第3話

 除染ゾーンを通り過ぎ、陽圧の風を受けながらオアシス内部に入る。

 予想よりもスムーズに短時間で除染が済んだ。

 オアシスの中でも『KARUIZAWA』は別格だという噂は、真実に近いものらしい。


 中枢ちゅうすう都市ほどではないが広いガレージで係員にホバー・カーを預ける。帰りまでにメンテナンスと水素燃料補給を依頼すると、トランクから旅行カバンを取り出していた係員は営業スマイル作り笑顔で請け負う。


 イルが汎用情報端末付リストバンドICウォッチのスキャン画面を向けると、係員も同様に胸に下げたICカードを取り出し、接触させる。

 前払いの代金と自分へのチップの額を確認し、満面の笑みになる。


「お客さんたちは、『TOKIO』からいらしたんですよね? 最近はどんなものが流行ってんですか?」

「ああ、何て言ったっけ? へるぱんみーな? だか何だかがよく配信されてくるけど」

「『ヘイル&ミーナ』だよ。新ユニット組むから、3人目のメンバー募集してるって毎日宣伝してるじゃないか」


 芸能関係にはあまり興味がないイルのあやふやな情報にエリアが訂正を加える。


「へえ、エンターテインメント系は情報伝達ニュース遅いから、まだこっちじゃ全然ですよ。特ダネだなあ」


 係員の青年が、エリアの言葉に目を輝かせる。


 確かVRやアンドロイドじゃない生身の人間のユニットだったけ? どうせ直接会うことも見ることもできないんだから、どれも違わないだろうに。

 そんな言葉を飲み込んで、イルは自分よりおそらく年上の青年に曖昧な笑顔を返した。

 

 エリアが自分のICウォッチから最新ニュースの情報ページを共有してやると、大喜びして、エントランスに向かう二人に手を振って見送ってくれた。

 頬をわずかに赤らめているのは、最新ニュースの共有だけでなく至近距離でエリアの美貌を目にしたためかもしれない。


「旧式だけど、設備自体はハイスペックだね」

「大戦前は都市機能移行の最有力候補だったって聞いているからな」


 国内外の政財界の重鎮を始め、最たるは国主クラスの別宅が立ち並ぶ高級別荘地。

 かつてニッポン地区の首都だった『TOKIO』からも近く、通信環境が充実していた時代にはテレワークも盛んだったと聞く。


 大戦直前に、『TOKIO』とほぼ同時期にシェルタードーム建設がされた恩恵を受け、かろうじて放射線物質遮断しゃだんドームを設けた他オアシスに比べ、都市システムも充実しているらしい。

 ただし、最新システムに更新された『TOKIO』が標準になっているイルやエリアから見れば、旧式の、それも大戦前のシステムに期待はできないが。


「ようこそいらっしゃいませ」


 エントランスの入口に、30歳代後半とおぼしき男性が会釈して2人を迎え入れた。


 制服と思われる濃グレーの作業用スーツに身を包んだその胸に、今時珍しい吊り下げ型のICカードが下がっていた。役職を見ると、警備担当の係長とある。カサイ、というのが名前らしい。


「今回は治安関係の視察と伺っておりますが」


 布ブルゾンにパーカー、ダメージジーンズとハイカットスニーカーという軽装のイルと、フード付きロングコートを羽織はおったエリアの組み合わせに、怪訝けげんな表情を隠せないでいる男性に、イルはICウォッチのアカウント画面を表示させる。エリアもそれに倣う。


 エリアを含めて、若い2人が都市警察の正規捜査官、それも上位階級であることを確認し、男性は表情を改めた。


 メイニーが行政ネットワークシステムで事前に送信した許可書に役職も記載してあったはずだが、それにそぐわない風体につい失念したのだろう。

「オアシスの中でもこちらはかなり治安が良いと聞いています。残念ながら『TOKIO』の治安は悪化する一方ですので。何か治安向上のヒントが得られれば……あと」


 中枢都市の幹部候補クラスの視察に緊張を隠せないでいる男性に、イルは柔和にゅうわな笑みでゆっくりした口調で説明し、一度言葉を切る。

 次の言葉を、息を飲んで待つ男性に、イルは目を細めて微笑みかえす。


「ご覧のとおり、まだ新入りの我々の視野を広げ見識けんしきを深めるため、という意味合いが強いのです。ですから、ひと昔前のもの好きな観光客だと思ってください。案内も、大仰なお気遣いも無用です」

「……承りました」


 案内無用、気遣きづかい無用、という言葉の裏に、「好きに見て回るから、邪魔するな」という意図をきちんと汲み取ったようだ。なかなか優秀な人間のようだ。オアシスの行政組織で係長がどの程度のクラスかは不明だが。


 制度上、小規模都市オアシスは中枢都市から独立した行政組織により運営されている。カサイの地位や役職はともかく、礼節は尽くしてもこのようにへりくだる必要はない、本来なら。


 しかし、中枢都市に比べ物資供給の不安定さがあるオアシスは、大なり小なり中枢都市の生産品を『輸入』することで生活諸々を支えている。オアシス間での取引でも供給しあうことは不可能ではないが、小規模、というより中規模に近い『KARUIZAWA』では十分な量をまかなうには不安要素が強い。もちろん、対価を支払って正規の契約がなされた『取引』ではあるが、『TOKIO』の胸先三寸で供給停止することは、不可能ではない。

 世界連邦規範にもと倫理りんり違反であり、極東きょくとう地区最重要都市『TOKIO』としてはそのような『弱い者いじめ』をする気は毛頭ない。

 しかしオアシスからすれば、揚げ足を取られかねない『弱み』を与えるよりは、最初から『弱者』として『強者』の足元にすり寄っておこうという防衛手段なのである。

 さらに、通信衛星も使えない現代、世界連邦へ直接情報伝達する手段はない。様々な『上意下達じょういかたつ』は中枢都市を介在して行われる。万が一『TOKIO』がオアシスに制裁的措置せいさいてきそち行使こうししても、それを訴えることすらできない。

 生活物資以上に、あらゆる情報権限けんげんが中枢都市にあることの影響が何よりも大きいのだ。


 カサイが若いイル達にへりくだり、顔色をうかがう態度は、都市間の力関係を正確に把握してればこそ。それがオアシス行政職員や住民の標準的認識であるかは不明であるが。


 カサイの先導で、市中に通じるオフィスに入る。外部から訪れるのは物資輸送関係が中心、というよりほぼそれに尽きる。

 通信衛星は使用できないが、大戦前に構築こうちくされた地下ケーブルによる通信機能はそこそこ充実している。

 中枢都市で流行するエンターテイメント情報もタイムラグがありながら共有できる。もちろん行政優先ではあるが。


 結果、旧ニッポン地区全体に張り巡らされた情報システムを活用し、都市間の情報伝達をはじめ各種会議や首長会談もリモートで行われる。

 

 イル達のように、直接他行政の関係者が訪れるようなことはほぼない。役所というより輸送された物資の積み下ろしやチェックを行う作業場の意味合いが強いのだろう。カサイと同じような作業用スーツに身を包んだ人間がチラチラとイル達に視線を送っている。


「外から来られた方が、市中に入られるのが珍しいので」


 同僚達の視線に言い訳するようにカサイが呟いた。


「それに、お二人はまるでV-ビジョンテレビから抜け出たような美形ですから」


 全面的にお世辞というわけでもないのだろう、目を向けられたエリアが愛想笑いを浮かべると、カサイの頬がかすかに染まる。

 それをイルに見られていたことに気付き、カサイは顔をわずかに背け、やや足早になる。

 作業場を抜けると、いくつかの事務机とカウンターが置かれた受付フロアに到着する。


「こちらをどうぞ。職員宿舎にお部屋を用意してございます。お食事も準備できますがどうなさいますか?」


 オフィス前のロータリーに都市用ホバー・カーが停車していた。

 ホバー・カーのカードキーを手渡しながら、カサイが夕食について確認する。


 旅行客、などという言葉が死語になって等しい現代、純粋に宿泊目的のホテルは存在理由を失いほぼ廃業している。外部から訪れたイル達が寝泊まりするには既存の住宅に間借りする以外ない、公には。


 いざとなったら、宿泊もできる『それ』目的のホテルを利用する手段もあったが、メイニーは訪問申請に合わせて宿泊の手配もしていてくれた。


「時間が読めないので、散策がてら何かテイクアウトしてきますよ」

「分かりました。ああ、宿舎内の食堂でしたら、24時間対応していますので良ければご利用ください。ありきたりのものしかありませんが。市内の店舗も、あまり代わり映えしない物しかありませんので」


 中枢都市から来たイル達が、オアシスの乏しいメニューに幻滅げんめつしてもいいようにという予防線もあるのだろう、イル達の荷物をホバー・カーのトランクに積み込みながら、カサイがやたら謙遜けんそんして告げる。


「ありがとうございます」


 そこまで期待してないよ。


 そんな心中はおくびにも見せず、イルはアルカイックスマイルでカードキーを受け取り、張り付けた笑顔で不機嫌さを隠しているエリアと共に用意されたホバー・カーに乗り込む。


 オーソドックスな外観であったが、内装は高級感があり、静かな起動音がホバー・カーのスペックの高さを物語る。


 ナビに目的地を入力すると、見送るカサイに再度笑顔を返し、自動走行スイッチを押す。



 静かに浮き上がったホバー・カーが、滑らかに市中に向かって発進した。

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