第29話 千之助騒動(一)


「んま〜!千之助様ではありませんか!どうなさいましたこんな朝早くに!江戸屋敷にいらっしゃったのではないですか?それにしても、ちょっと見ぬ間にご立派になられて!」


 叩き起こされた浜路は寝ぼけ眼も吹き飛ぶ勢いで千之助を見るや否や駆け寄り目に薄らと涙まで浮かべて懐かしそうに千之助を見つめた。それも無理からぬ事、国元にいた頃は祐之進と千之助、幼い頃から二人の面倒を見てきたのは浜路である。江戸へ行く祐之進に着いて行くため国元を離れてから三年、一度も千之助に会ってはいない。浜路の頭の中では千之助はまだ八歳。それが今や十一歳になって目の前に立っていた。


「浜路!息災だったか?」

「はい、この通りでございますよ千之助様…私の事覚えてらしたんですね!」

「当たり前ではないか!何かと小煩い其方の事は忘れたりせぬ」


 千之助はハキハキと辛辣な事を言っても朗らかなものだから、たいてい許されてしまう特な性格だ。


「まあなんて言種でしょう!でもその憎まれ口も浜路にはお懐かしゅうございます。

あの、ところで御家老様はどちらに?」

「…いや、今日は来られておらぬ」

「じゃあ、お供の方は…」


 十一歳の子供が一人旅とは考えられず、千之助にそう尋ねてみたが、悪戯がバレた時のような少し罰の悪い顔をして千之助は俯いた。浜路は浜路でどう言うことかと祐之進の方へと視線を送るとこちらも困り顔で肩をすくめる。


「そんな目で見るな。私もまだ詳しい事は何も聞いてはいないのだ。取り敢えず足を洗い着物を着替えてからじっくりと聞こうと思って其方を呼んだのだ浜路」


 それから浜路は「あらあら」とか「まあまあ」などと嬉しそうに千之助の世話を焼き、いつもは漬物と味噌汁だけの質素な朝餉だと言うのに、今日は朝から魚など焼き、千之助には丼飯を山と盛って食べさせた。育ち盛りということもあるだろうが、よほど腹が減っていたのか千之助はそれを一気にペロリと平らげた。一通り食べ尽くした千之助の頃合いを見計らい、祐之進は先刻から皆が聞きたかった話を切り出した。


「それで、どうした千之助。最初から順序立てて詳しく話してみよ」


 千之助は最後に茶を一気に飲み干し一息つくと、そこからは関を切ったように話し始めた。


「はい。兄上、実はここに来る途中で山賊に襲われたのです」


 思いもよらぬ千之助の告白に皆が騒ついた。


「なに?山賊?!そなた山賊に襲われたのか?!と言うよりも、そもそもここへは何しに来たのだ!」


 それから身振り手振りを交えて興奮気味に話す千之助の話を掻い摘むとこうだった。


 祐之進の代わりに江戸屋敷へと呼ばれた千之助は半年間休まずに慣れぬ小姓の仕事を良く務め、その褒美にと孫左衛門から数日の休み与えられたと言う。国元に帰り母に元気な顔を見せて来いと共の者を一人つけられ江戸屋敷から送り出されてみたものの、かねてより兄に会いたいと思っていた千之助は母の元ではなく、名前しか教えられていなかった兄の療養している村へ行く事にした。共がいるとはいえど初めての一人旅に千之助は浮き足立っていた。

 ところがである。その道中、共の者が腹痛でとても動けそうになく、仕方なく千之助はその者を宿へ残して一人だけで先を急ぐことになった。大人びてきたとはいえまだ子供の足ではやがて疲れ果て、街道沿いに座り込んでいる所を二人組の男たちが声をかけてきたと言うのだ。二人は気の良さそうな男達で千之助の話を親身になって聞いていた。そんな難儀なことになっているとは見過ごせない。良かったら自分達の籠に乗っていけと勧められ、悪い者達に見えなかった千之助は言葉に甘えてその者らの籠に乗ることにした。籠の揺れは疲れた千之助にはちょうど良い子守唄となった。束の間寝入った千之助が目覚めたのは暗い何処かの峠道だった。


 おかしい。村への道は大きな街道沿いの一本道だと宿の主人が言っていた。何故こんな山の中なのだろう。


 籠の隙間から外を覗うと既に日はとっぷりと暮れていた。そこで遅まきながら千之助は籠を担ぐ二人組が雲助である事に気がついたのだ。慌てて籠から転がるように逃げ出したのだが、気づかれて雲助たちに追いかけられた。それもそのはず、この街道では滅多にお目にかかれぬ上物の若様風情。武家の若君らしく旅支度の立派さが仇となり、その懐は潤沢だろうと執拗に山中を追い回されたのだ。

 一気にここまで喋り倒すと千之助は喉の渇きを覚えて再び茶を啜り一息ついた。


「それで、それでどうしたのだ!千之助、逃げられたのか!」


 話の続きが待ちきれず祐之進は千之助へとにじり寄った。


「勿論です!だからこうして兄上にも会えたのです。と言うか、本当はどうなのか分かりません。無我夢中でどこまで追われていたのか分からぬのです」

「そうか、そんな事になっていたのだな。ああでも良かった。其方に何もなくて。もし何かあれば父上のお嘆きは如何許りだったか。後で父上の所と宿に置いてきたと言う共の者にお前が無事に私の所に来ていると使いを出さねばな」


 危機一髪を回避した弟の話に祐之進の肩から一気に力が抜けたが、共にそれを聞いていたアオはどこか浮かない顔で顎をさすっている。


「うん?どうしたのだアオ?」

「いや、その雲助達は刀は持っていなかったかと思ってな」

「かたな?刀など別に持っているような感じではありませんでしたが…刀がどうかしたのですか?」

「…ん?ああいやなに、ちょっと気になっただけさ」


 人斬りの話などして無意に何も知らぬ者を怖がらせることもあるまいとアオは千之助の言葉を聞き流した。だが祐之進には心当りがある。はたとアオへと視線をやると、何か言いたげな眼差し同士がぶつかった。


 例の人斬りは侍ではないのかもしれない。


 そう言葉にせずとも見交わす眼差し同士がそう語る。だが真ん中に挟まれた千之助には己の知らない暗号でも交わしているような目配せと阿吽の空気が何故だか無性に気に入らない。そんな微妙な空気を断ち切るように二人の間に割って入った。


「それより兄上!この者が誰かまだ聞いてはおりませぬ。下屋敷にいる時にはこのような者は見かけた事がありませぬ。見知らぬ下人がなぜ兄上とこのように親しく話をされているのですか?」


「…アオは、下人などではない。アオは…アオは…」


 その問いにどう答えて良いものか。だが言い淀む祐之進の背後を意味深な含み笑いで通り過ぎた浜路がとんでもないことを言い放ったのだ。


「野暮ですねえ、千之助様!アオ殿はね、若様のイイ人なんですよ」


「ーーえ!!」


 千之助は勿論のこと、当の二人でさえその暴露に驚きその場が凍りついたのは言うまでもなかった。






















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