第33話 捨て身

「難産だったけど無事に産まれて良かったこと。それにしても大きな赤ちゃんだった!ふふっ」


 細い林の一本道をほくほくとした顔の浜路が独り言を言いつつ家路を急いでいる。この日、朝から浜路は懇意にしている村人の家で娘のお産の手伝いに呼ばれていた。

 十時間かけて無事に産まれた赤子は玉のような男の子。その愛らしい顔を思い出すと、祐之進や千之助の幼い頃のことが思い出され、顔が自然に綻んだ。頃合いを見計らって帰るつもりが、ついつい赤子の顔見たさに帰るに帰れず、月の昇るこんな時刻の帰宅になってしまったのだ。

 祐之進達の夕餉は自分が帰ってからなんとでもなると何の支度もしてこなかった。気が急く浜路は近道という事もあり、滅多に人の通らぬこの道を提灯を揺らしながら一生懸命歩いていたのだった。


「それにしても人っ子一人通りゃあしない!ああ嫌だ嫌だ!早く帰りたい」


 さっきから林の中をバサバサと鳥の羽ばたきが不気味に響き、陰気なカラスの声はけたたましく浜路の不安を煽り立てて来る。やはり開けた道を帰れば良かったと今更浜路は後悔し始めていた。

 そんな時、手にした提灯の明かりの中に何か風呂敷堤のような物が浮かび上がった。それは無造作に道に投げ出され、縛り口が解けて中身が飛び出している。真新しい鼈甲の櫛や彫りの美しい柘植の櫛。珊瑚で出来た玉簪。高価なそれらの品々に浜路は見覚えがあった。過日、屋敷にやって来た行商人が見せてくれた品々ばかりだったからだ。


「何だい?どう言うことだろうね」


 提灯で照らす道の先、右へ左へと無造作に投げ出された荷物が転々と続き、やがて浜路は不可解な光景に出会した。一際大きな黒い塊に無数のカラスが集り、その塊を皆で突き回してる光景だ。悪食なカラスが動物の死骸でも突いているのかと思い、嫌な所に出会したなと浜路の足が止まる。

 近づきたくはないがそこを通らねば家には帰れ無い。浜路は意を決して小走りにカラス達の脇を通り過ぎた時、足音に驚いたカラスがザッ!と一斉に飛び立った。すると今までカラスで覆われていたその塊が、浜路の照らす提灯の明かりに露わに照らし出された。


「ぎゃあーーー!!!」


 浜路の口から恐ろしいほどの悲鳴が上がった。そこには背中に背負子を背負い、血溜まりの中で倒れている無惨な行商人の姿があったのだ。カラスに突かれた空洞の瞳が浜路をじっと見つめていた。


「あぁぁ、なんて事なの!なんて事…っ」


 提灯を地面に落とした浜路が腰を抜かし、グズグスと地面に座り込んだその時、何かの気配が林の中を蠢いた。




 一方、その頃屋敷では帰りの遅い浜路を皆が心配していた。


「おかしいな、浜路がこんなに遅くなるなんて…。何よりも私の飯の心配が一番の奴がこんな時間まで帰ってこないはずはない」


 いつも皆が出入りする屋敷の裏木戸で、まだかまだかと祐之進とアオ、そして文吾も首を長くして浜路の帰りを待っていた。


「おかしいですねえ、遅くなっても暮れ六つには帰ると言ってたんですが、難産で手間取っているんでしょうかねえ」


 暮れ六つどころか今はもう亥の刻を少し過ぎた所だろうか。いつも判で押したようにどんな時でも夕飯どきには家にいる浜路だ。それが今夜に限って帰ってこない。滅多に無い事に文吾も首を傾げた。


「俺、ちょっとその辺りを見て来よう」


 心配したアオが木戸を開けて外へ出ると、祐之進もついて出た。


「私も行く。文吾は家で待っていてくれ、浜路と行き違いになるといけないからな」

「若様!それならば私が行きますから、若様は家に…」


文吾がそう言う頃には気の逸る二人は既に道へと飛び出していた。


「なあアオ、どっちから帰ってくると思う」


 屋敷に帰ってくる道は二つあった。お産の家から遠くなっても広い表街道を来るか、近道だが裏寂しい林の道を抜けてくるか、そのどちらかしか無い。


「こんな時間だが俺ならば林を抜ける道を選ぶな。だが女の浜路殿はどうだろうな」

「浜路は夜道を怖がるような玉ではない。きっと林の道から帰って来るに違いないと思う」


 二人とも恐らくは林の道を抜けてくるだろうと予想したが万が一ということもある。村人の目につく表街道は祐之進が、林の道へはアオが行こうと言って互いに歩き出した時の事だった。何処かで女の鋭い悲鳴が闇夜の空気を切り裂いた。


「あれは…!」


 祐之進とアオは顔を見合わせると悲鳴の聞こえた林の道へと駆け出した。悲鳴は立て続けに何度か聞こえた。目を凝らすと必死に何かから逃げて来る女らしき影がある。


ー 浜路だ!ー


「浜路!浜路!」


 浜路は髪を振り乱し、必死の形相で祐之進目掛けて走って来た。


「若様!ダメです!こちらへ来てはなりません!早くお逃げください!逃げて!」


 浜路の走るすぐ後ろから猛追して来た大きな黒い影が浜路目掛けて刀を振り上げた。祐之進の眼前で閃光が閃いた。


 ー刀!ー


 己を庇おうとする浜路を咄嗟に祐之進が庇った。


 ー斬られる!!ー


 そう思った瞬間、祐之進の脳裏を覚悟が過ぎった。


「祐之進ーーー!!」


 そこへ間髪入れず飛び込んで来たアオが電光石火、捨て身の体当たりで今にも刀を振り下ろさんとしている男を突き飛ばしていた。















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