第13話 御前試合で起きた事

 アオが居住まいを正すと小屋の空気が一変した。アオの纏う空気が張り詰めて行き、祐之進の身体の中を緊張と言う名の閃光が走って自然と居住まいを正していた。

 にしきの布にアオの指が掛かった時、これまであんなに知りたいと思っていたのに、祐之進の心に制動がかかった。知ってしまうのが急に怖くなったのだ。


「止めるか?今ならまだ…」

「見る。知りたい」


 決然とした言葉にアオも腹を決め、丁寧に布を左右に開いた。


「こ…これはっ」


 そこに鎮座していたのは白紙に巻かれ、紐で結ばれたた一束の毛髪だった。


「…遺髪だ。私の念者だった人のものだ」


 念者ーー想い人。


 ズシリと重い言葉だった。


「念者を…殺したのか…?」

「そうではない。彼は腹を切って死んだ。まだ十八だった」


 地位ある武士が詰め腹を切らされるのは良く聞く話だが、十八とはまだ若過ぎる。よく働き、もう未練の無い年寄りならいざ知らず、どんな因果でその様な仕儀になったのか。


「彼はさる藩の老中の長男で、武芸に秀で、精錬で正義感があり、父親には期待され、弟達に慕われる前途揚々な若者だった。名を加納鴇忠かのうときただ殿と言った。

俺と鴇忠殿は城の道場で知り合った。俺が十ニ、鴇忠殿が十七。その若さで藩の一位ニ位を争うほどの腕前だった。

鴇忠殿の太刀筋の美しさは評判で、三国一と噂され、皆いつかはあの様な立派な侍になりたいと誰もが憧れた。俺も御多分に洩れず、本当の兄の様に優しく強い鴇忠殿に憧れた。いつかあの様な男になると心に誓って…。


「それが俺の初恋だった」


 ー初恋ー


 アオの口からその言葉が溢れた時、祐之進の胸は思いがけず切なく痛んだ。アオの事は己も兄の様に、友の様に好きなのだと思っていたのに、胸の痛みがそれは違うと言っていた。祐之進がその初めての痛みに対峙し、動揺する最中にもアオの話は淡々と語られた。




 その年、アオの国元では参勤交代から戻ってくる殿様の為に、腕の達つ者を幾人か見繕い、御前試合がお膳立てされていた。当然その中にはアオの念者、鴇忠も含まれていた。ところが対するは悲運な事に殿様の末弟、猪原幹尚いのはらみきなおであった。この二人は藩内でも甲乙付け難しと言われる二人だった。

 試合は殿の興を盛り上げる為、木刀や竹刀ではなく真剣を用いることとなり、それ故に寸止めの出来る手練れが選抜される事になった。余興と言えど御前試合。殿様の目の前で藩士同士が流血沙汰などあってはならぬ。真剣を振るうと言えど相手に手傷を負わせる事は許されない。難しい試合となるのは目に見えていた。

 この試合、鴇忠が悲運と言われたのには理由わけがある。真剣勝負と言えど相手は殿様の弟君だ。まかり間違って斬ってしまったなら切腹は免れず、鴇忠にとっては加減の難しい試合となったからだ。さりとて武士の意地もある。わざと手を抜く事は武士の誇りに関わる事。一本気な鴇忠は例え何が起ころうとも、手加減はすまいと心に固く誓っていた。

 おりしも、そんな微妙な空気を濁らせる出来事が起こった。アオがその猪原幹尚に目を付けられたのだ。幹尚は無類の衆道好きで、近ごろめっきり大人びて、大人と子供の色気を併せ持ったアオに興味を抱いていた。迫る幹尚を断り続けたアオを、殆ど無理やりと言っていいほどの残忍さで幹尚は己の意のままに押し倒してしまったのだ。

 そのような出来事があった事を試合の前に鴇忠が知る所となった。可愛がっていた弟弟子がそんな目に合わされ、しかもアオを憎からず思っていた鴇忠は怒りの劫火に身も心も焼かれた。そんな一番間の悪い時に御前試合は行われたのだ。武士ならば平常心で試合に臨まねばならぬと言うのに、まだ若い鴇忠は幹尚の悪辣さを腹に収める術を知らなかった。

 御前試合は正午きっかりに行われた。上段に構える幹尚に対し、下段の構えで鴇忠が迎え打った。両者は数度切り結んだが、なかなか決着を見なかった。だが、恨みの分だけ僅かに鴇忠の威力が優った。拮抗した挙句、太陽を味方につけた鴇忠の剣が宙に閃き、その切っ先は真っ直ぐに幹尚の喉元を突き上げた。

 その時、誰もが驚きに身動きが取れなかった。幹尚の悲鳴が上がり、血飛沫が殿の御前にまで飛び散った。全身を戦慄かせた鴇忠が剣から鮮血を滴らせ、立ち尽くしているところを取り押さえられた。それは最初から狙って放った鴇忠覚悟のひと突きだったにも関わらず、運悪くなのか運良くなのか鴇忠殿は急所を外した。




 思いもよらない話の流れに、祐之進はアオへの恋慕の情がどうなと言ってる場合ではなくなっていた。決闘とも言える御前試合の話に瞬きもせずに聞き入っていた。


「…それから…鴇忠殿は……、如何あいなったのだ」


 祐之進にはその先の結末が想像はついたが、敢えて聞かずにはいられなかった。


「幹尚殿の傷は致命傷には至らなかったというのに、鴇忠殿は乱心と言う事にされて、詳しく吟味もされずに即日切腹。

御家はお取り潰しとなり、それを儚んだ鴇忠殿の父母は共に自刃なされた。

一方でそのきっかけを作ってしまった俺は全くのお咎めなし。

それで良いと思うか祐之進。世間に許されれば全て水に流せるとお主は思うか」


 祐之進は咄嗟に口籠った。無理やり押し倒されたアオこそ被害者のような気もするが、武士の衆道においてはいかに理不尽であろうとも身分の上下、歳の上下、お家の事情。あらゆるものの力関係が複雑に作用する。例え相手が強圧的に行為に及んだとしても、涙を飲まねばならない時もある。特にこの場合、相手は殿様の弟なのだ。だがアオが悪いとも思えない。


「私は…其方が悪いとは到底思えぬ…こう思うのは人として間違っているか?アオ…」


 そんな過去があったことなど祐之進は何も知らずにいた。知らずに浮かれて過ごしていたのだ。

 

 アオが罪になると言うなら、これだって立派に罪ではないか?


 だが、この話は事の発端に過ぎず、アオの本当の罪はこの事件を越えたその先にあったのだ。














 


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