第34話 蜻蛉玉

 体当たりをしたアオは弾かれて地面に吹っ飛んだが男はよろめいただけで直ぐに体勢を立て直した。ボロの着物にヨレた袴。乱れた総髪で髭面だが、男は刀の構えが様になっている。アオには男が侍に見えた。


「お主、何者だ!何故こんな事をするのだ!」


 尻餅をついたままジリジリと後ずさりながら、アオが問うた言葉に男は何も答えずギラギラとした目ばかりが夜目に冴えていた。 


「アオ…!」


 祐之進と浜路がアオの元へと震えながら這いずって三人は一塊となって身を固くした。男は一歩、二歩と三人に近づき刀を振り降ろした正にその時、三人の頭上でその切っ先がピタリと止まった。祐之進達の背後から物々しく走ってくる何人もの気配があったからだ。それにいち早く気づいた男は不意に身を翻し木立の中へと姿を消した。


「捕まえろー!林の中だー!」


 雪崩を打つように駆け込んできたのは夜回りをしていた活気盛んな村の若い衆達が数名。皆手に手に鎌やクワを持ち、男が消えた林の中へと突撃して行った。


「大丈夫か?!アンタ達!」


 一人の村人が竦んでいた三人に駆け寄ってきた。


「今夜はもう二人も斬られとる!アンタら助かって運が良かった…。いや、この男を含めると三人斬られたってことになるな…」


 傍らで絶命している行商人を見つけた村人は怒りの表情で惨たらしい骸から目を背けた。


「三人?三人とはどう言うことだ?他にも斬られた者がいるのか?」


 慌てて祐之進が村人に尋ねた。三人の顔はあまりの驚愕に顔色を失い強張っていた。


「この林の中で百姓が二人殺されいてな、ちょうどそれを調べていた所にアンタらの悲鳴を聞いて駆けつけてきたんだ」

「そ、そ、そのお百姓さん達はいつ殺されたのですか?」


 恐る恐る震える声で浜路が尋ねた。


「恐らく数日前だ。ここいらは人通りが少ないからな直ぐには見つからなかったんだろうさ」


 そう言えば数日前からやけにカラスが騒いでいた。

それに思い当たって三人は一様にゾッとした。


「とにかく、今日のところは早く帰えんな!戸締りはしっかりして家から一歩も出るんじゃ無えぞ!」


 そう言って村人が三人の顔を龕灯がんどうの灯りで照らした時だ、その表情が俄に曇った。視線はアオへと向いていた。


「…お前、中洲の…鬼…」


「襲った男は侍風だった。多分、腕がたつから用心してかかった方が良い」


 己が怪訝な目で見られているのは分かっていたが、アオは事もな気な様子でそう忠告すると、腰を抜かしている浜路を抱えて立ち上がる。だが、このやり取りにカチンときていたのは寧ろ祐之進の方だった。アオに不躾な眼差しを向ける村人に食ってかかったのだ。


「これで分かってくれただろう?アオは断じて人斬りでは無いって事が!」

「…止めろ、祐之進」

「でも…っ!」

「祐之進!」


 アオは祐之進の出過ぎた一言を嗜めると、村人へと軽く黙礼して歩き出す。狭い一本道も林の中も、人斬りを探す沢山の龕灯がんどうが忙しく揺れていた。飛び交う怒号がこの静かな筈の村の夜を一変させていた。


「一人や二人ならいざ知らず、こんな狭い村で全部で五人斬られたなんて…異常な事だと思わないか?アオ!」

「そうだな。それより、今にも斬ろうとしていたあの男の目を見たか?祐之進」

「目?」


 祐之進は首を横に振った。恐ろしさで男の目など見る余裕もなかったのだ。だかアオは違った。


「あの男と対峙した時、あの目は尋常な者の目では無かった…」

「と言うと…?何かに取り憑かれているとか…」

「分からない…だが、到底正気とは思えなかった」


 それきり二人の会話は途切れた。恐ろしい目にあったと言う訳の分からない気持ちの昂りに、三人とも何か喋る気持ちには到底ならなかった。其々が考えに耽りながら黙々と歩く道すがら、ふとアオの足が止まった。


「どうしたのだ?アオ」


 アオは爪先に当たった小さな何かを拾い上げた。それは蒼いガラスで出来た蜻蛉玉に見えた。女の玉簪から落ちた物だろうか。海を思わせる深い蒼に、まるで白鷺が飛んでいるような白い模様がついている美しい蜻蛉玉だった。


「……そんな…馬鹿な!」


 アオの顔色が急に変わった。蜻蛉玉を摘む指先が小刻みに震え出し、その蜻蛉玉を驚愕の眼差しで凝視した。


「どうしたのだアオ…?」

「そんな、そんな事がある訳がない!これがどうしてこんな所に…あり得ない!」


 祐之進はこんな形相のアオは今までに見た事がない。

それほど鬼気迫る顔だった。


「この玉がどうしたのだアオ!」


 アオは目眩に襲われて呼吸も乱れ、浜路を支えることすらままならず道に膝をついて崩れ落ちた。慌てて祐之進はアオの身体を支えてその表情を覗き込む。


「そんな馬鹿な…そんな馬鹿な事が…これはどう言う事なのだ祐之進!この玉は…この蜻蛉玉は…亡き鴇忠殿の物だ…!」


 一瞬、祐之進は聞き違いかと思った。


「それはどう言う…事…?」

「俺が知りたい!これは、これは俺が鴇忠殿に贈った物だ。鴇忠殿と衆道の契りを交わす代わりにと互いに蜻蛉玉を贈り合ったのだ。それが…それがこんな所にあろうはずがない!」


 ワナワナと唇を震るわせながらアオが話す言葉に祐之進も混乱していた。


「そんな…、見間違いではないのか?よく似た蜻蛉玉ではないのか?」

「蜻蛉玉はこの世に二つと同じものは無い。俺の名前の蒼にまるで一羽の鴇が飛んでいるようなこの模様が気に入って、俺が鴇忠殿に贈った物に相違ない!これを俺だと思って大事にすると刀の下緒に下げてくれたのだ!その蜻蛉玉を俺が見間違うはずはない!それが、何故こんな所に落ちているんだ!」













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