第4話 メロンパンの涙

「まさか同じクラスになるなんてな」


「一緒のクラスでよかったよ」


 朝のホームルームで先生が転入生を連れてきた。このタイミングでそんな生徒は美華じゃないわけがなくて。


 美華とは家だけでなく、教室までも一緒になった。同じクラスと言うのはいいけど、周りには一緒に住んでいることは黙っておこう。


 高校生の男子が女子と一緒に住んでいるなんて知られたら、どんな冷めた目で見られるか分かったものじゃないからな。

 とくに女子からは、汚物でも見るかのような冷酷な目を向けられるなんて言うまでもなく分かりきっていることだ。


 転入生という物珍しさは自然と美華の周りに人だかりを作っていた。


 友達作りに困るんじゃないだろうか。そんな僕の些細な不安はする必要もなかったようだ。


 美華の周りには多くの女子が詰め寄って、男子は自分のクラスにちょーかわいい女子が来たと舞い上がっていた。


「まあ僕も心配だったし、同じクラスでよかったよ」


「まあって……」


 美華が昼休みになって僕のところに来ていた。

 周りからは、美華を呼び捨てにすると睨まれてしまったけど。特に男子に。

 それから売店の場所を教えるついでに、お昼の飲み物を買いに、いつもの自販機に向かっている。


「怒ってる?」


「怒ってない」


 美華は僕を一瞥して、そっぽを向いてしまった。

 怒るようなことしたっけ?

 僕の無知のせいで美華がなんだか拗ねているような気がするんだけど。


 これから、もっと気を遣っていかないといけないのかなあ。ちょっと疲れるな。普段話す女子は会長と斎藤ぐらいだしなー。

 二人とも、なんだか普通の女子と違うところあるからなー、全く参考にならないんだよな。


 二人の女子のことを考えていると自然とため息をついてしまっていた。


「冬馬、ここが売店なの?」


「そうだよ、ここ昼休みになったら物凄い人ごみになるんだよ」


「おお……」


 隣で、その瞬間は日本一人口密度高いんじゃないのか? と思わせられるほどの人ごみに美華は瞳を見開いて言葉を失っている。


「なんでも一日十個限定のパンがあるらしくてさ。いつもこんな感じなんだ」


「……」


 美華には僕の声が届かないほどに眼前の出来事に興味津々のようだ。財布を握りしめて、人ごみに飛び込んでみようか、などとたじろいでいる。

 でも、初めての美華が飛び込んでも買うことはおろか進むこともできないだろうな。


「買ってきてあげようか?」


「え、いいの?」


「この中で買うのは骨が折れるだろうし、代わりに買って来てあげるよ」


 心が折れるならまだしも、本物の骨が数本持っていかれてもおかしくない人混みだしな。

 美華は最初こそ頼むのをためらっていたけど、それ以上に食べたいものがあったようで遠慮気味に財布を渡してきた。


「それじゃ、冬馬のおすすめでおねがい」


「りょーかい! ちょっと待ってろよ」


 まさかのおすすめをご所望らしいけど、ならあれだな。

 なんとか人の大海原を難航しながらも、おすすめを買うことができた。


「こんなのもう嫌だ……」


 安易にかっこいいことでも言ってやろうと、行動してしまったことに嘆息をつきながら美華の待っているところに帰ってくることができた。


「……なんでいるんですか」


「やっと帰ってきたか後輩くん! 待ちくたびれてしまったよ」


「会長に待ってもらった覚えはないんですけど」


 美華の隣には、いつもの掴みどころのない笑顔で僕を待っている会長がいた。

なんでいるんだよ。嫌な予感が物凄くするんだけど。


「この子が後輩くんの彼女っていうから気になってさ」


「いや、わたしは……」


 会長にいじられて美華は頬を紅潮させ、気恥ずかしそうにする。

 そんな表情をしていたら、ますます遊ばれてしまうぞ、美華。


「はいはい。違いますよ。どうせどこかで僕を見たからついてきたんでしょ」


 僕が大げさに肩を落とすと、さすが後輩くんって言いながら背中を叩いてきた。いや、痛いからやめてくれ。


「それで実際はどんな関係なんだい?」


 いつにもまして楽しそうな会長は僕の顔を覗き込んでくる。


「……ちょっと会長、周りに注目されてるんで離れてもらっていいですか。離れてください」


「後輩くんのけちー、二回も言わなくても聞こえてますよー」


 さっと僕から距離を取った会長は、満面の笑みで微笑みかけてくる。その笑顔を見るたびに勘違いしそうになるからやめて欲しいんだけどな。

 Re.勘違いから始まる黒歴史! を作るなんてお約束を、僕はしませんよ!


「そんな楽しそうに笑いやがって……」


「会長にそんなこと言っていいのかな? これは生徒会室で記者会見が必要なようだね」


 気が済んだのか、会長はくるっと踵を返して歩いていってしまった。僕と美華は突風に吹かれたように、少しの間その場に取り残されていた。


「なんだかすごい人だね」


「なんだかすごい人なんだよ」


 こんな調子で僕も生徒会に連れ込まれたんだけどな。

 断じて美人な先輩に誘われたから、そらさっさとついていったわけじゃない。たぶん。自信なんて……ないけど。


 僕が数か月前のこの場での運命の出会いに回想していると、美華の視線が僕の手に向けられていた。


「ああ、そういえばこれが目的だったな」


 会長に気を取られていたけど、美華にパンを買って来たところだったのを忘れてしまっていた。


「どうぞ、お納めください」


「ありがと!」


 美華はパンを受け取ると、待ちきれないのかそのまま包んである紙袋を破ってかぶりついた。


「……」


「……美味しくなかった?」


 美華は一口かぶりつくと、そのまま時でも止まったのかと錯覚してしまうほどに動かなくなってしまった。


 その顔は僕の顔より少し下にあって表情を見ることはできない。それもあって錯覚はさらに深いものになっていく。


「美華……なんで泣いてるの?」


 不意の涙は、僕を混乱させる。

 顔は見ることができないけど、その頬からつたって落ちる雫を見ると時が止まったわけではないと実感することができる。


「……この甘い味……食べたことある」


「それは、普通のメロンパンだよ」


 それから、無心に食べ勧めていった美華は僕の顔を見上げて、


「冬馬、これおいしいよ!」


「お、おう。それならよかった」


 確かにここの売店で売っているメロンパンは絶品だと思う。だから、おすすめと言われて迷うことなくこれだと思った。でも、絶品だと思っているのは僕ぐらいのようで、時々売れ残ってしまっている。

 それをたまに買う程度には、このメロンパンのファンだ。でも、泣くほどおいしかったかな? というよりおいしさで涙を流すことなんてあるのか?


 今も食べ終わったメロンパンの紙袋を名残惜しそうに見ている美華は優しい微笑みを湛えている。


「そこの自販機で飲み物買って帰ろっか」


 僕が言うと、そうだねと美華は言って近くにあったゴミ箱にメロンパンの紙袋を捨てに行ってしまった。


 そんな何気ない後ろ姿を見ていると、さっきの涙が脳裏をよぎる。

 あれは、美華のなくなってしまった過去の思い出だったんじゃないだろうか。もしそうだとして、僕に何か出来るのか。


 僕は美華に何かやってあげたいと思っているのか……。


 ——記憶がない。


 僕が考えている以上に、記憶というものは大きな存在感を持っているのかもしれない。


 漫画では相手のこころを呼んでしまう超能力者がいたりする。しかし、現実は違う。人の考えていることなんて分かるはずがない。


そんなことに他人が勝手に干渉していいのだろうか。そんなことをどれだけ考えても、何かがまとまるわけではなくて。


 今朝の美華の話す声や表情が頭から離れないでいる。


「ほら、買いにいこうよ」


「うわっ!」


 いつの間にか考え込んでしまった僕の手を美華が引っ張る。

 まあ考えてもなにか出来るわけでもないし、今はこのままでもいいのかな。


「そんなに引っ張るなよ」


 学校がそんなに楽しいのか、美華ははしゃいでいる。その顔は年相応の少女のものだった。


  〇 〇 〇


 そのまま学校は終わって放課後になった。美華には先に帰ってもらった。

なんでかと言うと、言わなくてもいいけど僕が生徒会なんかに入ってしまっているからなんだけど。

 生徒会室に着いて、扉を開くと他の生徒会メンバーが先にきていた。


「やあ後輩くん。あれ? 彼女は一緒じゃないのかい?」


「こんにちは会長さん」


いま耳に聞こえてきたことは、しっかり聞き流して自分の定位置につく。


「あれー、アボカドには彼女がいたの?」


「斎藤までそんな分かりきったことを聞いてくるんじゃないよ」


「分かりきったことってなに?」


「おい。きょとんと首を傾けるな」


 斎藤は小さく笑ってまた自分の仕事に向き直ってしまった。

 僕が彼女なんていないことを知っていながら聞いてきやがって。教室でクラスメイトと最後に話したのがいつなのかも分からないっての! 


「それじゃなんで仲良さそうにしていたのかな?」


「それはなんていうか……そう! 転入してきたばかりだったから、生徒会メンバーとして校内を案内していたんですよ」


 そうなのだ。どちらかというと、珍しく生徒会らしいことをしていたんだよ。

 僕が生徒会役員になったことを周りはびっくりしていたけど、いつの間にか生徒会役員であることを忘れられるぐらいには仕事をあまりしていなかった。


 そんな逆転の発想から胸を張って昼に買ったペットボトル飲料の残りを飲んでいた。すると、会長は罠にかかった獲物を見るような笑顔を浮かべながら僕を見てくる。


「それじゃ朝の二人だけでの登校はどういうことなんだい?」


 会長の言葉を聞いて、思いっきり飲み物を気管に入れてしまいむせてしまった。


「——見てたんですか。なんてことだ……」


 この人だけには知られたくないと思っていたのに。

 世界がこんなにも狭いなんて——やっぱりこの世界は世知辛すぎる。


 それからは、会長の記者会見もとい脅迫じみた質問攻めで僕は渋々昨日からの出来事を白状していく。


 たまに斎藤からも追撃砲火を受けて疲労困憊。特に精神的な疲れによって。


同じ空間に居るはずの司さんは空気になりきって面倒なことには一切かかわろうとしなかった。


 ——美華に記憶がないことはみんなには黙っておいた。


「そういうことだったんだね。うん、わかった」


「なにが分かったんですか?」


「あ、それは——」


 会長の謎の納得に斎藤が質問する。その間違いを正そうと僕が声を出した時にはすでに遅し。


 会長がこんなにも楽しそうに笑っているときは、決まって面倒なことが起きるのを僕はもう知っている。

 唐突に仕事が増えたり、イベントごとが増えたりと職権乱用なんじゃないのかということも多々あった。


 その笑顔は絶体絶命だと、僕の直感が喘いでいる。


「後輩くんは明日から駿河ちゃんを連れてくること! わたしの補佐、会長補佐に就任してもらいます!」


「……なんてことだ」


 色々な反論したいところだけど、この人に何言っても無駄だろうな。

 それにつれてこなかったら、僕のありもしないことを権力振りかざして色々捏造ゴシップでもでっち上げてきそうだし。


「ここも僕の休める場所じゃなくなってしまったのか……」


「なにかいったかい?」


「なんでもないですよ」


 そんな笑顔で男子を騙しているのだとしたら、この人は悪魔だ……はぁ。


 僕は友達がいない。断じて『少ない』のではない。


 あ、いまは生徒会のみんなとは友達と言っていいぐらいには友達になれたと思っているけど。


 それでも、自分には友達がいる…


 なんて確信が持てないのは、僕だけにしか知らない——世界があるからだ。

 それは、小学生の頃の出来事のせいだ。

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