第32話 悪魔的聖母と死神的ヒロイン

 光栄学院女子野球部の顧問、明大寺みょうだいじあかね先生には謎が多い。


 まず、『自分は野球に詳しくない』とか言いながら完璧にスコアブックをつけてしまうその能力。間違いなく素人ではない。

 最初は疑念だらけだったけど、最近は慣れきってしまって僕も試合中に「先生、今ので翼の球数はいくつになりましたか?」って普通に聞いちゃう。なんなら正確に球数を教えてくれる。ありがたい。


 もう一つはその謎の人脈。


 学生時代の馴染みだとか言って、その辺の高校の女子野球部顧問には大体顔が効く。

 ……ただ、どう見ても世代が違うだろというおばあちゃん監督とまで仲が良かったりするから本当に学生時代の馴染みなのかは不明だ。下手をしたら裏社会的なサムシングと繋がっている可能性も否めないくらい交友関係が広い。深入りは禁物だ。



 という感じで謎の多い先生なのだけれども、今回はその人脈でドえらいカードの練習試合を取り付けてきてしまった。


「えっ……?日進にっしん女子と練習試合……??」


「日進女子って、3年連続県大会を制覇してる王者っすよ?そんなところからどうやって練習試合を取り付けたんすか?」


 放課後、明大寺先生のいる保健室に僕と雅が呼び出されると、待っていたのは県大会覇者との練習試合の話。

 いくら先生の人脈が凄いとは言っても、僕らみたいな出来たばかりのチームと王者とを引き合わせることまでやってのけるとは思いもしなかった。


「いえいえ、大したことはしてないですよ。それに、今回の相手は日進女子の2軍ですから。どうやら2軍選手の夏の大会前の最後のアピールチャンスみたいです。強豪校のきれいなグラウンドで試合ができますよ」


「いや……、2軍でも十分凄いんですよ。それでも並の高校よりは遥かに強いんですから」


「そもそも日進女子は2軍があるんすね……、採用即ベンチ入りの私達とは世界が違いすぎるっす……。勝てるわけがないっす……」


 雅が弱気になっている。無理もない。


 各地のエリートが集結して朝から晩まで野球漬け、なおかつ頑張っても公式戦に出られるかどうかわからない、それが強豪校だ。

 あまりに僕らとは違う世界にいるせいで、おとぎ話を聞かされているかのような気分になる。


「でも、私の見立てでは、皆さんならそれなりに良い試合が出来るはずです。そんなに自信を無くさなくてもいいんですよ?」


「いやいや、さすがにそれはお世辞が過ぎますよ先生」


「そうですかね……?今までの戦いぶりを見ていると、日進女子の2軍ならロースコアゲームに持ち込めば勝ち筋はあるような気がするんですが?」


 先生が何を根拠にそう言うのかよく分からない。ただ間違いなく野球素人ではないであろう先生が言うのだから謎に説得力がある。どうやったら身につくんだその説得力、僕にも分けてくれ。


「とにかく試合は再来週の日曜日ですから、怪我のないように準備をしてくださいね。……ちなみにその前の週の土曜日も別の学校と試合をしているらしいですよ?念の為教えておきますね」


「わ……、わかりました……。参考にします……」


 なんだか先生からは回りくどく重めの課題を出されてしまった。


 試合がある日をわざわざ教えてくれるのだから、それを偵察なりしてこいと言うことだろう。

 そんな聖母から発せられたとは思えないプレッシャーを感じながら、僕と雅は保健室をあとにした。


 普段は幸の薄そうな顔をして他人のために命を削っていそうな聖母のようなのに、こういう時に限って先生は何か女神……、いや、禁断の契約を交わした悪魔みたいな笑顔になる。

 でも先生からそれなりの情報をもらってしまったわけなので、ここはその情報を使わない手はない。と言うより、使わなかった時にどんなことになってしまうのか予想がつかなくて少し怖い。


「偵察、かぁ……」


 僕はぼそっと独り言を漏らす。


 偵察に行きたいかと言われれば微妙なところだ。


 確かに相手について何も知らないよりはここで偵察に言って知っておいた方が絶対にいいはず。


 ただ、偵察をしたはいいものの相手の凄さに圧倒されて自信喪失……なんてこともありえなくはない。なんせ相手は2軍とはいえ県内覇者の日進女子なのだから。


 ここで変に自信を無くされてしまっては本大会に影響が出かねない。

 チームを預かる身としては、ちょっと慎重になってしまう。


「……雄大くん?もしかして偵察に行くのを躊躇ためらってるんすか?」


「まあな……、なんてったって日進女子だしなあ」


「そうっすよね、女子校っすもんねえ」


 ん?何か聞き捨てならないことを耳にした気がする。


「……雅?今なんて言った?」


「日進女子は女子校っすよねって言ったっす。当たり前の話しかしてないっすよ?」


「ちょっと待て、女子校ってことは僕はグラウンドはおろか門を跨ぐことさえ許されないのでは……?」


 雅はハッとしたのか口をパカッと開けて目を見開いた。


 まずいまずい、何も知らないまま偵察に行っていたら通報案件になってしまうところだった。


 練習試合なら許可を頂けば日進女子の門を通してくれるかもしれないが、非公式に偵察となれば話は違う。女子ならともかく男の僕は普通に不法侵入だ。


 そうなれば偵察には雅と爽の2人だけで行ってもらうか……?


「雄大くんにも来てもらわないと相手投手のコピーが出来ないっす。偵察の意味が半減っすよ」


「確かにそれはそうだけど……、さすがに法を犯すわけには……」


 少し雅は考え込んだ。


 数秒のうちに何かを思いついたのか、両手をポンと叩いてニヤリとした表情を見せてくる。


 遺伝子レベルで壮絶に嫌な予感がする。

 雅の思いつきが僕にとって良いことであるだろうか、いや、ない。


「ふっふっふ……、私は天才かもしれないっす……」


「なっ……、一体どんな悪巧みを思いついたんだよ……」


「それは……、部室に戻ってのお楽しみっす」


 僕には一瞬、雅が死神かのように見えてしまった。

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