第6話 夜間飛行
僕の家は二階建ての一般的な家だ。そして、僕の部屋は二階にあり大きな窓の先には、一階のリビング部分の屋根瓦がある。
昔からそこは僕の秘密基地のようなものだ。
いや、秘密基地が全く隠れていないのは秘密ではないのか?
今では、先客がいつも占領してしまっているわけだけど。
「今日も夜空を見ているのか」
僕が声を掛けると、その先客はこっちを見ることなく、返事を返してくる。
「その声は……誰だ?」
「おい。それを言うのはこっちのセリフだ。そもそも、ここは僕の家だし」
「うーん。厳密にいうと君の家ではなく、君が偶然にもこの家の夫婦間の夜の営みによって産まれた産物のようなものだろ。だから、君の家ではないんじゃないのか?」
「なにひとつ間違ったことは言ってないことは認める。でも、だからこそやめてください。今後、気まずくて息苦しい実家生活になってしまうだろ!」
この世の中には、知っているけど知らないふりをしたほうがいい事なんて山のようにある。これも、その一つだと思うんだよ。
「ていうか、そんなこと言っていると血を吸わせてやらないぞ」
屋根瓦でくつろいでいるその怪異か化物か。本人は対して人間とは変わらないって言っているけど。
変わっている部分は身体能力が高かったり、飛べたり、死ななかったり。
いや、その時点で全くもって人間ではないだろ!
「それは困るなあ。吸血できなかったらただの人になってしまうじゃないか」
「ただの鬼になってしまうんだろ」
綺麗な……いや、綺麗と言うより怖いほどに白すぎるその肌は月明かりに照らされて僕の目は奪われてしまう。
深紅の瞳は薄っすらと微笑を浮かべて、僕を見下ろしてくる。出会ったばかりのころは、その眼差しに背筋が凍ったほどだ。
「そうだったかもしれないな。それにしても、また君は厄介ごとに巻き込まれたようだね」
「ギル、それをお前に言われてたくはないよ」
屋根瓦の上からの見下ろす形で、今も微笑んでいる話し相手。
ギル・ウィルロード・カイゼル……吸血鬼だ。
今年の夏に出会ってしまい、なし崩しに今の状況になってしまっているわけなんだけど。名前は男っぽい名前ではあるが、見た目は名前を裏切るほどの女の子だ。
深紅の瞳に腰まである長い髪。色は金髪というより金木犀の花の色に近い感じ。背丈は中学生程度の高さで、顔立ちは幼さも残っているが美少女だと断言できる面立ち。
「それは君も同じだろ? 自分から余計なことに首を突っ込む癖に」
それは……まあそうなんだけど。実際、それを言われると反論することが出来ないことを再確認させられるな。
「どうせ今日もあの小娘に会いに行ってきたんだろ。それも自分からは会いに行っていないなんて言って」
「ちがっ……まあいいや。ただ、ギルも分かっていると思うけど美華は普通の女の子だから余計な事をするなよ」
「君じゃないんだから余計な事はしないよ」
ギルは屋根瓦の上でステップを踏み、器用に小さい足場でバランスをとっている。本当に器用なやつだ。
ギルの姿に——僕は吸い込まれていくような錯覚に陥っていく。
屋根瓦の上は、舞踏会が開かれてる。
大きくステップを踏むと、屋根から落ちそうになる。見ている僕がひやりとしていると、くるりと身を翻して、また踊りだす。
それは、見るものを魅了する可憐な姿だった。ギルが前に言っていたけど、吸血鬼は逆立ちしながらでも寝ることができるそうだ。
そんなことが出来るなら寝ながら生活できるんじゃないか、とギルに言ったら、
「君の脳は人間以下なのか?」
と呆れられてしまった。
「君がどんなに迷惑ごとに絡まれようと、それは自己責任なんだからね」
「わかってるよ」
「まあわたしからしたら、些細なことなんだけどね」
月明かりの下で踊る吸血鬼と会話をしている。
そして、なかば半同棲しているような僕は頭がおかしいやつ。
そんなことはわかっているよ。
僕は自嘲気味に笑いながら、玄関の扉を開ける。
盛大な溜息は、蝶番の音と共に不協和音を奏でる。
〇 〇 〇
この前まで、ただの荷物を置いているだけだった部屋が、今ではいい匂いのする夢の部屋になっていた。
高鳴る胸をどうにか抑えて、目線をどこに向ければいいのかおどおどして、情けなく俯いてしまう。
ご飯をすました僕は、会長から言われたことを美華に伝えるために彼女の部屋を訪れているわけだけど。
「……なんで立っているだけなの?」
「ああ、少し想像力に夢中になってしまって……てそんなことじゃなかった」
「ん? とりあえず座ったら?」
美華は部屋の中央に置いてある丸テーブルに向かって座っている。お風呂上りだからだと思う匂いがするけど、こんなにいい匂いがしただろうか。
美華はまだ自分のものも色々買いそろえていないこともあって、母さんと同じシャンプーを使っているらしいけど。
母さんが使っているものと同じものとは思えない匂いがする。これじゃシャンプーでどれを買おうかなんて悩んでいたら馬鹿馬鹿しいじゃないか。
「いや、話し込むほどのものでもないからここでいいよ」
僕が断ると、そう、と言い準備しようとしていたクッションをベッドの上に戻す。
「それで話しなんだけど、今日の昼休みにあった先輩いただろ?」
「あの勢いが凄かった女の先輩?」
「そうそう、あの人。それで、あの人は生徒会の会長なんだよ」
顎に指を当てながら、なんだか考える仕草をしていた美華が、なにか思いついたように僕に視線を向ける。
「わたしが会長補佐をすればいいんだね?」
「なんでこれだけの会話で分かったんだよ!」
なんだこれは、心でも読まれているのか?
そうなんでしょ? と首を傾げる美華に僕は思いっきり突っ込みを入れて目を見開いていた。
「まああの後、お手洗いにいったら凛さんに会って、それで話しは聞いてたんだ」
「なんだよ……そういうことか」
美華はいたずらっぽく笑って、ごめんねと言ってくる。
跳ね上がった肩を下ろして、僕の唇から吐息が零れる。
また変なやつに絡まれたのかと思ったじゃないか。最近、いや最近というより昔から周りには変な存在はいたんだけどな。
それに気づいていたか、いなかったかの違いなだけだ。
「でも、だからといって無理することないんだぞ」
「ううん。生徒会に入るよ」
そもそも簡単に生徒会に入ることできるのか? 僕や斎藤が行った生徒会選挙はなんだったのかと疑問になるのをなんとか振り払って美華に向き直る。
「ひとりで帰ってきても、やることないし……独りは……嫌だし」
母さんも仕事で帰ってくる時間も夜だし、一人で家にいるのは嫌なのかもしれないな。
「部活とかもあるのに、生徒会でいいのか?」
「生徒会には冬馬もいるし、部活に興味ないし」
そんなもんなのか。確かに転入したばかりで知り合いのいない部活に入るのは酷なものかもしれない。
それは本人にしか分からないことだけど、すでに出来上がっている部活の中の人間関係に身を置くのは気が引けるよな。
「だから明日からは、わたしも生徒会室行くから。よろしくね」
引っ越してきて、三日目で生徒会入りってどんな転入生だよ。
僕の周りには色々なことが起こる。それだけに関しては、暇を弄ぶことがないからいいけど。
「わかったよ、それじゃまた明日」
美華の部屋を後にして、キッチンに向かう。女の子の部屋に行ったという事実に物凄く喉が渇いてしまったからだ。
女の子に慣れていない自分に少し悲しくなってしまうけど、自分の家に女の子が住んでたらこうなるよね? 遊び慣れている男子でもこうなるよね? いや、ならないか。
「なにため息なんてついてるのよ」
「情けない自分に頭痛がしてたんだよ」
「可愛い女の子に慣れない自分に落ち込むことなんてないわよ」
「なんで言い当ててるんだよ……」
「そりゃ母さんだからね!」
そんなこと自慢されても羨ましくなんてないわ!
「そうだ、母さん。美華はなんでこの家に来たんだ?」
テレビを観ながら一人でお酒を飲んでいる母さんが、顔だけで僕に振り向いてくる。
「それは……ごめんね。必ず話すから、今は待っててね」
母さんのいつも以上に優しいような瞳が僕を見つめてくる。母さんの優しい顔なんていつも見てるし、そんな顔して僕をいじるくせに。
そんな母さんの瞳が、この返事では笑っていなかった。なにかを思い出し後悔しているように暗いものだった。
「そうか。わかったよ、おやすみ」
母さんはふざけたことも言うけど、言ったことは守る人だ。だから、必ずと言った母さんの言葉を待つことにしよう。
喉を潤すこともできたし、僕は自室に戻って寝ることにしよう。急に色々なことが起きて疲れたし。
「あ、そうだ! 美華ちゃんに襲い掛かるときは言いなさいよ。母さん家を出て時間つぶしてあげるから」
「そんなことするか! そんなこと出来てたら落ち込んでたりしてないわ!」
愉快そうに笑っている母さんをそのままにして、自分の部屋に戻る。
親に一言行ってから襲い掛かるなんて、どんな気遣いだよ。それを許容する母さんも母さんだ。
部屋の扉を開けると、部屋の中から突風が吹き抜けていく。
「うわっ!」
輝かしい月明かりをその髪が乱反射させて目が眩むほど眩しい。
すっと目を細めて見遣ると、ギルが夜の街に飛び立った瞬間だったようだ。
「……ゆっくり飛んで行って欲しいよ」
本棚からは漫画が崩れ落ちてしまい、机の上の教科書は無残に床に落ちてしまっている。
ギルはこうして夜になると適度な運動が健康の秘訣だと言って、夜間飛行に飛び立っていく。
「不死身に運動不足なんて関係あるのかよ……」
毎度のように軽く部屋を片付けて、その日は眠りについた。
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