第20話 黒い雨と編み笠の男

 六助と七助が黒い編笠の男の跡をつけて中洲に辿り着いた頃には日もとっぷりと暮れていた。

 闇夜にそぼ降る黒い雨に打たれながら二人は葦の茂みに身を隠し、不穏な空気を纏うその男の様子に目を凝らしていた。男は水嵩も増し流れも早いその川を流れに立ち向かうように中洲へと渡って行く。


「ありゃあ正気じゃねえな」

「よっぽど大事な用事でもあるんだろうさ」


 二人が目を凝らす先には中洲の小屋に燃える焚き火。その中には黒い編笠の男とアオの姿が浮かび上がって見える。編笠の男はアオの前で跪き、アオは項垂れて男の話を聞いている。

 どう見ても男はアオよりも年上だ。それなのに何故まだほんの少年であるアオの前に跪くのか。尋常ではない空気が二人を包んでいるように感じ、どんな悪巧みをしているのかと気にかかる。


「怪しい。怪しいなロク。鬼に跪くなんざどう言う事だ?」

「ああ、怪しい。…なあ七助、俺が思うに…」

「しっ!」


 七助が六助の言葉を遮った。黒い編笠の男が中洲から引き上げるザバザバと言う水音が聞こえたからだ。男の濡れた草履が草を踏む音が近づいてくる。二人は身を低く茂みの中にうずくまり息を殺して様子を伺った。目の前を黒い編笠の男は急足で元来た道を戻って行く。やがてその姿は闇の中に霞んで消えた。

 耳をそば立てると河原や川面に打ち付ける雨音のみが聞こえるだけとなっていた。二人は漸く首を伸ばして草むらから這い出して来た。


「なあ、七助。俺は思うんだが虎吉を斬ったのはもしやあの男では無いか?刀傷だなんておかしく無いか?こんな田舎だぞ。くわすきならともかく村のもんが刀で人を斬るなんて出来っこねえ。しかも見事な袈裟懸けで一刀両断だったと聞いたぞ。侍に斬られた以外考えらんねえ」

「ああそうだな、それに俺。あの男はやっぱり侍だと思うぜ。さっき目の前を通った時、合羽の影からチラッと見えた刀は二本差しだった気がする」


 二人がゾッとした顔を見合わせた時、空に閃光が走り雷鳴が轟いた。ロクがヒャアと驚いて尻餅をつくとその閃光の中に二人は恐ろしいものを見た。

 獣のような雄叫びを上げるアオが棒切れをやたらめったらに振り回し、狂った様に暴れて小屋を破壊している姿が閃光の中に浮かび上がったのだ。踏み散らした焚き火から舞い上がるの火の粉のその中に、六助と七助には本当の鬼を見たと思った。


「お、鬼だ!ありゃあ本物の鬼だーーっ!!」


ぬかるみに脚を取られながら二人は這々の体ほうほうのていで河原を逃げ出していた。




 夏の通り雨は激しさの割にはすぐに上がった。夜半ともなると夜空には煌々とした月が村を照らし、蒸し暑さとは無縁になって涼しい風が開け放った障子からそよいでくる。よく眠れる筈の夜、この日祐之進は何故かまんじりともできずに蚊帳の中で何度も寝返りを打っていた。こんな日は涼しげな田んぼの蛙の声でさえ鬱陶しく聞こえ、祐之進はむくりと寝床から起き上がり気だるげに首を掻く。


「はぁ、こんな時間に起きているのは私だけか?」


 下がる蚊帳を捲り上げ、眠れぬ祐之進は縁側へと出て来た。

こんな夜、アオはどうしているのだろう。何の気なしに中洲に視線が流れていくと、風に揺れる木陰から炎を思わせる赤がチラリと見えた気がして祐之進は目を凝らした。気がつけばどこからともなく風に混じって生木の燃える臭いが鼻をつき、パチパチと炎が爆ぜる音が風に乗って微かに聞こえた。


ー火事だ!!ー

あれはアオのいる中洲の小屋の辺りではないか?!


 瞬間、カリカリと祐之進の髪が逆立った。頭で何かを考えるより先に体が動き、猛烈な勢いのまま裸足で庭に飛び出した。

砂利が足の裏を強か傷つけたことにも気づかない。


「火事だ!!浜路!文吾!中洲が火事だぞ!起きろ!皆んな起きろ!中洲が…中洲が燃えている!!」


 真夜中、突然屋敷に響き渡る祐之進の叫び声は夢の途中の浜路と、ようやく眠りについたばかりの文吾を叩き起こした。


「若様!どうなさいました?!」


 浴衣の前を合わせながら乱れ髪もそのままの浜路が血相を変えて廊下に飛び出して来た。


「浜路!中洲が火事だ!アオが…っ、アオが…っ!」


 そう言い放ちながら乱雑に下駄に足を突っ込んだ祐之進は裏木戸を突き破らんばかりの勢いで河原へと飛び出して行った。


「若様ー!お待ちをー!」


 浜路の声を背中に聞きながらも祐之進の足は止まらない。一直線にアオのいる中洲へと走って走った。中洲へと近づくほどに濃くなる焦げた臭いが黒い煙に乗って祐之進の所までたなびいてくる。早鐘を打つ心臓を抑えながら河原に飛び出すと、目を疑うような大きな炎が中洲を昼間の太陽のように激しく熱く燃え上がらせていた。


「アオーーー!!!」


 夢中で叫びながら祐之進は中洲へと燃え盛るアオの小屋へと走り出していた。全身が炙られたように熱かった。


「アオ!どこだ?!アオ!アオ!」


 熱さを堪えて近づくと炎の中にゆらりと動く人影がある。

その人は中洲の突端まで来ると祐之進の目の前でふらりと川へと飛び込んだ。炎を避けて飛び込んだというよりも、世を儚んで川に身を投げたように祐之進の目には映った。


 あれはアオだ。誰でもない、ここにはアオしかいないのだから!


「アオーーー!!」



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