第10話 理不尽
結局は祐之進の流血沙汰に至って、祐之進と中洲の鬼が親交を深めていた事が浜路達に露見した。もっと大目玉を食らわされるだろうと覚悟はしていたのに、いつも小煩い浜路が無言でハタハタと涙を零しながら祐之進の傷の手当てをしていた。それは小言を言われるより遥かに祐之進には堪えた。
「すまぬ、浜路。許せ。お前の言う事を聞かなかった私が悪いのだ。
だがあの者は本当にそんな人間では無いのだ。皆誤解している。何故皆アオにあのような仕打ちをするのだ?其方は聞いておらぬのか?」
「…それを知った所で今更どうなさるおつもりですか」
冷たく言い返されて祐之進は項垂れたが引き下がるつもりはない。知りたいものはどうあっても知りたい。口で謝ってはいても強情な目を向ける祐之進に浜路が大きくため息を付いた。
「私も詳しくは知らぬのです。ですが村の皆の言う事には、あの者が中洲へと来たのは二年前の夏だったそうですよ」
そう言うと浜路は村人に聞いた事を祐之進に語った。二年前の夏、アオが初めて中洲へとやってきた時の事を。
この村では見たことのない侍の
直ぐに中洲から居なくなるものと誰も思っていたが、そうではなかった。粗末な小屋を一人で立ててそこに暮らし始めたのだ。ところが釣りをしても上手くは釣れず、小さな雀すら捕まえることもできず日々の食に事欠いているのは一目瞭然で、少年を心配した村人は何とか食べ物だけでも渡そうかと、最初はあれやこれやと世話を焼いていた。
だが、少年は頑なに村人と喋ろうともせず、施しも受けず、日に日に痩せこけ、着た切り雀でまるで乞食のよのうに成り果てていった。
見るに見かねた村人が中洲から出て村で暮らすようにと説得しようにも、少年は頑として村人達を遠ざけた。そんな或る日、河原に木札が立てられた。それはアオが書いたものだった。
木札には達筆でこう書かれてあった。
『この者、言葉を交わすにあたわず。情けをかけず施しを与うるにあらず』
いくら親切心で少年を助けようと思っていた村人も、少年の書いたこの木札に憤慨した。人と言うのは。親切が裏目に出ると途端に掌を返すものだ。この瞬間から、アオは村人を敵に回してしまった。
食い詰め浪人の親に捨てられたのだとも、何かとんでもない事をやらかして仕置きされているのだとも噂されたが、結局本当の所は何一つ分からなかった。
皆にそっぽを向かれ、このまま死んでしまうだろうと誰もが思ったが、村人の意に反して少年は日に日に逞しく中洲に居を構て行った。
青白かった顔はみるみる日に焼けて逞しくなっていき、もう彼は守るべきか弱い子供では無くなっていた。
自分達の理解からはみ出るものは排除する。村というのはそう言う所でもあるし、そうでなければ守れないと考えるのは自然な事なのかもしれない。やがてこの少年に対して噂話が囁かれるようになった。それはやはり荒唐無稽な中傷で、捨てられた鬼の子供だとか近寄ると殺されて血を啜られるだとか、愚にも付かぬ話しだった。だが一年も経てばそれは噂ではなく嘘から出た真になって行ったのだ。
話し終えた浜路は己の膝をパシっと叩き、祐之進にとくと言い聞かせた。
「ですからね若様。あの者に関わっても良いことはありません。今日のように村人を敵に回すだけです」
「でも何故…どうして…。あの者に何があったんだ。誰も何も分からぬのに、こんなのはおかしいと思わぬか?」
「そんな事私に聞かれても困ります。話を聞いた村人達にも恐らく本当のところは分からないのです」
そう聞いても祐之進には何一つピンと来なかった。
何があったかも真実は何一つ分からないのに、あのように理不尽な扱いを受けて良いはずが無い。
それにアオにしても分からない。言い返しもせず、飛んでくる石礫を受けるままになっていた。これではまるで村人が言っている事が全て本当のことになってしまうでは無いか。額の傷も痛かったが祐之進の胸の中の方が遥かに疼いた。このまま何も分からぬままアオには会えなくなるのだろうか。
その夜、眠れぬ寝床の中から見上げた夜空には月明かりの一つもない。深い闇には数多の星が瞬いていたが祐之進の心までは慰めてはくれなかった。
その時、今まで煩く鳴いていた蛙の声が一瞬しんと静まった。どうしたのだろうかと祐之進は蚊帳の中から首を出し、開け放たれた障子の外に目を凝らした。屋敷の直ぐ下の小道辺りに提灯の灯りが揺れていた。まるでその灯りは祐之進に気づいてくれと語りかけているように思えた。
「…もしやアオが…?」
確証もないのに祐之進は縁側から下駄を突っかけて飛び出した。暗闇に揺れる灯りだけを頼りに、それだけを見つめて。
「アオ…、アオなのか?」
声を潜めて暗がりに声をかけると、急に手首を掴まれた。
「祐之進!」
「わっ!」
驚いて顔を上げると提灯の灯りにアオの顔が浮かび上がって見えた。
「アオ!」
「大丈夫か、祐之進。俺のせいでお主に怪我をさせてしまった。随分切ったのか」
額に巻かれた更紗を心配そうに見つめる眼差しが詫びていた。
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