第47話 ダイソン

 雨脚は更に強まる。


 また試合を止めてもいい具合の雨だが、あとは最終回裏の攻撃を残すのみであるのでそのまま続行となった。


 余程のことがない限りすぐに僕らの攻撃など終わってしまうと思われているのだろう。悔しいけれども1人もランナーを出していないのだから仕方がない。


 運命の7回裏。

 完全試合続行中ということで、当たり前だが打順はトップからだ。1番打者の栞はなんとか塁に出ようとバットを強く素振りして気合を入れる。


「栞、お前の脚なら行けるぞ!強く振っていけ!」


 僕は声が出せないので代わりに翼が栞へ声をかける。その傍ら僕は、『強く振れ』という翼の声掛けに反し、栞へセーフティバントのサインを出す。


 わかりやすいブラフかもしれないが、何も策を打たないよりは良い。


 栞はヘルメットのツバを持って僕を見る。『承知した』という意味の合図。彼女は左打席へ入り、審判がプレイをかけた。


「悪いけど、このまま終わらせて完全試合を達成させてもらっちゃうからね!」


 自信満々に広幡がモーションを起こす。

 彼女はもう『完全試合』の4文字を達成した気でいる。


 そうはさせてたまるか。


 初球はストレートがアウトコースに決まりストライク。栞はバントの構えを見せることはせず、ただそのまま見送った。

 日進女子の内野陣もバントを警戒して軽くチャージを仕掛けてきたが、これは空振り。


 これでいい。この1球のおかげで相手のバントに対する警戒心が大分薄れる。仕掛けるなら次のストライクだ。



 2球目、今度は外から内に入ってくるスライダー。

 栞はバットを寝かせて曲がってくるボールを迎えるように当てる。


 ――ナイスバント!

 さっきの1球目でバントへのケアが薄れたところでの最高のタイミングだ。


 栞のバットに当たったボールは勢いを失くし、ホームベースの手前にコロコロと転がる。

 バント処理が早いか、栞の脚が速いかの競争だ。


「――そうはさせないっ!」


 転がったボールを処理したのはまさかのピッチャー広幡。

 雨でぬかるんだグラウンドで勢いを失くしているボールを拾い、すぐさま一塁へ投げる。


 壮絶なデッドヒート。栞はドロドロになりながら一塁へヘッドスライディングで滑り込んだ。


「――アウト!」


 審判からは発せられたのは残酷なコール。

 想像以上に広幡のフィールディングと送球が良すぎたのだ。


 僕は、一流投手は野手としても優秀だと言っていた親父の言葉を思い出す。

 そんなこと当たり前だろうと思っていたが、いざそれを相手にするとなるととてつもない絶望感がある。


 チームイチの俊足が最高のバントをしたのに結果は奮わず、これでワンアウト。

 続く2番の凛もなんとかバットに当てて懸命に走るがセカンドゴロに倒れる。


 いよいよツーアウト。もはや万策尽きたと言えるこの状況で、3番の新居響子に打順が回る。


「……監督、指示はありますか?」


 響子は僕に指示を仰ぐが、あいにく使えそうな手はない。

 しかし何も策を打たないのは僕のいる意味が無くなってしまう。


『投手というのは完全試合が近づくとインコースに投げにくくなる生き物だ』


「……それはつまり、外側を狙えということですか?」


『それで打てたら苦労はしない。でも、ホームベースの内側に立って明らかに外角狙いだとアピールすれば、もしかしたら投げ損ねてくれるかもしれない』


 正直なところそんなものは眉唾でしかないが、広幡も人間だ。大記録が近づけば緊張感も相まってインコースには投げにくいはず。

 少なくとも、僕がマウンドに立っていればそう思う。


 だから思い切って外角狙いを宣言するようなスタンスをとることで、その投手の緊張感を逆に利用してやるのだ。ましてや3番打者で右方向に流すのが得意な響子だ。闇雲に打席へ向かうより数億倍ましである。


「……わかりました、やってみます」


 響子はそう言って右打席へ入る。

 いつもはバッターボックスの真ん中後ろに立つのだが、今打席は捕手とぶつかるのではないかと思うぐらいホームベース内側に立っている。誰がどう見たって外角狙いだ。


 広幡は響子に対して外へ逃げるスライダーを2つ続けた。

 1球目は空振り、2球目は上手いこと見送ってボール。カウントは1-1となった。


 いくら外角狙いでも、バットが届かないところに曲がっていくスライダーを投げられては打ちようがない。


 全てがボールになるスライダーならば待球していればフォアボールぐらい狙えそうだが、広幡はしっかりストレートを投げてカウントを整えてくる投手だ。

 響子には1/2のヤマカンで勝負してもらうしかない。


 次が勝負球の3球目。僕はもう祈るしかなかった。


 しかし、その祈りが通じてしまったのか、広幡は思わぬところにボールを投げ込んでしまう。


「あっ……、しまった」


「……い、痛ったぁ!」


 雨ですっぽ抜けたのか、ボールは響子の背中に当たってしまった。

 もちろんこれはデッドボール。


 響子にとっては痛いかもしれないが、チームとしてはこれ以上ない結果だ。


 ついについに7回裏二死から、この試合初めてのランナーが出た。


「よっしゃあ!」「アライさんナイス!」

「さすがド根性女!」「ペンネームデッドボール大好きっ子!」

「吸引力の変わらないただ一人の打者!」


 広幡の完全試合を阻止したということでベンチは大騒ぎ。

 痛そうに一塁へ歩く響子はそれを見て、軽くグッドサインをこちらへ向けた。


 ホームベースの内側に立ったのが功を奏したのかもしれない。万事休すかと思っていたが、足掻けばまだなんとかなるかもしれない。


 まだまだ出来る事はあるはず。最後まで足掻け。

 僕は僕自身にそう言い聞かせ、4番のガルシア葵へ指示を耳打ちした。

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