第12話 友ではダメか

 自分にも祐之進のように屈託ない頃があったのだ。生きる術を持たなくても生きていけた頃が。



 敢えて祐之進をほったらかしにしていたのに、見よう見まねで祐之進は魚釣りも上手くなり、蛙を捕まえる事にも、それらを捌いて食する事も慣れて行った。雨粒が紙に染み込むように日に日に逞しくなって行く祐之進。アオにはまるで二年前の自分を見ているようだった。

 日に何度か浜路や文吾が祐之進を心配して見に来ていたが、帰って来いとの嘆願も虚しく、祐之進は頑として帰らなかった。何がそこまで祐之進を突き動かしているのか祐之進自身にも分からない。

 何処からか集めて来た寄木で人がやっと横になれる程の屋根を何とかで造れはしたものの壁がなく、夕立に見舞われれば蓑笠みのがさ合羽かっぱを羽織り、膝を抱えて丸まって雨を凌いでいた。口もろくにきかないアオを相手にそんな暮らしが十日も続いたある日、夕立から本格的に降った雨は夜半を過ぎてもまだ降り続いていた。

 チョロチョロとそこかしこから水の流れる音や、激しい川の流れが夜通し聞こえて騒々しい夜だった。アオは祐之進をほったらかしにしていると言っても気にならない訳はなく、己の掘建小屋の脇を陣取って寝ている祐之進の寝床をどう過ごしているのか覗いてみた。そこには雨の吹き込む屋根の下、打ち捨てられた濡れ鼠がうずくまっていた。蓑笠から微かに見える頬と唇が青白く見えて、堪らずアオは祐之進へと駆け寄っていた。抱き起こすと夏だと言うのに身体が小刻みに震えている。慌ててアオは祐之進を抱き抱え、己の掘建小屋へと運び入れた。


そうだ、こいつは身体が弱いのだった。


 焚き火に薪を足してから祐之進の濡れた着物を脱がせた。まだ子供らしさが残る華奢な身体をアオは着物を脱いで自らの肌で温め始めた。

 これまで祐之進はこの暮らしによく耐えていた。冷たくあしらうだけの自分の傍らに居続けた祐之進。例えそれが独りよがりな理由であっても己に向けられた一途な気持ちであった事には変わりはない。


「…あ、お」


 朦朧となっていた祐之進が腕の中でアオの名を呼んでいた。そんな祐之進が憎かろうはずは無い。だが同時にアオは恐れ慄いてもいた。祐之進が深く己の中に入って来ようとしていた。アオは受け入れる事も出来ず、突き放す事も出来ない。ここに居る本当の訳を知れば、祐之進は己から離れて行ってくれるのだろうか。



 祐之進は雨音を聴きながら、ずっと夢の中にいた。雨に打たれていた事も誰かが己を暖かく包んでくれた事も夢の中の出来事だと思っていた。祐之進が顔を埋めた場所からは日向の匂いがして、それは酷く懐かしく幸せで、赤子の頃に戻ったような心地がした。

 浅い眠りに揺蕩たゆたうような、夢とうつつの中で、祐之進はぼやけた視界に揺れる人影を見つめていた。それはアオに良く似ていて、この暮らしには不似合いな美しいにしきの布の上に置かれた何かに祈りを捧げているようだった。何に祈りを捧げているのだろうと思いながらも、祐之進は今度こそ深い眠りの淵に引き摺り込まれて行った。あんなに激しかった雨音も、いつの間にか聞こえなくなっていた。



 掘建小屋の扉代わりに下げられたむしろの隙間から、爽やかな朝の木漏れ日が祐之進の瞼を揺り起こした。祐之進の目覚めはすこぶる良かった。むくりと起き上がって伸びをしながら辺りを見回すと、そこは粗末な屋根下の寝ぐらではなく、アオの掘建小屋の中だった。意外な場所での目覚めに祐之進は当惑した。


「やっと起きたか寝坊助め」


 アオの声がして振り向くと、入り口の筵を捲ってアオが入ってきた。手には歪な木の椀に入った粥が二つ美味そうな湯気を立てていた。祐之進の正直な腹がきゅるると鳴った。アオはヤレヤレと笑いながら粥の入った椀を祐之進の前に食べろと置いた。椀を手にしながら祐之進はお伺いでも立てるかのような上目遣いでアオを見た。


「あ、あの…昨夜、私は…ーー」

「ああ、鼠が死んでるかと思った。目の前で死なれちゃ寝覚めが悪いからな」


 そんな酷い言われ様にも祐之進は「うん」と頷いて嬉しそうに笑っていた。


「何がおかしいんだ。鼠なんて言われて嬉しいのか?」


 そう言いながらアオは粥を掻き込んだ。こんな風に言うのだって本当はアオの照れ隠しだと言う事は祐之進には分かっていた。


「嬉しいよ。だって私とまともに喋ってくれなかったのに、今は話してくれている。それにこの粥も」


 啜った一口の粥が、しみじみと美味いと感じる。


「私がここにいる事、許してくれたのか?」

「いいや、今でも帰って欲しいと思ってるよ、俺の為にもお主のためにも」

「どうしてそんなに頑固なんだ」

「頑固はお主では無いか。なんでそこまで俺の事を知りたがる。俺とお前は赤の他人だ。一生関わる人間じゃ無いのに、俺に入れ上げても何の得にもならないぞ」

「…ケチだな」

「け…ケチ?俺がケチだと?そう言う問題か?」



「…ーーでは、友ではダメか」


 軽口の応酬の最中にポツリと漏れた祐之進の本音にアオはたじろいだ。黙ってしまったアオに祐之進は詰め寄った。


「ただ友になりたい。

それも、ダメなのか?」


 友にしては近すぎるこの心の距離を、何と呼べばいいのだろう。アオは祐之進のこの真剣な気持ちををこれ以上、ぞんざいに扱う事は出来ないと思った。箸と椀を置くと、アオは小屋の隅に置かれていた木箱から何かを取り出して来た。それを丁寧な手つきで己の膝の上に乗せた。祐之進は何処かでそれに見覚えがある気がした。


「それ…は…?」


 それは祐之進が昨夜、夢と現の狭間で見ていたあの錦の美しい布だと言う事に気がついた。アオは徐に姿勢を正すとこう言った。


「そんなに知りたいなら教えてやる。俺が本当はどんな人間なのか。

村の人達が俺を鬼と言っているようたが、あながち間違ってはいない。

本当に、俺は人殺しの鬼なんだから」














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