あの青い空の下で、君は笑う
清見こうじ
第1話
そびえたつビルのてっぺんに、狭い空がのぞく。
整備された地下水路からは漏れたことがないので実際に見たことはないが、年寄りが言うには「排水溝の
この地に住まう人間は、もう何年も、何十年も、
でも。
吸い込まれるような青い空も、キラキラと星がさざめく夜空も。
真っ白な雲も。
「……なのに、お前らは! せっかく準備してきたのに! 邪魔しやがって! 少しは社会と俺のために! 大人しくしてやがれ!」
ザン!
よく響くバリトンボイスの
「ぐえっ……な、なんで……」
青年が手刀を
男が消え入りそうな声で
瞬間移動とは違う、けれどまるで空間を移動しているかのように見える、超高速移動。
取り立てて特徴のない
けれど、その動きは、
(……まさか、
自分の仲間たちとは明らかに違う速度で――いや、『速度』なんて言葉では表現が追いつかない動きで、次々と男たちを
明らかな力量の違いに、男は『現実逃避』という欲求に従い、意識を手放した。
「ま、まて……こ、この
狭い
地に伏せた男たちと比べても
ノースリーブの革ジャンから
恐怖で声も出せないのか、けれど『女性』の表情はフードと、そこからのぞく黒髪に隠れて見えない。
「珍しいな、今時
青年が、感心したように言う。
それに比べると、原始的な金属のナイフは、流通も少なく、すでにレアアイテムになりつつある。ただし、殺傷能力は高い――ゆえに、無許可所持だけでも
「やった! 大物ゲットじゃん?」
「は? なに言ってやがる?! それ以上近付いてみろ! この女のきれいな顔を、切り裂いて……おい!」
男の
「お、おい!?」
女性を傷つける、と脅しておきながら、男は戸惑いの声を上げる。
「あ、ごめん、近付いたらって聞こえたから。動いたら、だった?」
「い、いや……」
思わず真面目に答えてしまい、男は一瞬
青年は、男の言う通り、近付くことなく、むしろ離れていった。
「お、おい……?」
「このくらい離れたらオーケー?」
「あ、ああ」
戸惑いながらも、確かに男の要求には従っている青年に、男は
仲間には申し訳ないが、この距離なら逃げきれる。おまけに、獲物は腕の中。
やや大柄だが、艶やかな黒髪に、滑らかな白い肌、濃い
近場で見る限り、高性能アンドロイドでも未だ表現できない、本物の人間の肉体だ。
そう算段して、男は目線だけで逃げ道を探す。なるべく人目につかず、ある程度広い道。右
「……ちょっと、手抜きじゃない?」
うっとりするような甘めのテノール……ただし、明らかな男声。
その出所が自分の抱えた『女性』からだと気が付き、その顔に見入る、と。
ふてくされた顔で『彼』は離れていった青年に視線を送っていた。
「お、おま! 男?」
眉をひそめた不機嫌な顔も、それはそれで魅力的な、きれいな顔立ちは変わらず。
「まあ、いいか。男でも」
取引が多いのは少年だが、成人に近い男でもこれだけの美形ならば、むしろ
都市外で狩られた獲物は足が付きにくいが、栄養状態を含め生活環境の違いもあり品質が落ちる。運搬費用も馬鹿にならない。
リスクはあるが、都市で狩るほうが旨味は大きい。
今回は特に上物だ。
無事に逃げおおせれば得られるであろう利益に意識が飛び、男は腕の中の女性と見まごう美青年を、力強く抱きしめた。
「ああっ! もうヤダ!」
金切声に近い叫びをあげ、腕の中の麗しい獲物が身をよじった。
その声や仕草に、男は思わず欲情し、ますます力を入れてその身を引き寄せ。
ほんの少しの
「…………?!」
声も出せず、男はよろめいた。その手からナイフが離れ、カツン、と小さく響いて、
かろうじて立っていた男の顎に、美青年は、まるでバレエダンサーのように見事な曲線を描いて、爪先で蹴りこんだ。
「あぅ……」
小さなうめきを上げて、ドスンと大きな音を立てて
「
10センチほどの
「
そう言って、いつの間にか隣に立ってひょいっと美青年の手からナイフを取り上げた青年を、美青年が軽く
「イル……途中で手ぇ抜いたね?」
「手抜きじゃなくて、
「……まあ、このくらい、ね」
青年――イルは、美青年の追及を軽くいなしておいて、最後の一言だけ、感心したようにゆっくりした口調で告げる。
睨みつけていた美青年――エリアは、まんざらでもない顔で、得意そうに答え、フードをはずす。
さらり、と肩より少し長めの癖のない髪が揺らめく。混血が進み、日系ブロックでも珍しくなった黒髪黒瞳の組み合わせ。
もっとも最近は、金髪や茶髪を黒髪に染めることが
けれど、エリアの髪は自然色だった。
最新の染料とトリートメント剤を使えば、同じような艶は得られるのかもしれないが、人工的な染色とはどこか違う。
光の角度によってはわずかに茶色くきらめく毛髪も混じり、画一的な人口染料では出すことが困難な複雑な色合い。
さらさらと柔らかい髪のひと房に思わず手を伸ばし、イルは砂埃で汚れた自分の手に気付く。
ひっこめた自分の手の持って行き所に悩み、埋め合わせのように自分の褐色の髪にうずめた。
「イル! そんな汚れたグローブで髪に触ったら汚れるだろ?」
「大丈夫だよ。どうせ、この後シャワー浴びるし」
「そんなこと言って、帰ったら先に『腹減った』って言うくせに!」
「だって、腹減るし。『
「それは僕も一緒! 帰ったら必ずすぐシャワー浴びなよ!」
「……お楽しみのところ申し訳ないが、イチャつくのは帰宅後にしてくれないか?」
気が付けば、数台のパトカーが集まり、降りてきた警察官たちが整然と地に伏した男たちを捕縛していた。
イルやエリアの存在など見えていないかのようなお仕着せの一群から、ただひとり呆れたように声をかけてきた存在に、イルは振り返った。
「ヤキモチ妬くなよ。あんたがオッケーしてくれれば、今夜はそっちのベッドに行ってもいいんだけど?
からかうように軽薄な誘い文句を口にするイルを無視して、『姐さん』と呼ばれた20代前半と思われる女性が、エリアを労わるように「ケガしなかったかい?」と尋ねた。
「別に。イルがいれば、危ないことないし」
「そうか。まあ、確かに、イルがエリアをケガさせるようなことはないと思うけどね。でも、こんな作戦、断ってもいいんだよ? 『ナンバーズ』とはいえ、エリアはまだ
鮮やかな赤髪をきっちり後ろで束ね
「バカにしないでよ! 僕だってもうすぐ18歳だ! 正規メンバーになる! あとひと月だ! メイニーだって知ってるじゃないか!」
メイニー、と呼ばれた女性は、「そうか、そうだったな」と
とたん、その見事なプロポーションを包む警官制服にふさわしい、
「イル――ラム=アイル特殊捜査官、本日の休暇は後日代休を付与する。週休日の明日明後日はゆっくり休みたまえ」
「後日って……しあさって、とか?」
「残念ながら、未定だ。いや、しあさってでないことは、確かだが、ね」
その返答を予測していたイルだったが、当てつけのように大袈裟にため息をついて見せる。
「つまり、外出許可は」
「却下、だな。日帰り可能な目的地への変更なら受け付けるぞ」
「了解しましたよ。アドメイン・カイラ管理官殿」
言葉だけは
「イル、行こう」
メイニーは手袋をした手でナイフを受け取ると、用は済んだとばかりに手の甲を上に向けて上下させ、それを見届けたエリアが、イルの返事を待たず歩きだす。
その後を追ってメイニーに背を向けたイルが、思い出したかのように振り向いて投げキッスを寄こす。
目に見えないキッスをはじき返すように手を大きく横殴りに振ると、
「あーあ、可愛いお姫様の機嫌を損ねっちゃたかね」
子ども扱いされたことか、それとも……。
「でも、そうか、あとひと月か。あの子が、とうとう……」
口の中で小さくつぶやいたメイニーは、再び表情を改め、警官たちに向き直った。
「
リーダー格の警官の報告にメイニーはうなづいて、
すでに
悪党どもが排出した吐しゃ物や排泄物程度の汚物は自動補修の都市機能がきれいに片づけてくれたことは分かり切っている。
不機嫌さを隠そうとしない弟分と違って、同僚の前では軽薄な態度と笑顔を崩さない直属の部下の外出願いを何度も却下してきた。そろそろ不満が爆発する頃だろう。
(エリアも成年を迎えることだし、なんとかなるか)
ここ1カ月だけでも、休日返上で凶悪な人身売買組織の末端をいくつも
エリアが成年したあとなら、上層部の許可をもぎ取れる、多少の策を講じる必要はあるが。
その手続きの
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