第28話 人斬りの正体?

 アオが握ったのは刀では無く木刀だった。無意識の禁忌なのか幹尚を斬って以来アオは刀を握れずにいる。

 アオは祐之進を起こさぬように静かに立ちあがり障子の向こうの闇の気配に耳をそばだてた。裏庭の竹藪に意識を集中させるとやはり闇の中で何かが確実に蠢いている。ゆっくりと開けた障子の隙間からアオは縁側へと身を滑らせた。後ろ手に閉めた障子の隙間から見る祐之進の寝顔はまだ安らかなままだ。このまま目覚めぬ事を願いながら、アオの意識は祐之進から得体の知れぬ物へと集中していく。アオは裸足のままで庭へと降りた。

 息を殺しながら建物伝いに裏庭へと歩いていくと幸い今宵は満月、灯りがなくとも仄かな月明かりが竹藪の中に差し込んでいた。伸びた竹に身を隠しながらアオは辺りを見渡したが期待した人影もなく、やはり猪や鹿だったのだろうか、自分の思い過ごしだろうかと肩を落としたその時だ。ガサガサと笹藪の中から突然何か黒い塊が飛び出してアオの目の前を駆け抜けた。


 なんだ?!


 一瞬のことではっきりとは見えなかったがそれは獣とも違う何かだった。アオは咄嗟にそれを追いかけると、その影は必死になってでたらめに笹藪の中を逃げ惑う。逃げると言うことは怪しい証拠、アオも躍起になって竹藪の中を追い詰めて行くと、枯れた笹や折れた竹が無造作に打ち捨てられた藪の中へとそいつはズザザーっと素早く逃げ込んだ。

「何者だ!怪しい奴!」


 そう言うとアオは握り込んだ木刀をその藪の中へと何度か振り下ろした。朽ちた竹に木刀は強か跳ね返されたがその中の数発に手応えを感じた。


「ギャ!?いてぇ!!」


 その瞬間、笹藪の中から叫び声が上がった。その声は獣ではなく人のもの。堪らず藪から這い出た所をアオが襟首捕まえて引き摺り出したがどうも感触がおかしい。当然大人だろうと想像していたものがやけに軽く、暴れる体躯は己よりも華奢。そいつは何か叫びながらアオから逃れようと暴れて必死にもがいていた。


「なんだお前子供か?」

「ううっ、放せ!放せよー!おれは盗賊なんかには簡単に屈服しないからな!離しやがれ!」


 アオは暴れるそいつの首根っこを捕まえたまま地面へと顔を押し付けた。よく見れば身形の良さから侍の子供である事が分かる。


「おい暴れるなよ!俺は盗賊なんかじゃない!」

「嘘をつけ!峠からおれを追ってきたくせに!」


 負けん気強く言い返してくるその声、その物言い。絶体絶命の窮地にも関わらず、きつく睨み返してくるその顔。月明かりに照らし出されたその面差しにアオは驚いた。


「ーー祐之進?!」


 そんな馬鹿な!


 二の句を躊躇うアオにうつ伏せに押さえつけられたその子供は怒鳴り声を上げた。


「お前、何故兄上の名前を知っているのだ!」

「ナニ?あ、あにうえ?」

「そうだ!オレの兄は田村祐之進!オレは弟の田村千之助だ!」

「おとうと?お前…あいつの弟なのか?!」


 確か以前、千之助という弟がいると聞いた事がある。田舎に療養に出された自分の代わりに小姓として江戸詰めの父に随行していると言う話を祐之進が恨みがましく話していた事を思い出した。


 それがこの少年なのか?


 驚きに目を丸くしていたアオはゆるゆると首根っこを捕まえていた手を緩め、拍子抜けして地面にへたり込んだ。一方、千之助はと言うと形成が逆転したと見るや否や、歳上相手に居丈高な様子でアオの前に仁王立ちだ。


「無礼者め!お前、山賊では無いなら何者だ!名を名乗れ!何故兄上の名を知っているのだ!」


 威勢が良いにも程がある。なまじ顔貌かおかたちや声までも祐之進に良く似ていているものだからアオはなんだか可笑しくなった。


 ああこれは正しくちびっ子祐之進だ…。


「あはは…、はははは…」


 とんだ人斬りの登場に一気に緊張の糸がほぐれたアオの力ない笑い声が竹藪に響いた。





「千之助!!其方何故ここにいるのだ?!」


 真夜中に突然アオに起こされた祐之進は眠い目を擦りながら出てきた縁側で驚きの声を上げた。今まで頭の隅にも無かった我が弟の千之助が、薄汚れた格好でアオの傍らに立っていたからだ。


 今頃千之助は江戸屋敷に居るはずだ。真夜中にこんな所にいるはずは無い。きっとこれは夢か幻だ!祐之進は疑り深く己の頬を抓ってみたが目は覚めない。次第にはっきりとしてきた頭がこれは夢では無いと告げていた。千之助はそんな兄の顔を見るや否や、屈託のない様子で縁側へと駆け上がった。


「兄上!良かった、この者は本当に兄上の知り合いだったのですね?」


 竹藪から屋敷への短い道中、ずっとアオを警戒していた千之助の顔は、兄を見るなり漸く安心した表情へと代わっていた。


「兄上!お久しゅうございます!息災にされていましたか?」


 千之助は兄の足下にちょこんと正座をすると流石武士の子、礼儀正しく頭を垂れて挨拶をする。眠気まなこも吹き飛ぶような出来事に祐之進は硬直したまま弟を見下ろした。


「なぜ、お前がここにいるのだ千之助。共の者はどこにいるのだ?まさかとは思うがお前一人ではないのだろう?」

「いえ兄上、江戸からここまで一人で参りました!」

「なんだと?一人で来た?どういう事だ!こんなに薄汚れて…いったいどうしたのだ」

「そこの無礼な男に追い回されて木刀で散々打たれたのです!」


 告げ口よろしく千之助は縁側の下で立っていたアオを指差し睨みつけた。


「何を言うか!お主の着物は元々薄汚れていたではないか!」

「でもおれを何度も打ちましたよね?その木刀で!」


 そう言われてしまえは確かにそうだ。千之助の言い分に嘘はなく、アオは「うっ」と言葉を詰まらせた。


「アオ、どう言う事なのだ?なぜ其方が千之助を連れてここにいるのだ?」

「お主が寝ている時に裏の竹藪で物音がしたのだ。例の人斬り騒ぎもあったし怪しいと思って見に行ったらこの小僧が…」

「小僧ではない!おれには千之助と言う名前があるのだ!」


 小僧と言われてむかっ腹が立った千之助がすかさずアオに食ってかかった。


「これ!千之助!アオにそんな口を聞いてはならん!其方より歳上ではないか。

ともかく足を洗え二人とも!部屋に上がってそれからゆっくりと其方の話を聞こう」


 さっきアオの胸で泣いた気恥ずかしさは思わぬ弟の登場で、奇しくも何処かへと吹き飛んだ。

 東の山の端を朝焼けが朱色に染め変える明け六つ時、あと少し眠っていたい浜路はこうして祐之進に叩き起こされる事となったのだった。








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