第34話 アディダス

 週末。

 僕は朝早く部室に呼び出された。待っていたのは偵察要員の雅と爽と杏里、そしてメイク担当のオシャレ番長針崎華音。

 到着するなり鏡の前に着席させられ、とびきりのメイク技術によって綺麗に顔面が仕上げられていった。


「やっぱり監督の肌って凄いわね。どんなケアをしたらこんなにきめ細やかになるのかしら……」


「本当に絹織物みたいっすよね。男子の方が化粧乗りが良いとは聞くっすけど、それにしたって雄大くんは別格っす」


 人生において野球のことで称えられた経験はほとんどないのに、何故か化粧とか女装については物凄く評価されてしまっている。

 誰でもなにか一つは強みがあるとは言うけど、僕のタレントが女装これだというのは僕自身が一番驚いている。


「さあ完成よ。今日も可愛いく出来たわ」


「それじゃあ日進女子の偵察にレッツゴーっすね!」


「ちょっと待ったちょっと待った!顔は完成したけど髪型とか服装はどうするんだよ!」


 顔面だけ塗りたくっておいて他はそのままとかあまりにも杜撰過ぎる。


 女装していることが他の人にバレないためにも、もっと本格的に手を入れる必要がある。中途半端はダメ、ゼッタイ。


「そんなところまで気にしてくれるなんて、雄大くんたらもう完璧に女装の虜じゃないっすか」


「んなわけあるか!僕だって出来ることならこんなことしたくない!」


「まあまあ落ち着いて下さいっす、ちゃんと服は用意したっすから」


 雅はどこからか僕が着る衣装を取り出してきた。

 てっきりガーリーに気飾られるのだとばかり思っていたので、雅の差し出す衣服に少しばかり肩透かしをくらった。


「……これは?」


「見ての通りジャージっす。今日の雄大くん……、いや、ゆう子ちゃんのテーマは『美少女マネージャー』っすから」


 僕の目の前に置かれたのはなんの変哲もないジャージだった。三角形のロゴマークに特有の3本線が入ったお馴染のやつ。

 ただ一応女装という点を考慮されているのか、ピンク地に白ラインという、いかにもという感じの物だ。


「マネージャーなら偵察に行っても自然っすし、これならゆう子ちゃんも抵抗なく着てくれそうっすからね」


「……本当に雅は変なところで上手に気遣いしてくれるよな」


「いやー、それほどでもっす」


「褒めてない」


 ジャージは明大寺先生から借りてきたらしい。

 先生のほうが絶対に似合うのに。


「ウィッグは、私が用意してきた」


「爽が?意外だな、ウィッグなんて持ってるのか」


 爽はザ清楚系女子っぽい黒髪ロングのウィッグを取り出した。

 元々爽自身がサラサラのロングヘアなので、こんなウィッグを持っているのが不自然な気がする。


「……これは野々香から借りた。コスプレに使うんだって」


 犯人は野々香パチ美か……。


 こういう時にフルスロットルでオタク力をぶちかましてくるのがオタクたる野々香っぽい。……もちろん良い意味で言っているぞ?


 僕は腹をくくり、手早くウィッグを装着し、物陰でピンクのジャージをササッと着込んだ。

 鏡を見ると確かに運動部の女子マネージャーっぽい。バインダーとストップウォッチを持っていたら完璧だ。


「おおお!完成度めちゃくちゃ高いじゃないっすかゆう子ちゃん!」


「もう『ゆう子』呼びは始まってるのね……」


「もちろんっすよ。私達も早めに『ゆう子』呼びに慣れておかないと言い間違えちゃうっすからね」


「……そうだね。間違えたら大変だもんね」


 段々言い返す元気も無くなってきた。

 今日はこのまま成り行きに任せておこう。そうしないと僕の身が持たない。


「それじゃあ改めて日進女子へレッツゴーっす!」


「「「おー!」」」


「おー……」


 ◆


 いよいよ日進女子の構内に潜入する。


 ここまで電車で来たわけだが、女装がバレやしないかドキドキだった。世の中にはこのドキドキがたまらないという人もいるらしいが、僕には一生理解できそうにない。


 華音はいざという時の通信役として外に待機し、偵察メンバーである僕と雅、爽、杏里は何食わぬ顔で女子野球の練習試合が行われているグラウンドへ向かった。


「……なあ雅」


「シーッ!流石に声を出したらバレちゃうっすから、ここでは筆談でお願いするっす!」


 一応マスクも着用してはいるが、確かに雅の言う通り声を出したら男だと分かってしまう。

 仕方がないので用意してきたスケッチブックに文字を書いて筆談をするしかない。


『雅と爽が偵察メンバーなのはわかるけど、なぜ杏里も?』


「それはっすね、ボーイッシュな杏里がいれば余計にゆう子ちゃんが男バレしにくくなると思ったからっす。いわば保険っすね」


 ボーイッシュな杏里と女装の僕を並べておけば、なにかあった時に真っ先に疑念を持たれるのは杏里だろう。


 それはそれでえげつない采配だ。呼ばれた理由など全然知らなかった当の杏里は「えっ、ボクはそんな役割だったのか!?」って動揺してしまっている。


「というわけでここがグラウンドっす。ちょうど試合が始まりそうっすね」


 日進女子のグラウンドはもはやそのへんの市民球場より立派かもしれないぐらいのものだった。

 少しばかりではあるが客席もあるし、スコアボードやナイター照明もバッチリついている。さすが強豪校の資金力。


 僕ら4人はその客席に位置どった。

 目立ったらまずいなとは思っていたけれども、僕ら以外のチームも偵察に来ていたので安心した。

 やはり強豪校というのは皆からマークされる運命にあるのだろう。


「――プレイボール!」


 練習試合が始まった。

 日進女子の2軍vs昨年のベスト16である岡崎おかざき実業。


 僕個人としては実力の均衡したチーム同士のロースコアゲームになると予想していた。

 しかし、試合が始まるとすぐにその予想は大きく裏切られることになる。

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