第46話 すいすい・あめうけざら

「――ストライクッ!バッターアウト!」


「っしゃああ!!!」


 豪速球とともに翼が雄叫びをあげる。


 ツーアウト満塁のピンチはパワーピッチで押し切り三振にとった。

 これでこそエース。本当に頼りになる。


『よしいいぞ!取られた分は取り返してやろう』


 ナインたちが引き上げてくる。

 ピンチを最小限の失点で切り抜けたことで、みんな少し興奮気味だ。


 この流れでなんとか1点返したい。


 ◆


 思った以上に広幡を攻略するのは難しい。

 5回、6回と光栄打線が三者凡退に倒れると、いよいよ『完全試合』の4文字が浮かんでくる。


 ここまで打者2巡、ひとりのランナーも出ていないのだ。

 いくら失点を抑えても、点が取れなければ勝ち筋はない。


 僕は勝負半ばにして負け試合を確信してしまっていた。



 最終回、7回表。


 ここにきて再び雨脚が強まる。試合を中断するような強さではないが、刻一刻とグラウンドコンディションを悪化させていく雨だ。


 マウンドの翼にも異変が起こる。


「――ボールスリー!」


「くっそ……、ボールに指がかかりにくくて仕方ねえ」


 明らかに翼は雨で投げにくそうにしている。

 湿り気で指先の感覚が変わることはもちろん、それに加えてマウンドの状態も良くない。

 これではまたフォアボールでランナーを溜めてしまう。


『タイムだ』


 カウント3-0という中途半端な状態で僕はタイムをかけた。


 思い切って翼を降板させよう。

 球数も嵩んでいたし、ここらで店じまいがいいところだ。


 マウンドへ送ったのはもちろん杏里。

 彼女の性格的に、翼がピンチになってから登板するほうが燃えるはず。タイミングとしてはここがベスト。


「お疲れ様だね、ここまでよく2点に抑えたもんだ。……まあ、ボクなら完封してたけどね」


「ほざけ」


「あとは任せなよ。悪いけどボク、こういうシチュエーションは嫌いじゃないんだよね」


「ああそうかい、せいぜい日進女子打線に骨を折りやがれってんだ」


 翼はボールを杏里に渡すと悔しそうにマウンドを降りた。


 完投したかっただろうが仕方がない。こういう場面がこの先何回もあるはずだ。リリーフに任せることも必要だと翼には理解してほしい。


 ボールを受け取った杏里は投球練習を始めた。

 余程投げたかったのだろう。試合前から肩を作っていたおかげですぐにプレー再開となった。


「さあ、ショータイムの時間だ」


 キザなセリフを吐くと杏里はセットポジションに入る。


 ……そういうセリフって漫画でしか言わないものだと思っていたので、実際に言うのは初めて見た。恥ずかしくないのかな杏里。


 内野4.5人シフトは解除。全員定位置出迎える最後の守備。


 ノーアウトランナー無し、ボールカウント3-0からの1球目はエグい角度のついたクロスファイア。


「――ストライク!」


 カウントもカウントなので打者は1球様子見をしたようだ。


 しかしながら雨の中のスクランブル登板とはいえ、杏里のボールはこれまでにないほどキレているようにも見える。

 そんなに翼の降板が嬉しいのだろうか。


「……杏里あいつ、超のつく雨女だからな」


 ベンチで不貞腐れている翼がそう言う。


『雨女?』


「ああ。本来の『雨女』とはちょっと意味が違うけどな」


 どういうことだ?

 一般に雨女とか雨男と言えば、遠足とか運動会とかの重要な日に雨天を呼び込むオカルトみたいな能力を持つ人のことを指す。

 それとは少し違うのだろうか。


「杏里のやつ、雨降りのときのほうが球威も変化球のキレも数段良くなる」


『なんだよそれ……、雨が好きってことか?』


「そういうこった。オレは内心『カタツムリ女』と呼んでいる」


『カタツムリって……』


 まるで初代仮面ライダーに出てくる怪人のようなそのネーミングセンスはさておき、これまた杏里には不思議な能力があったもんだ。


 いろいろな投手を見てきた僕ではあるけれど、雨が好きだというのは見たことがない。普通なら翼のように雨が降れば調子を崩すほうが多い。


「ストライクッ!バッターアウッ!!」


 えらく気合いの入った審判のコールが雨音に混ざって響く。


 カウント3-0だったはずなのに、いつの間にか杏里は三振に打ち取ってしまった。


「さあさあ、雨が止まないうちにどんどん行こう」


 そんなことを言う投手は多分この世で杏里だけだ。

 他のみんなは早く雨が止めよって絶対に思っている。


 続く打者2人もシンカーとドロップカーブの合わせ技でバッタバッタとなぎ倒していく。


「ハハッ、どんなもんだい!ボクにかかればこれぐらい余裕さ」


 3アウトになり、杏里はガッツポーズをしてベンチへ下がってくる。

 練習試合なので延長戦はない。でもここで今日の出番が終わりだというのがなんだか勿体ないような出来であった。


『おかえり、ナイスピッチ』


「まったく、監督くんちゃんはボクという切り札カードを切るのが遅いんだよ。次は先発起用で頼むよ?」


 それはそれで杏里の特徴が生きないから無理なこった。

 というより、いい加減自分がリリーフ向きなのに気がついてくれ。あと、『監督くんちゃん』はやめろ。



 試合は最終盤を迎える。

 7回裏のマウンドにはもちろん、日進女子の2軍エースである広幡が上がる。


 最後の攻撃だというのに僕は、あと3人で完全試合達成という今日の広幡を打ち砕くイメージが出来ない。


 このまま監督として何も出来ないまま負けてしまうのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る