第27話 ワケにはワケが

「黒い…編笠の…」


 アオには心当たりがある。あの雨の夜に母の死を伝えに来た者は確かに黒い編笠の男。


「その者が虎吉を斬り、中洲に火を放ったのではないかと、」

「待て、待ってくれ祐之進!その者は怪しい者では無いぞ!その者は伊勢家の家臣、津島周作と言う者だ。父上に命ぜられて母上の逝去を俺に知らせに来たのだ。周作が人斬りに付け火?とんでもない誤解だ!」


 噂とは恐ろしいものである。この下人の噂然り、アオが人を食う鬼という噂然り、人は見えないものの恐怖に怯えるあまり、時々想像を膨らませては愚かしい噂を立てるものなのだ。


「そうか、違うのだな。良かった。アオに関係する者が人斬りでなくて」


 祐之進は胸を撫で下ろしたがそこではたと違う考えが頭を過ぎる。


「では、人斬りはいったい何者なんだろう」


 しばらく二人はそれぞれの考えに耽って黙り込んだがアオが話の口火を切った。


「考えれば考えるほど恐ろしい話だな。こんな小さな村で人が二人も犠牲になっているのに人斬りはまだそこら辺に彷徨いているのか」

「早く下手人を捕まえなければ死人はもっと出るかもしれないな。やはりこうしてはおれぬ!私も夜回りを手伝うべきだろう!」


 そんな話をしているうちに、活気盛んな祐之進は矢も盾もたまらず寝床からむくりと起き上がった。


「まあ待て祐之進、気持ちは分かるが今夜のところは様子を見ろ!その人斬りを舐めてはダメだ。ちゃんとそれなりの身支度を…」


 そうアオが諌めている間にも、祐之進は寝巻きの腰紐を解き出す。

慌ててアオがその手を止めた。


「待てよ!祐之進落ち着け。そのように心が逸り気持ちが勇む時にはろくなことにはならないぞ。とにかく今夜は大人しく寝ろ!明日ならば俺も一緒に夜回りをしてやるから」


 そう言うと、アオは祐之進の解きかけた紐を結び直そうと祐之進の腰に腕を回した。今まで夜回りの事でカッカとしていた祐之進の気持ちがその一瞬で別の火照りへとすり替わる。


「今夜抜け出せば浜路殿がまた心配をする。明日俺が説き伏せてやるから、今夜はダメだ。な?祐之進」


 アオに優しい声で諭されると祐之進はその声だけで絆されてしまう。


「あ、アオが一緒に来てくれるのか…?」


 アオは「ああ」と返事を返しながら、祐之進の腰紐をキュっと結ぶとその細腰がぐらつき、思わず祐之進はアオの肩に手を掛けた。祐之進の目の前に見えるのは寝巻きの襟から伸びた日焼けした首。その首に纏わりつく後毛。己が手を置いた肩は頑丈だった。アオの首筋から立ち上るのはいつも己を安堵させる日向の香りなのに、今宵に限って何故か祐之進の胸はときめいた。


「さあ、寝るぞ?」


 紐の結び目をひとつ叩いて離れようとするアオの身体を思わず祐之進は抱き止めていた。今まで耐えてきた思いが一気に決壊してしまったのだ。だがアオは驚きもしなかった。祐之進の気持ちはとっくに分かっていたからだ。分かっていながら応えてやれないもどかしさを抱えながら、アオもまた同じ部屋で寝食を共にしているのだ。


 このまま抱きしめてしまおうか。


 アオの腕が何度も祐之進の背中で躊躇う。その躊躇いは祐之進にも気配で分かる。


「すまぬ…アオ。其方が迷惑してるのは知ってる。でも其方が…好きなのだ。ただ好きなのだ。どうしようもなく好きなのだ」


 十三歳の初恋は情熱的で臆病で不器用で真っ直ぐだった。かつてその熱情にかられるままに人まで斬ったアオには、祐之進の思いが痛いほど良く分かる。良くわかっていても伸ばせない手もあるのだ。


「祐之進。ありがとう。でも…。俺にはお前の気持ちは勿体無さすぎるんだよ。眩しすぎる…」

「なんで?なんでだよ!人を斬ったからか?鴇忠殿への負い目があるからか?

ならば応えてくれなくても良いから、好きでいさせて欲しいんだアオ…っ」


 そうではない。そんな事ではないのだ祐之進!心の中でアオは叫んでいた。添えぬ理由わけを言えばきっと祐之進も自分も辛くなる。部屋の真ん中で涙を流して胸にしがみつく祐之進の震える肩をアオは慰めることも出来ず、ただ祐之進の感情の波が凪いでいくのを待つしかなかった。


 軒下で時期を過ぎた風鈴が侘しくチリリとなっていた。やっとの事で眠りについた祐之進の寝顔を見ながら、アオは切ない気持ちでいっぱいだった。きっとずっと、祐之進はあの口付けの事を己に聞きたかったに違いない。それを知りながら、己は敢えて知らぬ顔を突き通した。

 誰とも染まぬ覚悟でいたものの、思いがけずここで暮らし、祐之進だけでなく浜路や文吾とも親しくなってしまった。この先祐之進との仲が深まればそれだけ祐之進も自分は傷ついてしまう。それを言えぬ理由わけには理由わけがある。いつぞやあの河原でアオは祐之進の父孫左衛門だけに伝えた理由わけが。祐之進の涙の跡を指の腹でそっと拭いながら、まだあどけなさの残る顔をアオはじっと見つめ続けた。



カサカサ…。


 風鈴の音も凪いだ夜半過ぎ、寝付けぬアオの耳が夜のしじまを縫って何か不審な物音がする事に気がついた。隣で寝ている祐之進を見れば何も気づかぬ様子で寝息を立てている。さっきから風は止んでいるのにその音は裏庭の竹藪を揺らす音に似ていた。


 何だ?獣か?

 いや違う。あれは人の気配だ!


 思わずアオの手が祐之進の刀掛けへと伸びていた。


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