第6話 見舞い

 不思議な少年アオ。中洲の鬼と呼ばれるアオ。武家の子供でもなく、物乞いとも違う。釣りが上手くて何処か深い翳りを帯びた少年アオ。


 其方そなたは一体何者だ。



 明くる日は朝から雨だった。連日の日照りに一服の涼を得たような、それでいて肌がじっとりとベタつくような、物憂い夏の雨だった。笹の葉や川の水面に降り注ぐ透明な矢束は中洲の風景をまるで墨絵のように変えていた。それは祐之進の沈んだ心模様に何処か似ていた。


 その朝、祐之進は久方ぶりに熱を出していた。浜路は鬼の首でもとったように、昨日の川遊びではしゃぎ過ぎたせいだと小言を言っていたが、不幸中の幸いか祐之進の今のぼんやりとした頭には刺さっても来なかった。

 昨日の束の間の高揚感は何処へ消え失せたのか。どうせ雨など降らなくとも、熱など出なくても中洲にはもう行けないのだ。はっきりとアオに来るなと言われたのだ。


 懐かしくも鬱陶しい気だるさの中、暫く微睡んだ祐之進の目覚めを誘ったのは聞き覚えの無い男の声と浜路の甲高いお喋りの声だった。それは縁側から聞こえて来た。


「それはそれは、御新造さんも心配な事ですね、人手が必要な時には遠慮無く声を掛けて下さいましね。きっとご無事で見つかりますよ」

「なに、あの放蕩息子のことですから、じきケロリと戻って来るでしょう。まったく人騒がせなもんです。…では、お騒がせ致しましたな。若様こそお大事になすって…」


 そう挨拶をすると男はまだそぼ降る雨の中を出て行った。障子に聞き耳を立てていた祐之進はその会話が気になりたまらず布団から起き上がっていた。


「浜路、今のは誰?何かあったのか?」


 障子の向こうの影へと問いかけた。


「おや、若様お目覚めになりましたか?どれ、お熱を見ましょうか」


 障子が開き、いそいそと傍に座る浜路の手には水の入った桶に手拭いが浮かんでいた。額に置いた浜路の手の冷たさが祐之進には心地良かった。


「熱も下がったようで安堵致しました。汗をおかきになってますからね、お身体拭いて差し上げましょうね」

「い、いい、自分で出来る。もう子供ではない」


 浜路の持っていた桶に手を突っ込んで自ら絞った手拭いて首を拭く。


「それより、さっきは何の話をしていたんだ?誰かいなくなったのか?」

「そうなんですよ!昨晩、庄屋の息子の虎吉さんが親子喧嘩の勢いに任せてふいっとむくれて飛び出たきり帰って来ないんだそうですよ。それでこんな雨の中、心当たりを探し回っているのだそうです。そんなに広い村ではないからその内見つかるでしょうけれど、幾つになっても親の心配の種はつき無いってもんですよ」


 浜路は一を聞いたら十を喋らずにはいられ無い女だ。お陰で短い間に話のあらましは見えた。


「その虎吉と言う者は幾つなんだ?」

「若様より三つ歳上と言ってましたから十六歳でございます。常から鉄砲玉だそうですからね、それにお年頃ですから親に隠し事の一つや二つあるんでございましょう。何にせよ、どら息子だと評判だそうですからね」


 その虎吉とて世の中にはみ出したくてはみ出ているわけではないかもしれ無いのに、ちょっと姿が見えぬからと言って、浜路のように訳知り顔で噂されるとは、会ったこともない虎吉に祐之進は些かの同情を覚えた。

 布団から出て伸びをすると祐之進の腹が鳴る。浜路は早速、粥を作ると言って部屋を出て行った。全くいやになる。人間生きていれば何もしていないのに腹だけはちゃんと減るように出来ているのだ。


 それから数日が経つと祐之進の熱はすっかり下がっていたが、出歩く気分にはなれずに相変わらず屋敷の中で暇を持て余していた。

 そんな時、裏木戸から物音がした。出入りの人足か庄屋の下男が用事でもあるのかと思い、祐之進は浜路を呼んだが返事がない。過急の何かだといけないと思い祐之進は裏木戸を見に行った。すると普段あまり使わない裏木戸が僅かばかり開いていた。不審に思いながら木戸を閉めようとした時、何か突っかかるものがあるのが分かって木戸の足元を覗き込んだ。

 そこには見覚えのある魚籠びくが置いてあり、中にはとぐろを巻く鼠色の蛇がぬらぬらと魚籠の中で光っていた。祐之進は思わず飛び退ったが、蛇にしては様子が違う。恐る恐る魚籠を指で引き寄せて見ると、それは蛇ではなく、丸々太った鰻だった。


「鰻?!鰻だ…。誰が鰻なんか…」


 そう口にしかけた時、ある一人の顔が思い浮かんだ。


「アオ?…アオ!」


 咄嗟に祐之進は木戸を飛び出し辺りを見回した。だがそこには生垣が連なるだけで誰もいない。屋敷の周りや川に出る道に走り出てその姿を探してみたが。どこにもアオの姿は見当たらなかった。だが、これは間違いなくアオの魚籠だ。

 ここにアオがいたと思うと祐之進は単純に喜びが湧いてきた。避けられたと消沈していたのに、アオがここまで来てくれた。あの日獲れなかった鰻を己にくれるために。

 もしかして己が病であることを誰かに聞いて心配してくれたのだろうか。いやまさかなと思う。村人とは距離を置いているアオが村人に祐之進の事を聞くとも思えない。だが間違いなくアオはこの木戸の前にいたのだ。そう思っただけで、ここ数日間の塞いだ気持ちが、垂れ込む雲間を分けい出たこの日差しのように、祐之進の身体と心を温かく包んだ。















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