第14話 父と子

 ここまでの話を聞いても祐之進の本当に知りたい答えはなかなか見えて来ない。


「でも…分からない。それとここで孤独に暮らす事とどう関係が…」


 祐之進が話の核心を迫りアオへとにじり寄った時、中洲に向かって大声で祐之進の名前を呼ぶ声がある。


「祐之進様ー!若様ー!大変でございます!若様!若さまー!」


 それは祐之進の下男、文吾の叫び声だった。何かとんでも無く切羽詰まった様子で祐之進を呼んでいた。祐之進とアオは顔を見合わせ、何事だろうかと共に小屋の外へ出た。すると川向こうで文吾が忙しく飛び跳ねながら両手で祐之進を手招いていた。


「何事だ?文吾!浜路にでも何かあったのか?」

「いいえ!浜路ではありません!お父上が!御家老様が急にお見えになったんです!早く中洲から連れて参れと随分とお怒りで」


 必死にここまで走ってきたのだろう、文吾は顔を真っ赤にして叫んでいた。


 それにしても解せない。


「なぜ父上は私がここにいる事をご存知なんだ!浜路が父上に申したのか!」

「知りません!来るなり早く連れて来いとカンカンで、とにかく私と帰りましょう若様!」


 ここで駄々をこねれば文吾ばかりでは無く浜路まで父にこっ酷く叱られてしまう。いやもう遅いかもしれないが、これでは行かないわけにはいかない。アオも直ぐに行ったほうがいいと祐之進の背中を押した。話途中なのは不本意ながら、祐之進は文吾と共に一旦屋敷に戻る事にした。


 祐之進はいつも玄関代わりにしている縁側から屋敷の中に入った。部屋に入るなり上座にどかりと腰を下ろす孫左衛門が目に飛び込んだ。すでに怒りの波動が全身から立ち昇り、慌てて父の前に両手をついて祐之進はかしこまって平伏した。

 黙して座する体格の良い孫左衛門はいつに無く無口で祐之進を見下ろしてくる。それがまた雄弁に父の怒りを伝えて来るのだった。今日の孫左衛門はいつにも増して大きな岩のように見えた。


「久方ぶりにご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます父上」


 祐之進は心臓から油汗が流れるのを感じていた。挨拶を終えてもてなかなか顔を上げられないでいる。そんな祐之進を孫左衛門は今にも怒鳴りつけてやりたい心持ちを抑えて声を低めた。


「お前も息災で何よりだが、このところ屋敷に戻らず面妖な者と河原などで乞食同然に暮らしているとは真の事か」

「…はい。真にございます」

「聞くところによるとその者は村で鬼と呼ばれているそうでは無いか。先日、其奴そやつを庇って怪我をしたと聞き及んでおるが、それも真か」

「はい。真です…。ですが、その者は決して悪くは御座いません」

「その者の善悪の問題ではない。それが屋敷に戻らぬ事とどう関係がある」

「それは…」


 どうなっているか自分でも知りたい。わずかな躊躇に目が泳いだ。


「どうなっているのだ、申してみよ。道を踏み外すためにお前を田舎へやったわけのでは無いのだぞ。お前は田村の家の跡取りなのだ、自覚が足りぬ!」


 アオへの誤解を解きたいと思っていただけだと言うのに、説明しようにもそう悪様あしざまに言われた瞬間、祐之進の中で何かがふつりと切れた。


「自覚…、跡取り…。まだ私は父上の中で跡取りだったのですね」


「…なにぃ?!」


 顔を上げた祐之進の目が孫左衛門を責めていた。父の側で小姓となった七つの頃から誰よりも自覚を持って生きてきたつもりだ。甘えたい気持ちを抑えて立派な後取りとなるために。そんな祐之進の気持を自覚が足りぬと無碍むげに言い放つ父が許せなかった。孫左衛門にしても殊勝に謝るものと思っていた祐之進のこの言いように、そのこめかみがひきった。


「釈明するならいざ知らず、わしが其方を見捨てかのようなその言い様!その不遜な態度はなんだ!」

「見捨てたのでは無いのですか?私はこんな田舎に捨てられ、千之助が父上のお側へ…、見捨てられたと思う私は間違いでしょうか!」


 反抗的な物言いに思わず孫左衛門は手を震わせて立ち上がった。孫左衛門とて祐之進を田舎にやったのは息子の事を思う親心からだ。だがその事で祐之進がここまで心を痛めていた事を孫左衛門は知らなかった。今にも殴ろうかと振り上げた手は行き場を失い所在なく下げられた。


「良いのです。お殴り下さい父上。ここに来て分かった事があるのです。そうです。父上が私を見捨てた訳では無い。

私が私を見捨てたのです!」


 その瞬間、屋敷中に孫左衛門の平手の音が響き渡った。その勢いに祐之進が障子を突き破り縁側へと吹き飛んだ。祐之進を心配して縁側に控えていた浜路が驚いて転がる祐之進の元に駆け寄った。


「己を顧みよ祐之進!考えを改めるまで蟄居ちっきょを命ずる!浜路も此奴を甘やかしてはならん!ーー文吾!」


庭先で控える文吾は外に出て来る気配の孫左衛門の草履を揃えて跪く。


「帰るぞ、馬を持て。くれぐれも祐之進を外へは出すな!」


 こうして厳しい言葉を残して嵐のように孫左衛門は帰って行った。つくづく口下手な似た者同士の親子だった。互いに腹を割り積もる話はあったはず。何処で会話の道筋を間違えてしまったのか、このような事になったのはこの親子にとって不幸な事であった。

 この日、祐之進は父が帰った後も、初めて打たれた頬の痛みを噛み締めながら何時迄も縁側に蹲っていた。













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