第5話 鰻
翌朝、祐之進は浜路に作ってもらった握り飯を携えて、昨日覚えた川の道を辿って中洲へと渡った。きっとアオは迷惑な顔をするだろうが、なにせ此方には助けてもらった礼という大義名分があった。
中洲に上陸すると昨日と同じようにチョロチョロとトロ火で燃えている焚き火の前に座っていたアオは、予想通り何故また来た言う顔を祐之進に向けた。だがそんな相手へと、祐之進は腰に下げていた握り飯の入った
「そんなものは要らない。見殺しに出来なかっただけだ。鬼の目にも涙と言うやつさ」
そう言う相手の胸元へと祐之進は尚も行李を押し付けた。
「浜路の握り飯は美味い。食わねば後悔するぞ。
それにしても、何故みんな
アオは行李を渋々と受け取りながら苦笑いした。
「助けたのには何か魂胆があるからかもしれないじゃないか」
「魂胆が…?どんな魂胆があるんだ?」
「もっと太らせて喰う!とかな」
そう冗談げに笑ったその顔は、大人びた面差しの中にまだ幼さがじゅうぶんに残っていた。そこから二人は一気に打ち解けた気持ちになった。其方歳は幾つなのだと祐之進が聞くと、ならお前は幾つなのだと問い返された。
「十三だ…」
祐之進はそう言って、無意識に己の前髪を手で押さえた。アオを見れば相手は総髪。こんな暮らしをしているのだから武士の子では無いだろうと思ったが、粗野な中にそこはかと無い育ちの良さが滲んで見えるのは何故か。
「前髪が恥ずかしいのか?
十三なんてまだ子供でもいいじゃ無いか。ありまり早く歳をとるよりずっと良い」
「其方は武士の子では無いから分からぬのだ!同輩達は皆一人前となってゆくのに私はこんな所で…」
にわかに言葉を詰まらせた祐之進にアオは話の矛先を変えた。
「今日は鰻を獲ろうと思っていたんだ。お主は鰻は好きか?」
「鰻?この川に鰻が居るのか?」
アオの一言で祐之進の目が輝いた。家老の息子と言えど地方の小藩。鰻となるとそこはやはり贅沢品で、鰻は蕎麦の十倍と些か値の張る食べ物だった。年に幾度かは口にした事があるが脂が乗った鰻は舌に蕩けた。思い出すだけで祐之進の口の中には生唾が一気に溢れた。
「その釣竿で釣るのか?」
気が逸って祐之進が立て掛けてあった竿に手を伸ばすと、アオは違うよとその手を止めた。
「こっちで獲るんだ」
そう言うとアオは竹筒のようなものを出して来て祐之進に見せた。不思議そうに祐之進はその中を覗き込んだが、ただの竹筒かと思いきや中には何やら細工が施してあり、ひっくり返された茶筅のようなものが長い竹包の奥に押し込まれていた。
「この中、見えるだろう?返しが付いてるんだ。鰻は細くて狭いところが好きだから竹筒の中へと勝手に入ってきてくれるが、出ようとするとこの返しに突っかかって出られなくなるんだ。この中洲の下には鰻の穴場がある。そこに半日もコイツを沈めておけば鰻が獲れるって言う寸法だ」
アオは一頻り説明するとお主も手伝えと言って竹筒を五本と縄を祐之進の前に転がした。
「こうやって、五本の竹筒を結ぶんだ。上手くすれば五匹獲れるぞ」
アオを手本に祐之進は竹筒を紐に結えて行き、それをアオが慣れた手つきで中洲の縁から川へとそろそろと下ろして行った。
「あっという間に暇になったな。待ってる間なにをするんだ?」
「何もしない」
「え?でも何かしないと勿体無いじゃ無いか」
「何が勿体無いんだ?何か無くすわけでも無いだろう?
何も無い時は何もしない」
そう言うと、焚き火の前でアオはあの
暇を持て余した祐之進は、中洲をぐるりと探索することにした。中洲の大きさは百畳敷きほどの浮島のようだったが、流されて行か無い所を見るとちゃんと土台は陸地なのだろう。そこへ流木やら何やらと吹き溜まった結果が今のような中洲になったと思われた。さながら巨大な鳥の巣のような場所に、雨露がしのげるだけの掘建小屋があり、そこにアオが自ら作ったと思しき家財道具が少々と、獣の仕掛け罠や釣り道具が転がっているだけだった。わずかな野菜が木箱の中に転がり、手造りの小さな生け簀が川に設えららてあって、中を覗くがそこは空っぽだった。
さっきは話をはぐらかされてしまったが、一体こんな場所で何故一人ぼっちで暮らしているのか。祐之進は知りたい事が山ほどあった。アオの傍に戻って覗き込む昼寝の顔は、案外眉目秀麗な若衆のようだ。利発そうな眉にキレの長い目。意志が強そうに引き結ばれた口元に青年になりかけている頑丈な顎が付いている。陽によく焼けた肌が、無頓着な顔の汚れを目立たなくさせていた。
「良い男が台無しだ」
そう呟きながら、祐之進はその頬の汚れを着物の袖口でそっと拭った。その途端、アオは祐之進を隼の如くにひっくり返し、己の体の下に押さえ込んで手首を捻り上げた。
「痛い!いたたた!」
上がる悲鳴にアオは我に帰って手の力を弛めた。
「ああ、すまん…つい、人にいきなり触られるのは嫌なんだ」
居心地悪そうに謝るアオに祐之進こそ驚いた。武芸の嗜みも無さそうな相手が、完璧な防御と攻撃の態勢を取っていたからだった。
「其方は武芸の嗜みがあるのか?もしや其方の家は武家では無いのか?」
そうアオに尋ねてはみたが、それきりその日は頑なに、まるで閉じた貝の如くアオは口を閉ざして物を言わなくなった。それから中洲で半日を潰したが、鰻もその日は何故か一匹も獲れず、全く会話も弾まず、何の進展もないまま祐之進は帰路に着くことになった。去り際にアオがここにはもう来るなと刺した釘が祐之進の心にじわじわと食い込んだ。
捻られた手首がまるで胸の痛みのように疼く。いったい何が彼を頑なにしてしまったのか。己が何か悪いことを言ってしまったのか。来るなと言われても芽生えた好奇心というやつは、まるでに自ら竹筒に飛び込んだ鰻と同じ、嵌ったら最後、どう足掻いても外には出られなさそうだった。
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