第35話 速さこそスピード
「……日進女子のピッチャー、どこかで見たことがある」
「ボクも見た気がする。多分この間読んだ野球雑誌だ。――えーっと確か、
試合開始早々、爽と杏里が日進女子のピッチャーを注視した。
それにつられて僕と雅もそのピッチャーを見る。マウンドにはすらっとした体型の投手が捕手とサインを交換しているところだった。
「あっ、私も見たことあるっす!
雅も彼女について心当たりがあるらしい。さすがプロ野球選手について色々知っているだけある。
広幡大輔といえば、現役時代は僕の父親と同じチームでローテーション投手を務めていた人だ。
タイトルこそ獲らなかったけれども、毎年安定した成績を残していた投手。引退後は男子の高校野球チームで監督をやっているなんて話も聞いたことがある。
そんな人の娘なのだから、中学時代から随分と活躍していたとのこと。同世代のスター選手と言ってもいいだろう。
「どこの高校に進学するのか注目されてたっすけど、日進女子に行ったんすね」
「……投球内容、ちゃんと見ておくべき」
もしかしたら広幡とは来週の試合で対戦するかもしれない。
それだけでなくこれから3年間、ライバルとして立ちはだかる可能性もある。マークしておいて当然だろう。
広幡朋のしなやかな右腕から放たれる球は、『糸を引くようなボール』と表現して差し支えないだろう。
まるで重力に反しているかのように、ストレートが伸びているのがよく分かる。
それなりの戦力が揃っている対戦相手の岡崎実業ですら、彼女の投球には手が出ない様子。
広幡は1回の表をあっさりと3人で締めてしまった。
◆
その裏の日進女子2軍の攻撃が始まる。
僕は予習として日進女子の戦い方を少しばかり研究した。
スタイルとしては超攻撃型。とにかく初球から強く振ってくる積極性で、送りバントをするぐらいならゲッツーになったほうがマシだと言わんばかりの押せ押せ野球を仕掛けてくる。
その圧倒的な得点力は他の追随を許さず、決勝以外はすべてコールド勝ちで昨年の県内女王となった。
当然のごとく僕は2軍でも打撃重視のチームであるだろうと思い込んでいたが、その予想は綺麗に裏切られることになる。
「ゆう子ちゃん、あれを見てくださいっす!」
雅が指差した先には日進女子2軍の1番打者。
その打撃フォームはバスタースタイルだった。大きいのを打とうという感じではなく、とにかく当てて転がすようなそんな意図を感じる。余程足に自信があるのだろうか。
1番打者は初球のボール球を見逃し、カウントを取りに来た次の球に手を出した。
――しかも驚くことにスイングではなく、バットを寝かせて当てに来たのだ。
「セーフティバント!? 強打の日進女子のスタイルとは真逆っす!」
転がった打球は3塁線上でいい感じに勢いを失い、処理をし終える頃にはバッターランナーが1塁を駆け抜けきっていた。余裕のセーフ。
「しかも物凄い俊足だったっすね……、うちの
僕は皆から声を出すなと言われているのでリアクションが取れないが、雅同様その足の速さには驚いていた。
ナムコスターズのピノ並と言ってしまうと大袈裟かもしれないが、野球部よりも陸上部にいたほうが良かったのではないかと思ってしまうぐらい速い。
『あの1番打者、誰か情報を知っているか?』
急いでペンをとってスケッチブックにそう書き込んだ。
しかし3人とも答えはノー。中学時代は全くの無名選手だったか、もしくは県外からやってきた選手なのだろう。
その後も日進女子2軍はとにかく足を使った攻撃を仕掛けてくる。
スキあらば盗塁をしてくるし、打者はクリーンナップですらひたすら転がす打撃をしてくる。
1軍がパワー野球だとしたら、2軍はとにかくスピードにステータスを全振りしたような野球だ。
「でもなんで1軍はあんなにパワー型なのに、2軍はスピード型なんすかね?」
『パワーのある選手が1軍に引き抜かれて、結果としてスピード型の選手が2軍に集まったのかもな。それで勝つための手段を考えていくとなると、あんな風なスタイルになるのも理解できる』
「なるほどっす……。でもそれだと、2軍の選手が1軍に上がった時にチーム方針に反するし通用しないんじゃないすか?」
『僕も最初はそう思った。でもよく考えてみたら、野球においてスピードとパワーは相反しない』
「どういうことっすか?」
僕は言葉を絞り出しながらスケッチブックに文字を書き込む。
『スピード型の選手が1軍に混ざることで出塁を増やしたり、相手に揺さぶりをかけたりする。すると1軍持ち前のパワー野球は得点力がさらに増強されるわけだ。1軍と2軍でスタイルが違うのは、養いたい能力を一本化するためかもしれない』
雅は僕の考察に納得したようだ。
こういう説明の時に筆談は便利だ。頭で思い浮かべる手間が省ける。
「なんにせよ日進女子ばりに選手層が厚いから出来ることっすね……。女王のやり方はエグすぎっす」
あくまでも考察だから真相は定かではないが、もしもパワーとスピード両方を兼ね備えたチームを作り上げてくるのであれば脅威以外の何者でもない。
この夏対戦することがあるのであれば、何か策を立てる必要がある。そうでもしなければあっという間にコールド負けしてしまうだろう。
肝心の試合の方は日進女子2軍のワンサイドゲーム。
とにかくランナーを出して細々と点を入れていき、守っては広幡の好投で岡崎実業に得点を許さない。
ストレートとスライダーが中心の組み立てで打たせて取る投球を見せた広幡。7イニング完投したのにも関わらずその球数は93球と驚くほど省エネルギーだった。
終わってみれば12-0の完全勝利。2軍とはいえこの実力があるのだ、女王の選手層は本当に底知れない。
「……凄い試合を観ちゃったっすね。来週の試合は大変なことになりそうっす」
「……日進女子、超強敵」
「……ボク的には相手に不足無しって感じかな?」
3人とも日進女子の強さを改めて感じ取ったようだ。
ただ僕が懸念していた、『力の差を感じて自信喪失』ということはなさそうで安心した。
みんな各々のキャラクターこそ違えど、総じて諦めることをしないのが良いところだなと思う。こんな良いチームの監督をやらせてもらえる僕は幸せ者かもしれない。
「それじゃあ情報も仕入れたっすからさっさと帰るっすよ」
雅が腰を上げると、それにつられて僕らも立ち上がる。
僕も早く帰ってデータをまとめたり対策を立てたりしたい。
グラウンドを立ち去ろうとした時、僕は思いもよらぬ人物から声をかけられた。
「ねえちょっとそこの君、これからヒマだったりしない?」
声の主は、日進女子2軍のエース広幡朋だった。
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