第41話 風、冴ゆる
まもなく試合が始まる。
僕らは後攻。マウンドには当然翼を送った。
今日のオーダーはいつもの打順を少し変更した。
できるだけ翼を投球に専念させるため5番から6番に下げ、ここのところ打棒の調子が良い華音を5番に上げた。
あとはいつもセンターを守っている栞をレフトに、レフトの華音をセンターに入れ替えた。これは追々説明する。
相手は2軍とはいえ女王校の日進女子。しかも、スピード重視という厄介なチーム編成。
ランナーが溜まることによるビッグイニングだけは避けて、とにかく失点を抑えていくしかない。
『翼、頼んだぞ』
「おうよ、心配すんな」
僕はスケッチブックに字を書いて翼へエールを送る。
女装しているのでうかつに声が出せないのがなんとも悔やまれる。
それでもうちのエースはどんな相手でも気持ちをどっしりと構えているのでなんとも頼もしい。
投球練習を見てもかなり球が走っているので、今日の翼から1点を取るのはたとえ日進女子でも難しいはず。
「両チーム、礼!」
「「「お願いします!」」」
試合開始前の礼を済ませると、光栄学院ナインはグラウンドへ散っていった。
天気はやや曇り気味、風はホームからライト方向に吹いていて、ニュースによるとにわか雨の可能性はあるが、大崩れはしないらしい。
「それにしても監督ちゃん、あんな極端なシフトを引いて大丈夫なのかい?外野に飛んだら長打確定だろう?」
挨拶を済ませてベンチに戻ってきた杏里が早速僕に疑問をぶつけてきた。……あと、監督ちゃんはやめろ。
先発出場ではなくリリーフ待機ということで、左手でボールを弄りながら少し退屈そうな顔をしている。
彼女の言う極端なシフトというのは、確かにやり過ぎのように見えるかもしれない。
『いや、あれでいい。スピード重視のメンバーなら効果てきめんだよ』
「本当に大丈夫なのかい……?『内野4.5人シフト』なんて、シフト野球が流行ってるアメリカでも聞いたことがないよ?」
僕が指示したシフト、それはセンターを守る華音を2塁ベース真後ろ近辺に配置するという、内野4.5人、外野2.5人のシフト。
パワーで劣る日進女子2軍の選手ならば、翼のボールを外野まで飛ばすのは困難だろうと思い編み出したものだ。
内野手は基本的に前進守備で、足りなくなるベースカバーをセンターから持ってきて補うという作戦。
華音をセンターに配置したのはそれが理由だ。彼女は少しだけ内野手の経験があるので、ベースカバーをやらせるなら適任だ。
加えて打球がよく飛んで来るレフト側には足の速い栞、ライトには肩の強い野々香という万全の配置。
我ながら良く出来ていると思う。
「……相手チームのスピード対策としては、悪くないと思う」
杏里と同じくベンチ待機の爽がつぶやく。
『だろ?内野5人シフトだとちょっとやり過ぎだけど、4.5人ならちょうど良いんだ。これがハマれば相手に与える心理的ダメージも大きい』
わざわざスピードを売りにしているチームを根本的に駆逐するような作戦だ。カッチリ決まれば文字通り僕らに対して『手も足も出ない』状態になる。
光栄学院女子野球部が只者ではないと日進女子に印象付けられるだけでも効果はある。
「……でも、強く振ってくる人がいたらまずいかも」
「それはボクも思った。スピード重視とは言っているけれど、みんながみんな非力ってわけでもないだろう?」
『大丈夫。先日の偵察で大体相手打者の特徴は掴んだから。そもそもパワーがある打者なら2軍にはいない』
まあ確かにそうだなと2人は納得する。
偵察に行っていなかったら思いつかなかった作戦だ。
今回ばかりは
……できれば女装は今回で最後にしたいけど。
「――プレイボール!」
審判のコールで試合が始まった。
左打席にはバスタースタイルの構えをした日進女子の1番打者、
偵察のデータ通りなら、翼の速球をなんとか転がして足でヒットをもぎ取ろうとするはず。
そういうわけで翼には細かいコントロールは要求しなかった。非力な打者にはとにかく力で押していくのが一番効果的だ。
翼はゆっくりとワインドアップモーションを起こす。彼女の鍛えられた身体からは、投げる前から既に威圧感が漂っている。
左足を真っ直ぐに踏み出し、キャッチャー林檎のミット目掛けて右腕を振りおろす。
放たれたボールは、バズーカ砲のごとくホームベースへ向かっていった。
しかしその瞬間、僕の背中にはなにか悪寒のようなものが走った。
作戦も指示もバッチリなはず。翼の放った初球のストレートだって悪い球じゃない。
それでも何故か僕の身体は、得体の知れない恐怖のようなものに包み込まれそうになった。
それもそうだ、バッターは強烈な翼のボールに対して、なんの躊躇いもなくスイングして来たのだ。
しかも当てに行くようなバッティングではなく、予想に反した強振。大きいのを狙うスイング。
鋭い打球音とともにボールが角度をつけてライト方向へ上がっていく。
まさか初っ端から打球が飛んでくるとは思っていなかったライトの野々香が懸命に追う。しかし、それも虚しく追い風に乗った白球はスタンドの向こうへ消えていった。
「うそ……、だろ……?」
マウンドで翼は冷や汗をかいている。
それだけではない、グラウンドの9人とベンチの3人、そして僕までみんな動揺している。
まさかまさかの初回先頭打者ホームラン。
非力でスピード重視であるはずの日進女子2軍からは考えられない結果だ。
もしかしたら僕は、作戦を間違えたのか?
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