第5話 不思議な世界

「先生、神田さんの分の給食がまだありません」


 そのときの僕は全くもって普通の感覚でその発言をした。

 

 でも、その一言で周りからは不思議がられ、気持ち悪がられてしまうことになる。


 気付いたころには僕の周りの人は距離を取るようにそろって離れて行ってしまった。


 でも、確かにそこにいたんだ。その少女は——


「染谷君、神田さんは——昨日、事故で亡くなってしまったんです」


「え、だってそこに——」


「悲しいのは分かりますが、それ以上は言ってはいけません。みんなが困っています」


「だって確かにここに……」


 僕が教室全体を振り返ると、みんなが訝しむ目で僕を見ていた。この世の者ではない何かを一瞥する視線をなぜ向けられるのか、その頃の僕は理解することができなかった。


 人は目で見ることができるものを信じることが多い。


 それがどうしてそうなのか。なんて分からないけど。


 でも、僕は目で見えるものが信じれなくなってしまったら怖くて進むことが出来なくなるからだと思う。


 だからこそ、眼前の出来事を言うだけのことが、どうして僕を孤独に追いやってしまったのか——今になって納得することができた。いや、ただ慣れただけなのかもしれない。


 隣の席の、僕と確かに視線がぶつかっている少女は笑っている。


「ありがとう。染谷君には見えてたんだね」


 そこにいる少女は昨日まで見ていた神田という少女に間違いない。だって、僕にはそう見えるのだから。


「え、この声は……やっぱり神田さんはそこにいるんだね」


「うん、ここにいるよ。でも、染谷君だけにしか見えていないと思うけどね」


 僕は眼前の出来事に完全に気を取られてしまっていた。


 周りは僕を気持ち悪がって、完全に軽蔑しきっていた。まあ小学生に見えもしないものが見える、なんて言い出す子がいたら痛い子だと思われて仕方ないけどな。担任の先生には困った事をしてしまったと思っている。


 あの頃は酷く恨んでしまったけど——なぜ信じてくれないのか、と。


 僕だけに見えている不思議な世界は……妖怪、怪異、化物、幽霊と言われる類だと知ることになった。


 そんなものが見えることに気付いたところで、オカルトなんかに心奪われるわけじゃないわけで。


 だから、今まで見えていたものが普通ではないことに気付いたとしても特にオカルト本なんて見ることはなかったが。


 どうして一つの驚きもなくこの出来事に適応できたかは自分でも呆れるほどだった。


 でも、それがどうしてなのかは分かっている。


 人なんて、生まれたときに才能の有無が決まっている。そして、そのことに逆らった夢を追いかけても成功なんてあるわけではない。いや、ただひたすらに苦しみ、呻き、疲労しきっていくだけ——見切れられ、残るのは疲弊しきった家族だけ。


 今更、この世界に期待することなんてないのだから。


 僕は——叶わない未来を見ようとはしない。


「昨日事故にあっちゃったんだ」


「え……でも俺には見えているよ」


 眼前にいる少女はくすっと笑って、席を立ち上がる。


「わたしは独りぼっちが怖くて、なんだかこの世界から離れることができなくなってしまったんだ」


「それじゃ君は死んでいるの?」


 僕の問いかけに、微笑みながら頷く。


 そんな簡単なことなのか? 人にとっての死ってそんなものだったのか? 小学生にはあまりにも壮大すぎる哲学的題材だ。


「でも、染谷君がわたしとたまにでも話してくれるなら寂しくないかな」


 少女は手を後ろに組み、少し前屈みになって笑いかけてくる。僕はなんて言ったらいいのか悩み、喉から零れる言葉もなく、黙って頷くことしかできなかった。


「ありがと! これなら寂しくないや。染谷君は優しいね」


 僕の目の前にいる少女の言っていることは、さっきからなに一つ理解できなかった。

 でも、自然と怖いという感情は湧くことはなかった。


「だけど、今日は帰るね。わたしのせいで優しい染谷君がこの教室の居場所をなくすなんて嫌だから」


「え……」


 また明日ね、と手を振る少女は帰ってしまった。


 そんな少女を眺めるのは僕だけだった。

 生まれもった才能を僕も持っていたようだ。この孤独で、惨めで、寂しい世界を見ることができる。それほどの才能。


 そして、なんの役にも立たない無駄な才能。


  〇 〇 〇


「また待っていたのか」


「そんな他人事みたいに言って、染谷君こそ会いに来てくれるくせに」


 僕は生徒会での事情聴取からやっとの思いで解放されて帰路に就くことができていた。


「偶然にも今日はこの道から帰りたくなっただけだよ」


「そうなのかな~」


 そして、僕の鳩尾ほどの高さから上目遣いをして見上げてくる少女は神田さん。初めて僕が僕自身を普通ではないと自覚するきっかけになった少女だ。


 見た目はあの頃と変わらない。変わったのは僕のほうだ。ただ、変わったことなんて背丈だけで、それ以外に変わったところなんて、なにもない。


「それなら、偶然に染谷君が小学校の前を通って帰るなら、偶然出会ったわたしの話し相手になってもらおっと」


 僕は小学生での出来事、神田さんとの出会い。ああ、詳しく言うと死んだあと、幽霊の類になった神田さんとたまに話し相手になっている。


 今日も偶然、小学校の前を通る道で帰っていると少女に出会った。


「好きにしたらいいよ」


「うん!」


 本当に死んでいるのだろうか。あのあと、確かに神田さんの葬式には参列した。

 でもな、棺の中で眠る神田さんを見ている僕の隣に神田さんが立って笑っていたんだよなあ。


「わたしの体がお花で埋め尽くされていくなんて……白雪姫になったみたいだね! だよね、染谷君!」


 そうだね! なんて言えるはずもなく、悲しみ半減の葬式だった。


 そんなこともあって、妖怪や怪異なんてものが身近になってしまったんだけどな。


 よく見れば、僕の生活する世界には、普通ではない存在で溢れていた。


「? なんだか染谷君から新しい女の子のにおいがする」


 神田さんは、僕の周囲をまわりながら鼻をきかせている。幽霊にも嗅覚細胞なんてあるのか? 


「人を浮気者みたいに言うな」


「わたしという者がありながら染谷君の浮気者!」


「おい。いつから神田さんと僕が交際関係になっているんだよ」


「だって、二人だけしか知らないあんなことやこんなことも済ましているのに」


「小学生に手なんて出した覚えはないぞ」


 小走りしながら、僕の前をいく神田さんはあの頃と変わらない背丈で振り返って笑いかけてくる。


「でも、わたしも大きくなりたかったなあ」


 笑顔で言われる言葉には、育ち盛りの少年少女なら普通に言う言葉ばかりだ。でも、その重みを僕に測り知ることは出来ない。


「それで、その浮気相手の人は誰なの?」


 浮気相手って、そこは確定事項なのかよ。まあ、神田さんにどんなことを言っても笑ってはぐらかされるだけだからもういいけど。


 それに、誰かに声が聞こえるわけでもないから。


「うちに同い年の女の子が住むことになったんだよ」


「ふーん」


 なんだよ、あんなに疑っていたのに反応薄いな。


「駿河美華っていうんだが、たぶんその子のにおいだろうな」


「まあそういうことなら仕方ないですね。今回は許します」


 生徒会といい神田さんとの話しもあり、陽も地平線に落ちかけている。夕方が抗っているけど、あと数分で空は夜に姿を変えるだろう。


 さすがに時期も時期、これから陽が落ちればさらに寒さが増すだろうな。はあ、困ったものだ。


「でも、染谷君もわたしに気を遣わないでいいんだからね」


「別にそんなことはないよ。ただ、僕には見えているものを無視することは嫌なだけだよ」


「そんなこと言っていると、本当に大切なものがなになのか分からなくなってしまうよ」


「見えないものが大切なのだとしたら、それは分からなくて普通じゃないか」


「そういうとこなんだよなー」


 首を傾げる素振りをして、神田さんは溜息をついた。


 目に見えるものだけが信じることができる。それは、目に見えないものは信じることができないということになる。


 それが人だと思う。僕も例外なく人、だと思う、たぶんね。

 だから、理由なんてとくにないけど目に見えるものを無視することはできない。


「それは何回も聞いたよ」


「染谷君は分かってない節があるから言ってあげてるんだよ」


 神田さんには今までにも同じ事を何度も言われている。

 自分の住んでいる世界の外まで干渉してしまったら、どちらの世界のものでも無くなってしまうかもしれないと。


「あ、神田さん」


「なにかな?」


「僕以外で神田さんを見ることができた人はやっぱりいないのか?」


 すっと横顔を見遣ると、鼻で笑った神田さんの瞳が僕を捉える。


「いないよ。だってそれは染谷君が普通ではないだけなんだから」


「……そうか」


 僕は普通じゃない。


 そんなことに今更なにか思うことなんて何もないんだけどね。言われ慣れたよ。


 あ、あの人が幽霊が見えるなんていってた子じゃない? 

 

 なあ、こいつは無視していいよな?


 おい、またあいつ話してるぞ。誰もいないところを見つめて——


 心無い声は、唇から零れ落ちると、さらに新たな噂がうまれる。その声は、思った以上に僕の心を締め付けていく。


「でも、だからといって慣れてはだめなんだからね」


「わかっているよ」


 いつもこの後の言葉は決まっている。ほんとかな~? と神田さんは呟いて歩く足を止める。


「それじゃ今日もありがとね。また、偶然にも学校の前を通ることがあったら話し相手になってね!」


 背中に届く声の方に振り返ると、そこには小学生の無邪気な顔の少女が立っていた。


「あ、それとあの吸血鬼にも気を付けるんだよ」


「ああ、わかってるよ」


「ほんとかな~? 染谷君、またね」


「……またね、神田さん」


 その少女はいつも僕の家の近くの公園まで来ると、また来た道を戻っていく。

 僕は少女の家を知らないけど、近いところに家があるらしい。でも、あまり帰ることはないと言っていた。


「お母さんの悲しそうな顔は見たくないから……」


 今もあの頃と変わらない小学校に通い続けている。そこがわたしの唯一の居場所だと言って。

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