第7話 温もり

 浜路は誰がくれたか分からぬものを口には出来ないとか薄気味悪いなどと言って食べないのかと思いきや、鰻の誘惑には勝てずに結局は食べる事になった。祐之進は鰻の出所が中洲の鬼だと言いたくて喉元まで出かかったがそれは止めた。どうせ雷と小言の嵐が吹き荒れるのに決まってる。ここは知らぬ存ぜぬを貫いた方が良いだろう。


 鰻は捌くのが難しいらしい。浜路ではヌルヌルとうねる鰻に太刀打ちできず、慣れた村の者に捌いて貰った。祐之進が何度か食べて覚えた鰻は甘辛くタレがたっぷりと塗られて炙られていたが、夕餉に上った鰻は塩を振って炭火で焼いただけと言うあっさりしたものだった。だが、ほくほくと香ばしい白焼きはあっという間に口の中で蕩けて消えた。改めて鰻も魚なのだと言う事を祐之進は再発見したのだった。


 次の日、祐之進はいの一番に中洲へ行きたかったが我慢した。来るなと言われるにはきっとそれなりの理由わけがある。あの時彼が押し黙った理由もそこにあるし、それは彼の中の禁忌で触れてはいけないものなのだ。

 しかしそこを知らないままだとこれ以上親しくなれない気もする。

きっと会えば自分はその禁忌に触れずにはいられない。考えあぐねたが本心ほんとを言うと最初から会いに行くと決めていた気もする。結局はこうして中洲を渡っているのだから。



 すっかり慣れたもので祐之進は難なく中洲へと上陸する事が出来た。だがいつもの場所に彼の姿が見当たらない。焚き火は消されていて掘建小屋の中にも生簀いけすのところにも姿が見えなかった。

何故か途端に不安に駆られた。


「アオ殿…?」


 何処かへ行ってしまったのだろうか。もしやここには定住しているのではなく仮の住処なのでは無いだろうか。俄に不安に駆られて祐之進は大きな声で名前を呼んだ。


「アオ殿!アオ殿!」


 その声に驚いたのか突然、数羽の水鳥が水面を蹴立てて飛び立つ音がした。鳥達は闇雲に祐之進に突っ込んで来てそのまま東の空へと飛び去った。驚いた祐之進は転んで尻餅をついてしまったが、中洲の舳先の方から声がした。


「ちくしょう!あとちょっとだったのにお主が大きな声を出すからだ!」


 そう悔しそうにぼやきながら現れたアオは祐之進の脇に仕掛け網を放り投げた。祐之進は尻餅をついたまま豆鉄砲を食らった鳩のように目を丸くしてアオを見上げた。


「あ、アオ殿!な、何をしていたんだ!」

「今夜は鴨鍋にしたかったのにあとちょっとで逃げられちまったじゃ無いか!」

「か、鴨鍋…。もしや今の鴨を獲ろうとしていたのか?」

「もしやとはなんだ。俺は魚も獲るし鴨だって狩る。野菜も作るし屋根も葺く」

「凄いな、其方そなたは何でも出来るのだな」

「そうしないと生きてはいけないからな」


 そんな事を何一つした事がない祐之進にとっては、事もなげに笑うアオの白い歯が眩しかった。


「なぜアオはこんな所で一人で暮らしているのだ?」


 聞いてはいけないと思いながらも、勝手にその疑問が祐之進の口をついていた。



「……生き抜く為に」


 アオはたった一言だけそう言うと、どこか遠い場所に視線を馳せた。きっとその言葉の中には祐之進が計り知ることのできないさまざまな思いが込められているに違いない。重苦しく苦いアオの思いが何も知らない祐之進の中にも流れ込んでくる気がした。彼は今までどんな人生を送って来たのだろう。何があったと言うのだろう。


「あ、そうだ…。鰻、あれはアオ殿がくれたんだろう?馳走になった。浜路も喜んでいた」


 澱んだ空気に耐えきれず、祐之進は思い出したように礼を言い、腰に下げた魚籠びくをアオへと返して寄越した。

中には魚の餌であるミミズがみっしりと蠢いていた。


「屋敷の裏庭で掘ってきた。どうせ魚を釣るにはコイツがいるのだろう?」


 鰻のお礼がミミズとは、少し滑稽な気もしたが、これが自分が出来る精一杯の気持ちだった。アオは法外に喜んでくれて祐之進も共に嬉しい心地になった。

 それからアオは祐之進に鴨の捕まえ方を教えてくれたり、簡単にスズメを捕まえる方法を教えてくれた。その日は時間が経つのも忘れるくらい楽しい時間を二人で過ごし、祐之進はますますアオが好きになっていた。ぶっきらぼうなのは彼の照れ隠しであることも分かったし、決して好んで人を遠ざけているのではない事も感じられた。いつか母に聞いたことがある。祐之進の生まれる前に赤子の頃に亡くなった兄弟がいたと言う事を。もしも兄が生きていたなら、このような人だったのではあるまいか。

 ここには来てもいつも半日しか居られない。暮れる頃には祐之進の心にも何処か裏寂しい帳が静かに降りてくるのだった。何も言わずとも、夕暮れは二人の別れの合図だった。


「アオ殿。私はまた、ここに来ても良いか?」


 去り際に祐之進が聞いた言葉にアオははにかむ素振りで頷きながら、その頭に優しく触れた。大人びてはいてもアオとてまだ十五歳。人を遠ざけた暮らしの中で、アオにとっても久しぶりに触れた人の温もりであったのだ。




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