第2話 同居人の少女

 この町は都心から電車で二時間ほどの距離にある郊外だ。


 それでも、往復四時間なら遊びに行けないこともない距離だと思う。住むのに困ることは全くない程度に発展していて、どこか懐かしい雰囲気を漂わせている商店街もあり気に入っている。


 微妙に不便なところが、僕にここが地元だと再認識させてくれている。

 他の同級生は都会に憧れを抱いているやつもいるけど、僕はこのまま住んでいそうだ。


 家に帰る帰り道、いつも小さい少年少女が遊んでいる公園を右手に横を通る。


 その少年少女は——どんなときでも、そこにいる。


「……」


 そんな景色をなんとなく見ていると、今日は珍しいお客がいるようで。


 公園に一つだけある長椅子に、ちょこんと少女が座っていた。珍しいといっても公園だし誰が使ってもいいんだけど。


 それでも気になって、歩きながらの僕の視線は奪われる。


「これが慈悲深いって言うのかな」


 ぼそっと唇から言葉が漏れる。


 その少女は白い花柄のロングスカートに、灰色のパーカーという、とてもラフな格好をしていた。灰色といっても、夕陽に照らされ、暗い印象なんて微塵も感じさせない。


 少女の目の前にはハトが三羽いて、食べ物をせがんでいるようによちよちと近づいている。


 『どうするのだろう?』、と見ていると少女は一緒に持っていたビニール袋からクロワッサンを取り出し、小さくちぎって地面に落とす。


 たぶん困惑の表情を浮かべているであろうハトも、ゆっくりと落ちたクロワッサンを口先で突き、食べれそうだと確認して食べた。


 パンが、それもバターの甘さとサクサクとした食感がハト好みなのかは知る由もないが、満足いったようでそのまま飛んでいってしまった。


 飛んでいくハトたちを見つめていた少女は、ふと僕の視線に気付いてしまったらしく、お互いの視線がぶつかり合う。


 慌てて僕は、すぐに進行方向に顔を向けた。


 そのまま『何も見ていませんでしたよー』、という顔をしながら僕は公園を通り過ぎていく。


 本当はしっかり一瞬だけだったけど目と目があってしまった。それもあって、日本人離れした薄く白い肌。夕陽に照らされていても分かる綺麗な鼻筋。


 そしてなにより、綺麗な首筋を見え隠れさせる淡藤色の髪は、冷気さえ纏っているように感じさせられるほどに美しい。


僕は——目が合った刹那、少女のことが気になって仕方なかった。


 歳は同じぐらいだろうか、身に纏っている雰囲気は大人びていたけど、顔は少し幼く見えた。子供とも大人とも言えない、中途半端な幼さを受けた。


 なんでこんなにも、しっかり少女のことを把握しているかというと、自分でも分かっていなかったようだけど見とれていたんだろうな。


 公園から少し歩いたら、僕の家に帰りついた。一般的な一軒家だ。


 玄関の入り口は外開きのドアになっている。取っ手の部分を握ると、少しひんやりとした。ガチャっと蝶番が音を立てながらドアが開く。


「ただいまー」


 玄関に入って靴を脱いでいると、「おかえりー」と返事が返ってきた。

 そんな普通が気恥ずかしいけど、安心することは間違いない。


「ご飯できてるから、荷物置いてきなさい」

「わかった」


 いい匂いがして、一気に腹の虫が鳴る。靴を脱ぎ、僕の部屋に荷物を降ろしに行く。

 凄く重いわけじゃないけど、肩が軽くなって家に帰りついた実感が湧いてくる。


 手を洗って、うがいしてをして風邪予防は万全だ。まあ、たまには風邪を引いて学校を休みたいと思わなくもないけど。


 そして、今日の晩御飯が待つリビングに向かう、はずだった。


 玄関のチャイム音が鳴り、誰かが来たことを知らせてくれる。

 特別誰が出ないといけないなんて、決まりはないわけだし僕が出るか。


「……あ」


 外に誰がいるかも確認せずに出たこともあって、突然の来客者を見た僕は情けない反応しか出来なかった。


「……すいません。て、あなたはさっきの」


「さっき? ああ、公園の」


 やっぱり僕に見られてたの、気づいていたよねー。


 誤魔化そうとして、すぐにそんなことしても意味ないなと思い直し、見ていたことを白状する。


「ごめん、さっきは盗み見ているようになってしまって」


 眼前にいたのは、見間違えることもない。

 公園で見かけた少女だった。


 餌やり少女は「いえ、大丈夫です」と言いながらも、気まずそうな顔をして視線を足元に落した。


 それにしても、この子……ほんとに綺麗だな。


 少女は玄関の照明に照らされてか頬を赤らめて居心地悪そうにしている。

 こんなときに正解の反応が僕にはわからない。だって、自分の家に女の子が来たことなんてないんだから!


「えっと、そんなに見ないでもらえますか?」


「ご、ごめん」


 呆然と少女を見下ろしていたことに気付き、咄嗟に目を泳がせてしまった。僕の視線に対して、睨み返してくる瞳は侮辱の色があった。完全に気持ち悪がられてしまったやつだ。


 僕たちのやるせない空気をキッチンから察したのか、足音が近づいてくる。


「あら、なにしてるの。チャイムなんて押さなくていいのよ」


 押さなくていい? 他人の家に訪ねるときに無断でお邪魔してもいいなんてことはないと思うんだけどな?


「なに? 母さんの知り合いなの?」


 聞きたいことは色々あるけど、とりあえず他人なのか知人なのかははっきりさせた方がいいと思う。

 至極真っ当に疑問をぶつけてみると、拍子抜けしたような顔で答えられた。


「誰ってその子は、今日からうちで暮らすのよ」

「はあー? えー、はい?」


 どんなに冷静沈着な人でも、この場に面したら腰を抜かしそうな答えだ。

 暮らす? 同じ屋根の下ってことか?


 かなりの間あっけにとられて、やっとの思いで少女に振り向くことができた。

 僕に見られて、困惑中の少女も「……お邪魔します」とちいさく呟くだけで、おずおずと中に入ってくる。


 いきなりの事で緊張して、腹の虫がなんて言ってる場合じゃなくなってしまった。

 さっきまで匂っていた晩ご飯の香りも、嗅覚細胞が緊張で仕事をなさなくなってしまっているようだ。


 何事もなかったように、母さんはキッチンに戻り晩ご飯の準備に取り掛かる。

 名前も知らない少女は、玄関に座って靴を脱いで、僕を横目に見たと思ったらすぐに洗面所に向かった。


 確かに、帰ってきたら手洗いうがいは大切だよね! 

 でも、いまはそんな事を褒めている場合ではないよね!


 ただ一人、目の前の出来事についていけず取り残されている僕も、なんとか嗅覚が戻ってきて晩ご飯のことを思い出すことが出来た。ゆっくりと晩ご飯の待つリビングに足を運ぶ。


 やっとの思いで平常心を装って席に着くと、昨日までとは違って三人分のご飯が用意されていた。


 まあ少女の分なんだとは理解できたけど、それでも違和感が物凄い。三人分の皿が用意されているのは、いつぶりのことなんだろうか。


 洗面所から流水の音が止まって、足音が近づいてくる。横目に一瞥すると、少女が僕の隣の席に座った。


 この位置関係は——色々言いたいことだけど、目の前に来られてもどこを見てご飯を食べればいいのか困るし、結局どこにいても困るわけで。


「それじゃ、いただきます」


 僕の疑問もなんのその。母さんが合掌の号令をかけた。


「……いただきます」


 そして、隣の全くの初対面の彼女も小さく遠慮気味に合掌している。


「美華ちゃんも遠慮せずに沢山食べていいからね」


 母さんに美華と呼ばれた少女は口に食べ物を入れたまま頷いた。


 遠慮気味に食べ始めた彼女も、いつの間にか周りを気にせず、少しだけど表情を見せるようになってきていた。


 それにしても、とても美味しそうに食べる子だな。初めて食べたみたいに瞳が輝いている。


 頬を膨らませ、急ぎ過ぎたのか喉に詰まらせてむせてしまっている。母さんに、微笑まれて恥ずかしかったのかむっとして、水で流し込む。


 そんな家族的ないい感じの食卓の雰囲気に呑まれてしまっていた僕も、いざ自分の分のご飯に手を付けようと思った瞬間、忘れていたことを思い出した。


 サラダにドレッシングかけてないわ! ではなく、


「ちょっと待ってよ。この状況はどう理解したらいいんだ」


「理解ってそんなことさっき言ったでしょ。美華ちゃんは今日からここに住むの」


「うん、それは聞いた。でも、なんでそんなことになってるわけ?」


 なんだか隣で美味しそうに唐揚げとご飯を頬張っている彼女を、邪魔者扱いしているようで遣る瀬無い気持ちになってしまうけれど、いまは我慢だ。


 彼女は、自分のことを言われていると分かると食べる箸が止まってしまった。


「美華ちゃんは遠い親戚の子なの。親の都合で、うちで預かることになったのよ」


「遠い親戚? 悪いけど記憶にないんだけど」


 さっきから、唐揚げにかけたレモンのいい香りが漂ってくるけど、ぐっと堪えて母さんに事情聴取を進める。


「とうくんも昔会ったことあるのよ。まあそんな事だから仲良くね」


 母さんは決まったことなの、と言って冷めないうちに唐揚げを食べだしてしまった。


 どんな流れでこうなってしまったんだ。正直混乱しているけど、反対する理由も僕にはないし、母さんがいいならこれ以上聞くことはないんだけど。


 それでも、実家で食べるご飯がこんなにまで緊張と息の詰まったことはなかった気がするなあ。


 その後は、お互いがお互いを気になってしまって会話どころではなかった。なんなら食事に集中しまくってしまった。


 満腹になったのか少女の表情が緩んでいる。一息ついて、水を飲んで落ち着いて、ご飯も食べ終わったようだ。


「……駿河美華です。急に押しかけてごめんなさい」


 僕に聞こえてきた声は、全く聞いたことのない声だった。この少女に会った記憶がないのだから、昔会っていても初めてのようなものだ。


 なんて透き通るような響きなんだろう。とても小さく、食卓を囲む僕らにしか届かないほどの声量だった。


 しかし、どんな大声よりかも、鼓膜が揺さぶられる感覚だった。


 優しい声。でも、どこか冷たく寂しい声。


 僕も慌てて挨拶を返す。


「染谷冬馬です、こちらこそよろしく」


 やっとの思いで挨拶を終えると、なんだか急に気まずさが増した。それ以上になにを聞いたらいいのか分からなかった。


 二人して、微妙な態度でよそよそしくしていると、食べ終わった食器を母さんがシンクに持っていく。


「なに二人とも照れてるのよ。そんなんじゃ今日から同じ屋根の下で寝れないわよ」


「ちょっ、変なこと言うなよ!」


「あ、焦った? 同じ部屋とは言ってないのにな~」


ちっ、軽くあしらわれてしまった。吞気に笑いながら母さんは、手際よく食器を洗っていく。

 ……なんだか1人一緒に住むことになっただけで、実家が全く落ち着かないんですけど。


「……冬馬、ごめんなさい」


 母さんに弄ばれてため息をついていると、少女……いや美華は沈んだ声で謝ってくる。


 謝ることなんてないけど、名前で呼ばれたことにどきっとしてしまった。


 僕が居心地が悪いなんて言ってる場合じゃないか。母さんには、後でしっかり事の真相を教えてもらうとして、美華には非はないわけだしな。


 他人の家に住む。そっちのほうが居心地が悪いに決まっている。

 いつまでも女の子をこんな暗い表情にしていてはだめだ、と僕にもぎりぎりあった男心がそう言っている。


 僕は気付いてしまっていた——美華の見せた、ほんの一瞬の微笑みがどれ程よりも綺麗だったことに。

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