第39話 鞄の中、心の中
日進女子との練習試合前日。
僕は皆がウォーミングアップしているのをそっちのけで、部室にて自前のノートパソコンを開いている。画面には広幡朋の投球動画が映っていた。
敵ながらやっぱり凄い投手だ。
この間の対決で僕が彼女の球をヒットに出来たのもマグレと言い切って良いレベル。
僕らと同世代のスター選手。明日の試合だけでなく、これから3年間立ちはだかるのは間違いない。
だからこそ何かしらの突破口を見つけておいて、うちのチームに対する苦手意識を広幡には植え付けておきたい。
「それにしたってあの制球力は並外れてるだろ……。ストレートもスライダーも全く同じコースに投げてきたし……」
僕は誰もいない部室で独り言をこぼす。
対決の際、広幡は同じコースにしか放らないというハンデをくれた。
確かにそれはハンデではあったのだが、実際は彼女のズバ抜けたコントロールを浮き彫りにさせたわけだ。
ストレートだけでなく変化球まで寸分違わないコースに投げ込んでくるというのは脅威以外の何物でもない。
それはつまり、逆球とか高めに浮くとかいう甘い球がほとんど来ないことを意味しているからだ。
「狙い球を絞るにしたって厳しいコースにしか来ないんじゃどうしようもないな……」
考えたところで答えは出てこない。
こういうときは身体を動かすに限る。もしかしたら僕がモノマネ投球で投げているうちに、みんながなにか掴んでくれるかもしれない。それならそれでも良い。
僕はひとりで監督をやっているわけじゃない。改めてチームメイトの大切さを感じている。
「……あれ?雄大くん、まだ動画を見て研究してたんすか?」
「ああ雅か。……うん、映像を見れば見るほど凄い投手だよ」
「そんなこと言って、ちゃっかり雄大く……、ゆう子ちゃんはヒットを打ったじゃないっすか」
「そこまで『ゆう子ちゃん』呼びを徹底しなくていいよ!」
僕は正体を隠している小さくなった名探偵とかじゃないんだから。女装になっても身体は同じ、性別はいつもひとつ。
「流石に映像を見ているだけじゃ対策は思いつかないよ。ちょっと投げ込みをして頭をスッキリさせたほうがいいかも」
「そうっすね。ちょうどみんなウォーミングアップが終わったんで、早速シートバッティングを始めるっすよ。キャプテン特権で私が最初に打つっすから覚悟してくださいっす」
雅は僕のモノマネ投球を打ちたくてしょうがないらしい。
いつもどおり雅は明るく振る舞っているけれども、僕にはちょっと違うように見える。から元気みたいな感じ。
本当なら広幡対策だけでなく雅のケアもしてあげたいところなのだけれども、あいにく僕の身体は一つしかない。
監督としては、チームのことを優先して考える以外無いのだ。
「……今日もひと試合分投げるのか。しんどいなあ」
「でも雄大くん、かなり体力がついてきたっすよね。……男子チームでプレーしてもやっていけるんじゃないすか?」
「まさかまさか。大体、男子野球部の入部試験にあっさり落とされたのに、今更付け焼き刃のトレーニングでなんとかなるほど高校野球は甘くないよ」
「そう……、っすよね。ごめんなさいっす」
なんだか雅との会話もしっくりこない。
いつもならこんな所で雅は「ごめんなさい」なんて言わないはずなんだ。一体何なんだよ、雅を悩ませていることって。
そんなことを考えていると、僕はあることに気がついた。
「あっ……、教室にグローブを忘れてきちゃった。ちょっと取ってくるよ」
「案外雄大くんもおっちょこちょいっすね。商売道具を忘れちゃ駄目っすよ?」
「ごめんごめん。雅、悪いけどグローブを取りに行っている間にノートパソコンを片付けておいてくれるか?そこの僕のカバンに入れておいてくれ」
「仕方がないっすね。早く取ってくるっすよ」
僕は小走りで部室を飛び出して教室に向かった。
監督をやり始めてからはほとんど使わなくなってしまったグローブ。それでも手入れだけは欠かさずにやっていたおかげで状態は良い。今すぐ守備固めに入れ言われても大丈夫だ。
……僕、ピッチャーだから守備固めもクソもないんだけもね。
教室のロッカーからグローブの入った袋を取り出すと、これまた小走りで来た道を帰る。こういう時、不思議と帰り道のほうが時間が経つのが早い気がする。同じ道なのに。
部室に戻って来ると、まだ雅がそこに立っていた。
「ただいま。悪いね雅、ノートパソコンの片付けをしてもらっちゃって。……雅?どうしたんだ?」
雅は黙ったまま呆然としていた。
おしゃべり界の『2018年埼玉西武ライオンズ山賊打線』こと藤川雅が言葉一つ発せずに固まっている。
こんなことは異常以外の何物でもない。
「……なあ、雅?どうしちゃったんだよ?」
「…………ごめんなさい雄大くん、ちょっと今日は帰るっす」
「どうした?体調でも悪いのか?だったら明大寺先生のところに……」
「…………ごめんなさい」
それだけ言うと、雅は自分のカバンを抱えて部室を出ていってしまった。
すれ違う時、目元が潤んでいた気がする。泣いていたのだろうか。もしそうなのなら、一体何が雅をそうしたのだろうか。
このときの僕は、何もわからなかった。
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