第4話

 ホバー・カーに乗り込んだイルは、ナビゲーションシステムに目的地を設定し、自動運転モードをスタートさせる。


「どこに行くのさ?」


 小規模都市『KARIZAWA』に行く、ということしか知らされていないエリアは、素直に疑問を口にする。


「うん? 景色のいいところ……たぶん」


 ナビの目的地は「塩沢湖」となっている。


「湖?」


「だろうな。名前からすれば」


「湖かあ。池より大きいんだろうね」


「そうなんじゃないか?」


 中核都市『TOKIO』にもかつては多くの湖沼が存在していたと聞いている。

 都心にも「不忍池」や「洗足池」など著名な水地があり、住民の憩いの場となっていたとも。


 現在は住居用地確保のため、そのほとんどは埋め立てられてしまい、住所表示とリラクゼーション用VRの映像にその姿を残すのみとなっている。


「……まだ残っているのかな?」


「さてな。人口の割に面積は広いし、元々保養地だったらしいからな」


 大戦前は、上流階級の別荘地としてだけでなく、自然豊かな環境を好んで移住する人間が多かったと聞く。


 都市機能に対して過剰な人口を抱えていた『TOKIO』は、やむを得ず大金を投じて湖沼を埋め立てたが、土地に余剰があるならば無理に行う必要はないだろう。

 



「うわっ、すごい! これ、全部水?」


 ほどなく目的地に到着し、ホバー・カーは駐車スペースに滑り込む。

 

 車窓から見えた広い水面に、エリアは興奮して車外へ飛び出す。


「うわっ、広い! 向こうが見えない!」

「すげーな……」


 エリアの後を追うように車外に出たイルも、思わず言葉を失う。

 広い水面の上を覆うのは、『霧』という自然現象だろう。煙のようにモヤモヤした、けれどそれよりはずっと清浄な空気が、辺りに立ち込めている。


「湖は、初めてかな?」


 不意に背後から声がかかる。


「今日は少し気温が低く設定されているから、午後でも霧があるが、明日は晴天日なんで、もっと景色もよく見えるだろう」


 振り向いたイルとエリアに近付いてきたのは、高齢の、最近は滅多にお目にかかることがない白い髭の男性だった。


 ファッションとして白髪頭にしたり、髭を伸ばす人間はいるが、最近は黒が流行であまり白髪白髯は見かけない。


 もっとも、それは『TOKIO』の流行なので、『KARUIZAWA』では普通なのかもしれないが。


「ようこそ、と言うべきかな。『トウキョウ』からやって来たお方でしょう?」

「あなたは、『KARUISAWA』の?」


『TOKIO』を『トウキョウ』と旧来の呼び方で尋ねる老人に、イルは尋ね返す。


「『かるいさわ』?」


 イルの発音が違っていることに気付いたエリアが、その地名を繰り返す。


「なるほど、少なくとも、彼の関係者であることは間違いないようですな。立ち話もなんです。どうぞ、我が家へ。すぐそこです。……霧設定の日は冷えますからな」


 イル達の返事を待たず、老人は背を向け、歩きだした。

 イルはエリアに目を向けて無言で『行くぞ』と伝える。

 エリアはうなづき、イルの後から老人についていく。


 老人のいう通り、ほんの数分で瀟洒な建物に到着する。

 黒ずんだ材木で作られた小さな洋館、という風情だ。途中で見かけた街中の建物は中核都市と大差ないコンクリートビルディングだったから、大戦前の別荘を保存したものなのかもしれない。

 現在では木製の建築物を新築するのは、材料費の高騰もあってほとんど不可能に近い。


「趣のある造りですね」


「旧式、と言いたいのかな? まあ、否定はせんがね。フルオートメーションシステムに慣れた人間にはいささか暮らしにくかろうが、私らにはこれが普通だからな」


 イルの言葉を揶揄と受け取ったのか、老人は皮肉げにそう言うと、扉を開けて二人を招き入れる。


「いえ、木製の建物は貴重ですから」


「ああ、なるほど。すまんな。街の人間は、こんな古い建物を後生大事にしている年寄りを時代遅れだと抜かすもんでな。まあ、その通りなんだが。私らのように大戦前を知っている人間は、やっぱり木が落ちつくもんでな」


 老人が木製の壁を撫でる。

 それを見たエリアが、真似をして壁に手を当てる。


「柔らかい……」

 初めて触れる木肌に、エリアが頬を緩ませる。


「木に触れるのは初めてなのかな?」


記録映像アーカイブやVRで体験したことはあるけど……」


「そうか。中核都市では、もう木に触れることもできないのか」


「うん。湖も初めて見た……見ました。それに、青空も」


「そうか」


 二人に椅子を勧め、老人は部屋のオープンカウンターの奥のキッチンに立つ。

 カチャカチャと音をたてながら、ため息混じりに呟いた。


「……中核都市からは、自然が消えている、というのは本当だったんだな」


「再現はできますけどね。VRで森の香りも味わえますし」


「まあ、この辺りも、天気はオートメーションだからな。晴れの日と雨の日と曇りの日、冬には雪の日もある。観光都市の名残だがな」


「今も?」


 すでに観光都市としての役割のないこの『KARUIZAW』で、晴れの日はともかく雨の日など不要な気もするが。


 それとも食料栽培システムが働いていないのだろうか? 全てハウス内で終始する中核都市の農業システムは、大戦前にある程度全国に浸透していたと記憶するが。


 イルの心の声を聞き取ったかのように、老人はうなづき、壁に触れる。

 途端、ホログラムビジョンが浮かび上がった。

 どうやら壁にスイッチが隠されていたようだ。


「一応カレンダーはあるから、予測はつく。雨の日は、元々月2日程度に設定されているから、そこまで不便じゃない」


 ホログラムビジョンをタッチすると、気象設定のカレンダーが浮かび上がる。


「気象設定のシステムは、観光向けだ。食料栽培のハウスもそれなりに機能している。正直、きちんと機能すれば、自給自足も不可能ではない」


「それは……」


「設定のホストサーバーが使えんのだ。正確には、都市統括ホストのアクセス権がない、ということだ」


「アクセス権がない?」


 統括ホストサーバーにアクセスできなければ、様々なライフラインの設定もできない。都市として致命的ではないだろうか?


「まあ、多少不便だが、停止さえしなければ大丈夫だろう。もう、そんな状態で数十年過ごしてきている。この地の人間には当たり前になっているからな。この家にも、きちんと最低限の自動修復システムは働いている。前の家主のこだわりで冷暖房は手動だがね」


 そう言うと、老人は盆にティーカップを乗せて運んできた。


「ハーブティだが、飲めるかね? 最近はコーヒー豆や茶葉は手に入らなくてね。ハーブは元々この地で栽培しているから、豊富にあるが」


「いただきます」


 イルがカップを手に取り一口飲む。

 エリアもそれにならう。

 クンクンと香りを嗅いでから、恐る恐る口にしたエリアだったが、コクコクと続けて飲むところを見ればお気に召したらしい。


「これは、カモミールですか?」


「ああ。そちらにもあるのかな?」


「一度だけ、上司のご相伴に預かって。あちらではハーブも貴重品ですから」


 コーヒーも紅茶も、合成飲料が普通で、本物など味わったこともない。一方で国内生産されているハーブを使用したハーブティは、女性を中心に高級志向の飲料として人気がある。


 味も香りもイマイチな気がしたが、鮮度が違うのか、品質なのか、今飲んでいるハーブティはほんのり甘い口当たりで、香りも爽やかだった。


「口に合ったようでよかった。さて、そろそろ本題に入ろうか。時間も限られているようだし。……キリヤマから、どこまで聞かされている?」


 老人の口から、懐かしい名前がつむがれる。


 年の頃なら、老人と同じくらいの、イルやエリアにとって、父のような祖父のような、大切な存在。


「あなたは……師匠の……」


「君らがここに来たということは、ヤツは、やはり死んだんだな」


「やはり……?」


「生きていれば、ヤツは自分で来るだろう。そう約束した。だが、やはり、難しかったな」


 老人の目に深い悼みの光を見つけ、イルは胸が締め付けられる。


 師匠が死んだ日を思い出す。


 自分を、自分達を、守り、育て、鍛えてくれた、代えがたい存在が、失われた、あの日。


 その存在を奪ったヤツラを、決して許さないと、誓ったあの日を、思い出した。


 震えるイルの手を、エリアがそっと握りしめた。


 エリアがいなければ、泣き出してしまったかも知れない。


 涙をこらえるかのように、イルは、エリアの手を強く握り返した。



 その手の温かさを、決して逃さぬように、強く。


 

 



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