第2話

「ねえ、イル!? 空が! 空が青い!! 広い!!」


 長距離用ホバー・カーの窓の外を見上げ、エリアは感嘆の声を上げた。


「子供みたいにはしゃぐなよ。都市用と違って、長距離用こいつは安定性が悪いんだ。オアシスにつくまで大人しくしてろ」


 内心、エリアと一緒になってはしゃぎたい気持ちを抑えて、イルは浮遊走行車ホバー・カーのハンドルを握りながら、ナビゲーションシステムのビジョンにチラチラ目を走らせる。


 目的地設定をすれば自動操縦してくれる都市仕様のホバー・カーと違って、今は手動操縦マニュアルだ。

 長距離用ホバー・カーにも自動操縦システムは搭載されているが、現在は使用できない。

 極東きょくとう地区最大にして最中枢都市である『TOKIO』から100km以上離れると、システム稼働に必要な電気信号は届かなくなる。

 大戦前は衛星を利用した電波システムで全世界をつなぐことが可能であったが、大戦後に制定された宇宙管理法により、通信目的であっても人工衛星の打ち上げ及び利用は著しく制限された。


 現在使用されている衛星は、各大陸および地区の上級行政機関をつなぐ通信衛星のみで、民間人の利用は許可されていない。

 もっとも、基本的には居住許可のある都市以外での生活をしない住民にとっては不都合もないのだろう、それほど不満を聞いたこともない。


 その都市で生まれ、その都市で死ぬのが当たり前。都市外へ出ようなどと考える住民は皆無に近かった。


 旅行に行きたければ、最新情報を満載したVRバーチャルリアリティーシステムで事足りる。視覚聴覚はもとより触覚嗅覚味覚すら再現できる体感システムは、適度な身体的な疲労を与えることも可能なのだ。そして費用は格安である。


 高い費用を出して、マニュアル走行をしながら、放射線物質に満ちた都市外へ出かけるなど、狂気の沙汰である、と多くの住民は考えているし、それが当然という意識を植え付けられている。


 使い勝手の悪い遠距離用ホバー・カーではあるが、放射線完全遮断しゃだん機能が搭載された超高級車両である。100km圏内の利用でも一般的な会社員の1か月分の平均給与が飛ぶと言われる。


 そもそもほとんどは官業利用が目的で、原則一般人への貸し出しは行っていないのだが。


 そんな最高級車両をイルが利用できるのは、彼自身が官側の人間であることも理由だが、直属上司のメイニーの尽力も大きい。


 なので、何度外出願いを却下されても、ホバー・カーの貸し出しを確約してくれていたから、何とか怒りを抑え込んできていた。


 実際に外出とホバー・カー貸し出しの許可をもらえた時には、それまでの怒りも忘れて感謝のキスをしたいくらいだった。


 まあ、本当にそのような行為に及んだら、にべもなく拒否され、最悪許可を取り消されてしまっただろうが。


 ただ一つ不満だったのは、エリアの同行を条件にされたことだった。

 都市から出ることは、未成年には許可されない。

 成年を迎えたエリアの同行は、制度的には問題はないが、今回の目的地である小規模都市、通称オアシスは、『TOKIO』を始めとした中核都市と違って、生活環境レベルは著しく下がる。旧式の都市システムすら稼働していないオアシスもあると聞く。

 中核都市育ちの中でも、潔癖けっぺき繊細せんさいと言ってよいエリアが、たとえ2、3日とはいえ、そのような環境での生活に耐えられるのか不安だった。


 けれど。


 アーカイブやVR以外で初めて目にする、本物の青空に嬉々とするエリアの笑顔が見られたことは、ケガの功名であるかもしれない。それに、不便なオアシスでの生活を知れば、多少ずぼらなイルの生活態度についても、許容範囲が広がる可能性もある。


 旧『ニッポン』地区の4分の3が人間の生活できない『非居住地』なったことで、青空を取り戻したことは皮肉ではあるが。


「ねえ、イル。オアシスまで、あとどれくらい?」

「30分くらいかな。到着しても除染じょせん処理が終わるまで外には出られないから、今のうちに飯、食っとけよ」


 都市システムはなくても、最低限のオアシス維持の条件として、放射線遮断の設備だけは配備されている。

 生活物資の全てを都市システムで賄うことが可能な中枢都市と違い、オアシスでは完全な自給自足は不可能である。


 そのため、定期的に近い中枢都市から物資の輸送がされる。運搬用ホバー・カーが都市に入る場合、放射性物質を除去するため必ず除染を行う。除染が完了するまでは、中に乗っている人間も車外に出ることはできない。除染中は飲食も不可なので、古いタイプの除染機だと、空腹のまま長時間待たされる恐れもある。


「面倒だね。じゃあ、食べようかな? イルは?」

「食べやすくして渡してくれ」

「片手運転になるじゃないか。マニュアル慣れていないだろ? 口に放り込んであげるよ」


 そう言うと、エリアは一口大にちぎったサンドイッチをイルの口元へ近付ける。


 言い出したら聞かないエリアの性格は分かっているので、あと単純に空腹を覚えて、イルは素直に口を開け、サンドウィッチのかけらを咥える。

 アイスコーヒーのボトルにストローを差して、時折水分補給も手伝いながら、合間にエリアもサンドウィッチを食べる。


「なんだか、いつもより美味しいな。景色が違うからかな?」

「そうか? いつもと同じ商品だけどな」


 料理ができないわけではないが、今日は朝早い出発だったため、配給システムにサンドウィッチと携帯しやすい飲み物を注文しておいた。特別高級でもないが、粗末でもない。


「うん、でも、やっぱり美味しいよ」

 はい、とイルの口に最後のひとかけらを放り込んで、エリアはホバー・カーに備え付けの空気洗浄器具エアウォッシャーで指先を浄める。


 環境が変わったせいか、いつもより素直で子供っぽい表情を見せるエリアに、イルは心の中で笑みを浮かべた。


 18歳になる前から、どちらかと言えば大人びていたエリア。

 その美貌も相まって、ことさら年齢が分かりづらい彼だったが、それ以前に自ら子供っぽい仕草を排そうと意識していたことを、イルは知っている。


 不機嫌さは隠さなくても、決して意味のない我儘は言わない。論理的に主張をぶつけてくることは、まああったが、癇癪かんしゃくは起こさなかった。逆に、素直に感情のまま笑うことも。


 早く大人になりたい、声に出さなくとも、言葉にしなくとも、エリアがそう願っていたことを、誰よりもイルは知っていた。


 そんなエリアの思いに反して、もっと子供らしくいて笑って欲しい、たまには子供っぽい我儘わがままを言って欲しい、とイルは願っていたのだが。


 まさか成年を迎えた今、そんな姿が見られるとはおもっていなかった。

 

(でも、もしかして、オアシスの悪環境に癇癪を起すこともありえるのかな?)


 我儘も『たまには』いいかな、と思っていたけれど、やっぱりそっちは遠慮してほしいな。


 理路整然とイルのずぼらさを責め立てるエリアから、さらに野放図のほうずに感情をぶつけてこられるのは、やっぱりいやだな。


 密かに、そこだけは大人になってほしいと願うイルと、そんな矛盾したイルの気持ちに気付かずワクワクと初めて訪れるオアシスへの期待で笑顔いっぱいのエリアの視線の先に、陽光に輝く小さなドームが見えてきた。


 今回の目的地、小規模都市『KARUIZAWA』であった。


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