第21話 涙の訳

 中洲の小屋は焼け落ちた。鳥の巣のように流木が吹き溜まって出来た浮島は、夕刻に降った雨にさらされていたとはいえ、あっという間に中洲全体が業火に焼かれた。

 祐之進は危険を顧みず、すぐ後に駆けつけて来た文吾と共に水に浸かって意識の無かったアオを川から引き上げ屋敷まで運び込んだのだった。


「若様、本当にあの者をここに住まわせるおつもりですか?相手は鬼ですよ?鬼と一つ屋根の下だなんて私は恐ろしくてなりませんよっ!」


 そう言うと、廊下で声を顰めながらアオが寝かされている祐之進の部屋を怖々と眺めながら浜路が訴えた。


「こんな時にまでそんな事を…!お前まで鬼だなどと根も歯もない噂など信じてアオを愚弄するのか?!」

「だって若様…私はあの者が怖いのです」


 無理もなかった。アオの人間性をわかっているのはこの村では祐之進ただ一人。


「良いから早く医者を呼べ浜路!」

「ダメですよ、鬼の診察などしてくれる医者などこの村にはおりません!」

「ならば文吾を呼べ!」


 そう言い放ち、祐之進はアオの眠る自室に入り障子をぴしゃりと閉めた。布団の上に仰向けに寝転がされているアオの顔は煤け着物は焼け焦げ、皮膚は所々所々赤く爛れてていてぴくりとも動かない。


 もしや息をしていないのでは。


 祐之進は慌ててアオの傍に跪き覗き込んだ。すると微かに胸板が上下し呼吸がある事が分かる。祐之進は息を吐いた。


「アオ…何故このようなことに…其方にいったい何があったのだ」


 だが意識のないアオには答えようも無かった。呼びつけられた下男の文吾は浜路と一緒に祐之進を守るために使わされた男だ。万が一の時には簡単な傷なら手当は出来た。部屋にやって来た文吾はアオの焼け焦げた着物を手際よく剥ぎ取り応急処置を施し始めた。祐之進も手伝い濡れた手ぬぐいで痛々しいアオの身体を拭き煤けた顔を拭ったりした。


「文吾、アオの容体はどうなのだ」


 火傷に薬を塗り油紙を当てて布を巻いた痛々しい姿に涙が零れた。


「なにさほど酷くは有りませんから死にはしません」


 文吾は言葉少なにそれだけ言うとボロボロになった着物を纏めて祐之進の部屋から出て行った。


 部屋には物言わぬアオと祐之進だけが残された。途中で浜路がおっかなびっくり手桶の水を変えに来たきりで後は祐之進が寝ずの番をした。行燈の明かりに浮かぶ顔は丹精で男らしく、そして何より愛おしく思える。祐之進は思わずアオの頬にそっと触れた。

 あの時、燃える中洲の突端から力無く水に落ちていくアオの姿が頭に蘇って来る。アオは泳ぎだって得意な筈だ。水に落ちたからといって溺れるとは思えない。それに…。あの時のアオは生きようとしていなかった。そんな風に祐之進には見えたのだ。火事は事故だったのか村人に付け火をされたのか、はたまた自らが放った火だったのか祐之進には分からない。ただ今はアオが目覚めてくれる事をひたすら願っていた。





『蒼十郎…お前は悪くない。どうか母のことなど心配せぬように』


 眠りの深淵に立ち、アオはあの日家を出た時の母の夢を見ていた。元々病がちだった母は蒼十郎が幹尚を斬り殺してから三月みつきのうちに見る間に痩せた。その母が…。


『蒼十郎様、御無念です。お母上がお亡くなりに…』


 黒い編笠から雫を滴らせた男がアオの目の前に跪いている。


 この男は何を言っているのだ?


『蒼十郎、信念を貫いた自分を責めてははなりません』


 母の声に振り返ると透けるほどに青白い顔の細い肩を落とした母が哀れみの眼差しをアオに向けていた。


 ーー母上…!


『蒼十郎…自分を責めてはなりませぬ…』


 そう言う母の姿がすぅっと暗闇の中に吸われるように消えて行こうとしている。


 母上!逝かないで下さい!母上!ーー待って下さい!」


 暗闇の中をアオは母を追いかけた。だが走っても走っても母には追い付かず、手を伸ばしても伸ばしても母には届かない。


「母上!」


 やがて憂える眼差しを浮かべた母はアオの目の前から消え失せた。後には真っ暗な闇と恐ろしいほどの静けさの中にアオは残されその場に崩れた。


 自分のせいで、自分のせいで母は命を縮めてしまったのだ。

母が俺を許しても、己が己を許せない。


 ーー母上!

「母上…っ、」


「アオ!」


 祐之進が呼ぶ声でアオは目覚めた。見慣れぬ天井と今にも泣きそうな顔の祐之進が己を見下ろしている。


「アオ、大丈夫だ!痛むか?」

「……ここは何処だ。母上は何処に行った…編笠の男は…」


 まだ覚めやらぬ頭が混乱していた。起きあがろうと身じろぐと全身が痛んだ。


「うぅっ…」


 その痛みが己の身に起きた事を思い起こさせてくれた。


「まだ起きてはダメだ、アオ、起きてはダメだ」


 祐之進が起き上がろうとするアオの両肩をやんわりと押し留めた。


「ここは私の屋敷だ。安心して良いのだアオ」


 穏やかで優しい祐之進の声が聞こえた。


 そうだ、己は祐之進に助けられたのだ。

ああそうなのだ、自分は死に切れなかったのだ。


 自然とアオの目からは涙が盛り上がった。これが助かった事への安堵や喜びであったなら、どれほど良かった事だろう。


 祐之進はアオが泣いたところを今まで一度も見た事がない。

いつも祐之進には弱いところなど見せない彼が今、目の前で嗚咽を漏らし声を上げながら泣いていた。それを見た祐之進も、訳もわからず零れる涙でアオの顔や胸を濡らしていた。

 

 この人を全ての苦しみから救ってやりたい。

 計り知れないアオの苦しみをほんの少しでも和らげてあげたい。

 

 その一心で祐之進は今はか弱く見える中洲の鬼を抱きしめていた。







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