第40話 みんなのアイドル監督ちゃん
日進女子との練習試合の日。
僕らはいつもなら自分たちのグラウンドに相手を招いて練習試合をするのだけれど、今日は違う。
日進女子の綺麗なグラウンドで試合をすることになっている。同じ県内ではあるけれどちょっとした遠征だ。
グラウンドに入るなり、明大寺先生と雅が相手方に挨拶をしに行った。
その傍ら、強豪校のグラウンドで試合が出来るということで、謎に修学旅行みたいなテンションのナインたちがウォーミングアップを始める。
みんな強豪校に気圧されるような気配もなく、むしろ楽しんでやろうみたいな心意気があって良い。この程度で変に緊張しないのが彼女たちの良いところだろう。
え?僕は何をしているかって?
そりゃあみんなに練習指示とかサインの確認とかやっているよ?こう見えてちゃんと監督やってるんだからな。
なに?そんなこと聞いていないって?
それよりも今日はどんな格好で来たのか気になるって?
そんな当たり前のことを聞くな。
日進女子に来ているんだぞ?
…………女装に決まっているだろ。
僕は改めてため息をついた。
きちんとした手順で入門の申請をしているので、別に今回は正体を隠して女装をする必要はなかった。
でも何故かチームメイトからは「せっかくだから女の子の格好で行こうよ」とか「ゆう子ちゃんがいると打率が上がりそう」とか「ゆう子ちゃんのおかげで妹の病気が治りました!」とか大絶賛の声を頂いたので、不本意にも彼女たちの本意で女装をすることになってしまった。
これで士気が上がるならそれも監督冥利に尽きるだろう。
そう思いこむことでなんとか自分を納得させている。不憫だ。
そういうわけで先日の偵察のとき同様、僕は声を出すことが出来ない。
ベンチでボソボソ喋る程度なら大丈夫だろうけど、試合中にナインへ声掛けが出来ないのはちょっと辛い。
「……ゆう子、今日の試合で声を出したいときは私を頼って」
救いの手を差し伸べてくれたのは爽。
そういう気遣いをしてくれるだけでもありがたい。
「いやいや、サーヤじゃ声が小さくて頼りないだろう。そんなときはボクを頼りなよ監督く……、いや、監督ちゃん」
横入りしてきたのは杏里。
確かに爽は声が小さいので杏里のほうが適任かもしれない。でも、何故か彼女の喋り方というのは人をイラつかせる不思議な栄養素を含んでいる気がするので、逆に不適任な気もする。ある意味才能。
それと、『監督ちゃん』はやめてくれ。
そんな爽や杏里よりもおしゃべり界の2008年オリックスバファローズビッグボーイズ打線こと藤川雅という適任がいる。
しかし、どうも今はそんな感じではない。
昨日のちょっとした事件で雅が練習を早退して以降、僕は彼女と一言も交わせていない。
今日は試合に顔を出してくれたまでは良かったが、挨拶をしてもうまくはぐらかされてしまった。
雅は余程僕に近づいて欲しくないのか、相手チームへの挨拶から帰ってきてからというもの、黙々とバットを振っている。
まるで、今日の試合は自分の手で決勝点を叩き出してやろうという、そんな鬼気迫る感じすらある。
なにか僕が悪いことをしてしまったのだろうか。雅は思いつめてはいないだろうか。
無自覚のままやんわりとした罪悪感に苛まれる。
「……なあ
いち早く僕と雅の異変に気がついたのは翼だった。
彼女はなんにも見ていないようで意外にもちゃんとチーム全体を見ている。さすがはエースを自負するだけある。
「僕にもよく分からないんだ。喧嘩だったらよっぽど良かったんだけど……」
「……まさかオレも
翼は少し困ったような顔を見せる。
ひとりで何かを抱えている雅というのは、付き合いの長い彼女にとっても珍しいようだ。
「……ちょっと今日は雅のことを注視していたほうがいいかもだ。オレの勘だけどな」
「そうするよ。僕も気になって仕方がないんだ」
「頼むぜ、ウチの大将さんよ」
そう言うと翼はグローブで僕の肩をポンと叩き、投球練習をするためにブルペンへ駆けていった。
思い切って雅に声をかけるべきだろうか。
ここで声をかけてしまったら、何かが崩れ落ちてしまうのではないかという一抹の不安がある。
それでも言葉を交わさないよりは100倍マシか。
僕の頭の中ではまるでハムレットのごとく「言うべきか言わないべきか」の押し合いが繰り広げられている。
いや、でもちゃんと言葉を交わさないと伝わらない。人間である以上、以心伝心なんていうのはあり得ない。
僕は雅の元へ向かおうとベンチからグラウンドに出た。
すると、その瞬間を待っていたかのように相手選手から名前を呼ばれた。
「あー!ゆう子ちゃんだー!今日も来てくれたんだね!」
声の主は日進女子の2軍エースである広幡朋。
先日偵察へ行ったときには、彼女は僕の
この間はうまいことアプローチを避けたので、さすがに広幡も諦めたかと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。
「ねえねえ、今日も私が投げるんだけど、もし勝ったら一緒に遊びに行かない?前回のリベンジってことで」
僕は声を出しそうになってぎりぎりのところでとどまった。
一旦呼吸を整えてペンとスケッチブックを手にする。
『遠慮しておきます』
「えー、間違いなく楽しいのにー。……でも、それぐらいガードが固いゆう子ちゃんもかわいいよ?」
諦めるということを知らないのかこの子は。僕が一生懸命筆談でお断りしているのに。遠慮の『慮』の字を書くのは結構大変だったんだからな。
断ったことで余計に火に油を注ぐ形になってしまった。追いかける側が燃えるのはどうやら本当らしい。
「絶対ゆう子ちゃんを振り向かせてあげるからねっ!今日の投球ちゃんと見ててよね!」
曲がりなりにも僕は敵チームなのに、広幡からのアピールが凄い。それは自チームの監督にやるべきじゃないのかと言いたい気持ちを僕は一生懸命抑える。
寄り添いたい人からは近づくなと言わんばかりの態度を示され、逆に近寄って欲しくない人からは猛烈にアピールされている。
なかなか上手くはいかないもんだ。
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