当に自分は見捨てられたのかとホッとした反面、寂しい気持ちにもなった。

 父もアオもいったい何を考えているのだろうかと祐之進は何処か釈然としないまま時は過ぎ、小正月を迎える頃になっていた。


「春が待ち遠しいですね」


 縁側で浜路がまだ枯れ枝に近い桜を見上げながら、小正月用の繭団子を柳の枝に刺していた。


「何をしているのだ?」


 国元の屋敷ではとんと見かけたことのない繭団子を祐之進は珍しそうに覗き込む。


「この村は皆田畑で生計を立てていますでしょう?一年の五穀豊穣を願って、一月十五日にここいらでは餅粉で作った団子をこんなふうに小さく丸めて柳の枝に刺して飾るのです。

ほら、まるで花が咲いてるみたいでしょう?だからこれを花餅とも言うんだそうですよ?」

「我が家は農家ではないのに五穀豊穣を願うのか?なんだか変だ」


 そんな話をしていると、アオが何やらたたまれた書状を持って二人の元へとやって来た。


「これ、今そこで文吾殿が…。お父上からの文だそうだ」

「父上から…?」


 祐之進に嫌な予感が走った。こんなに突然、なんの前触れもなく己に文など。帰って来いと言う文だろうか。それとも…。文を差し出しているアオの表情が何処となく重苦しく感じるのは気のせいか。

 胸騒ぎがする。これを受け取ってはいけない気がする。躊躇していると、浜路に早く受け取れと促され、祐之進は仕方なく書状を手にした。覚悟を決めて書状を開く。それは父の筆で短く簡潔に書かれていた。


『三月十日。元服の儀あい整った。近々一度帰れ 父』















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