僕と、僕だけの不思議な世界

颯爽 風

第1話 セミとアボカド

眠眠と眠る僕と共に鳴いていた蝉の声も、今は聞こえなくなっていた。


 ————全力で生きた一週間だったのだろう。


それなのに子供たちは元気に虫取り網を片手に携え、籠から伸びた紐を肩にかけて追い回す。


 僕にもそんな頃の夏があったなと、高校生になった今、夢であの頃の夏を思い出す。

 そんな吞気な季節の終わりと共に、僕の眠眠と居眠りは終わりを告げられる。


「——後輩くんも仕事をしてくれよ」


「うっ」


 頭に手刀が振り下ろされる。それは、優しい手刀だった。でも、優しくするなら手刀もやめて欲しいです。


「……そんなことされなくても起きてますよ」


「言い訳はいいから、後輩くんも自分の仕事をしてくれないか。わたしは困っているんだけど」


 僕は寝ぼけ眼をこすりながら、机に突っ伏した顔をあげる。


「それはすみませんでした。今すぐやりますよ」


 僕を起こした本人、神須凛はそれなら良し、と言いながら微笑んでまた自分の席に戻っていく。

 

 この人を会長に置くこの学校の生徒会は、夏の体育祭の後処理をしていた。といっても夏なんてすっかり過ぎ去り、制服の衣替えの時期になっていた。


 ————高校生になって何かに没頭する。


 それは、部活かもしれないし、恋かもしれない。没頭しすぎて失恋を経験する人もいるかもしれない。


 僕も例外じゃなくそんな高校生になるのか——なんて考えは全くなく、どこか他人行儀にクラスメイトを見ている毎日が進んでいた。


 なぜ僕は違うのか? 


それは単純明快だ——なにひとつ興味が無いからだ。


 どれだけの人が、蝉のように何かに没頭することができるのだろうか。

 もしかしたら、かなり多くの人が何かに没頭しているのかもしれない。


 蝉も地面から這い出てきて、子孫を残すために夏の猛暑の中を飛び回り、一週間という短い時間で命を落とす。


 その一週間が短いか長いかは人間の尺度でものを言ってはいけないのかもしれないけど。


 そんな蝉も、子供たちに捕まえられてしまう未来を知ってしたら飛び回ることに没頭なんて出来たのだろうか。


 ——それは、人間も同じだ。


 振られると分かっている相手に告白をするのだろうか。


 その舞台には立てないと分かってしまったら、部活を頑張ることは出来るのか。


 もしかしたら——たらればなんて考えてもきりがない。


 入学してからしばらくたって生徒会選挙の立候補期間に入っていた。

 まあ、その時には会長は会長に就任していて、一年生の生徒会メンバーを決めるためのものだった。


 いつも通り昼休みに飲み物を買いに購買部に行くと、生徒会選挙を知らせる張り紙が掲示板に張られていて、何の気なしに見てみる。


 生徒会——それは自主的に学校をより良く変えていくための、生徒主体の集まりだ。

 ということは、僕からもっとも遠い存在なわけで。見遣ってはみるものの、全く興味が湧かない。……自分でも驚くほどだ。


「きみ、一年生?」


「うっっ!」


 完全に意識の外にいた僕の耳元で誰かに囁かれた僕は、ぶるっと肩を震わせ素っ頓狂な声を出し後ろを振り向く。


「……え、誰ですか?」


 そこに居たのは、制服のリボンの色からして僕の一つ上、二年生だと分かる。が、学年が分かっただけでこんな美人に身に覚えはない。


 すらっとした立ち姿に、優しい微笑みを浮かべながらその容姿端麗な先輩は僕を覗いてくる。

 そして、絶賛困惑中の僕をよそに頬にかかる長く艶やかな黒髪を耳にかけながら言い放つ。


「生徒会に入りなさい、後輩くん」


「……はい?」


 なんだこの状況は? これは、巷に聞く逆ナンってやつなのか?

 まあ、逆ナンで生徒会室をチョイスする美人なんて聞いたことないけど。


 そんな訳の分からない事を言ってきた先輩は、僕の硬直した顔を見て満足だったのだろうか、踵を返して二年生の教室がある二階に歩いて行ってしまった。


「あのー……」


 おい、これはあれか? 君に拒否権はない! とでも言っているつもりなのか? そうと言っているような後ろ姿は、凛とした後ろ姿で去っていく。


 生徒会って勧誘システムだったのか?

 完全に僕は取り残されてしまった。

 先輩の姿が見えなくなると、僕は視線を張り紙に移す。


「……やっぱり立候補制だよな」


 そのあとは、知らない人について行ってはダメだという祖母の教えを思い出し、寄り道せずに教室に戻った。


 そう、僕は自ら面倒ごとに飛び込むほどに愚か者ではない。


  ○ ○ ○


 と、まあこんな感じで高校生活のスタートを切ったわけだが、今は生徒会役員の会計という役職についている。


 僕は面倒ごとに自分から飛び込むことはない、はずだった。これは、男子の性というやつか、可愛い先輩に声をかけられると、犬のようにわんわんついて行ってしまうということなのか。


 自分でも不思議に思うんだが、不審者に出会ってから生徒会に行った方がいいような気がして気付いたときには当選していた。

 僕は学校中から知られている存在ではない。であるなら、どうして当選してしまったのか。


 それはどんなに僕が票を集めることが出来なくても、定員を越えるほどの立候補者が居なかったら、どんな人でも当選してしまうわけで。


「こんなとこかな。今日の活動はお終い、みんなお疲れ様」


 会長の声を皮切りに、丁度いい緊張感の漂っていた生徒会室に弛緩した空気が流れ込んでくる。そんな流れてくる空気は何故だか肌寒さを伴っていて。


「さっむ。なんで窓開けてるんですか。寒いですよ、閉めてください」


 グランドに面した窓際に目を向けると、会長が一仕事終えたような達成感の面持ちでグラウンドを見下ろしていた。


「寒いのは当り前だよ。季節が変わろうとしているんだからね」


「そんな事を聞いてるんじゃないですよ」


 茜色に照らされた会長の顔が、こちらを向く。


 その顔は、なにを当たり前なことを? と言っているような顔をして逆に僕を見つめ返してくる。そして、充分に満足したのだろう。


 小さく笑ってまたグラウンドを見下ろす。


「わたしたち生徒会が季節の変わり目に疎くなってしまったらいけないだろ」


「……そうですか」


 言っていることは訳わからないけど、赤く染まった会長の横顔を見ていると、自分の頬が赤くなるのを感じて目を逸らした。


「それに後輩くんは冬が好きなんだろ。前に言っていたじゃないか」


「確かに夏の猛暑の中、何度も冬の到来を懇願しましたけど、寒いのは別なんですよ」


「そうなのかい」


 夏は暑くて、冬が恋しくなる。しかし、冬になったら夏が恋しくなる。そんなことを考えていると、いつの間にか高校生になってしまっていた。


 僕の話を聞いているのか、聞いていないのか。会長は開いた窓を閉めると、こちらに向き直り、また吞気なことを言ってくる。


「それじゃ生徒会諸君、肌寒さを堪能しながら気を付けて帰ってくれ」


 僕たちの会長は、掴みどころのない人だ。屈託のない笑顔で、僕たち生徒会のみんなを見渡してくる。そして僕は、そんな会長がなにを考えているのか分からない。


 会長は、多くのことに興味を示し、行動力は人並外れたものがある。そんな会長は、よく僕に話しかけては絡んでくる。


 なんで僕なんかに構ってくるのか分からないが、一つ言えることがある。


 僕と会長は正反対の世界に生きる人だということだ。


 僕たちは簡単な片付けを終わらして、生徒会室を後にする。


「それにしても塚持くんは季節の変わり目に必ず風邪をひくんだね」


「塚持先輩、自分で言って置いて命中させるなんて……経験がものを言ってますね」


「そんな千秋ちゃんは冬は好きなのかい?」


「そこそこです。空気が澄んでいるところは気に入っています」


「ほほー、なかなかセンチメンタルなことを言うねっ」


 職員室に生徒会室の鍵を返しに向かっている隣で、会長と何のことない与太話をしているのは斎藤千秋。


 僕の腐れ縁であり、僕の他に唯一の生徒会立候補者だ。

 なにが腐れ縁かというと中学からずっと同じクラスだったことだ。小学生のときはどうだったかは、もう覚えていない。


 いつの間にか話すようになり、親しい仲にはなったと思う。僕には他に仲の良い女子もいないから、比較のしようもないんだけど。


 それでも、気兼ねなく話せる友達の一人だ。


「わたしはこのまま鍵を返して来るから、二人は先に帰ってくれていいよ」


 職員室に向かう途中、昇降口の近くまで来ると決まって会長は先に帰っていいと言ってくる。

 最初こそ付いていくと言っていたけど、「校門を出ても帰る方向が違うのだから、ここでさよならしても大差ないさ」と何度も言われて渋々帰ることにしている。


 会長は僕たちに命令ばかりするものだと、大きな偏見を持っていた。ただ、実際は全くそんなことなく会長が一番仕事をしていた。いや、でも僕にたいしての命令が多いような……。


 僕たちに生徒会としての仕事がないわけではないが、それでも会長の仕事量の多さには生徒会室の全員が気付いていると思う。


 そんな会長はというと、仕事さえも楽しそうにしているのだから不思議な人だ。


 結果、最初の不審者としてのイメージはなくなったけど、新たに変人としての烙印が僕のなかでは押されていた。


 軽く挨拶を済ませ、上履きを脱ぐ。そして、下駄箱から靴を取り出し履き替える。


 校内に残っている生徒の数も少ないのだろう。僕のクラスの下駄箱をふっと見てみると三足しか靴は残っていなかった。


「帰ろっか、アボカド」


「そのアホな呼び方やめてくれよ」


「それじゃやめるよ」


「やめるのかよ!」


 いつもなら「嫌なの?」なんて可愛い顔しておどけて見せるくせに、余りにもあっけなくてツッコんでしまったじゃないか!


「だってやめて欲しんでしょう?」


 斎藤はきょとんとした顔で靴を履いている僕を見下ろしてくる。


「別にそんなにやめて欲しいとは思っていないけど……斎藤がそう呼びたいならいいけど」


「そっか」


 斎藤は僕から目線を逸らし、振り向く。肩の高さで切りそろえられた赤みがかった髪が揺れる。


 季節の変わり目には風が吹き、よく砂を巻き上げることがある。段差に腰を下ろしてローファーの踵を無理やりねじ込んでいると、昇降口に溜まった砂が僕の顔面に豪快に飛んでくる。


 タイミング良く斎藤は、目を細めている僕に向き直り、またいつもの冷静な、でも暖かい表情で告げてくる。


「帰ろっか、アボカド」


 しかし、風によって巻き上げられるのは砂だけではなかったようで、風に揺られてスカートの裾がふわっと揺れる。


 それほどスカートが揺れたわけではなく、ただ僕が腰を下ろしていたからこその出来事だった。


 気付かれる前に目を背け、出来る限りのいつもの顔で答える。


「かえろうか、斎藤」


 朝の占いで言っていたラッキーカラーもあながち間違っていないのかもな。


「顔赤いけど? なんで?」と言われたけど。「そんなことは夕陽のせいだ」と言い訳しながらはぐらかした。


 そのまま二人で下校する。


 この流れは高校が始まってからのことではない。中学のときから、いつの間にか一緒に帰ることが多くなってきている。

 高校生になってからは、お互いが生徒会に入ったことで、一緒に帰ることがほとんどだ。


 斎藤と帰ることは、そんなに嫌じゃない。お互いに恋人ではないし、かといって赤の他人でもない。そんな距離感が僕はわりと気に入っている、けど。


「斎藤って冷静でしっかりしてるのに、なんで僕をアボカドって呼ぶんだ?」


 太陽が半分ほど隠れてしまって、帰る僕たちの目線上に眩しい陽が射してくる。


「覚えてないの?」


 覚えてないの? と言われたら考えてみないといけないな。

 斎藤が僕をアボカドなんて変な呼び方をするようになったきっかけ——


「ごめん、さっぱりだわ。きっかけなんてあったか?」


 すると、「わかんないか~」とため息をついて斎藤は教えてくれた。


「中学一年の時の自己紹介で『好きな食べ物はアボカドです』って言ったんだよ」


「ああー」


 確かにみんなの前での自己紹介で僕はそんな事を言った気がするなあ。

 しかし、それは言ったかもしれないけど。それで疑問が解決したわけじゃないんだよな。


 理由? を教えてくれた斎藤は、「ご理解できましたか?」なんて顔に書いたまま、あっけにとられている僕を横から覗き込んでくる。


「確かにそんな自己紹介をしたことは思い出した。でも、それが理由になる意味が全く分からないんだけど」


 そのとき、僕たちの間に向かい風が吹いた。そろそろ炬燵が必要になってきそうな寒さを感じる。あれは、人類で最も人をダメ人間にすることができる素晴らしい発明だ。あれさえあれば、もうどうでもいいまである。


「理由なんてそれで充分でしょ。……寒くなってきたし、早く帰ろうか」


 隣を見ると、斎藤が寒そうに肩を震わせていた。

 全く充分ではないけど、早く家に帰りたいし、それ以上の質問はやめて素直に帰路に就くことにしよう。


 僕の隣で、世間話を振ってくる斎藤は控えめに言っても可愛いと思う。

 身長も女子の中では高い方だし、顔立ちは特に整っている。


 綺麗に切りそろえていられている髪は、夕陽に照らされ輝いている。隣を歩くことは、控えめに言ってもクラスの男子が羨ましがる程だと思う。


「……なんかずれてるんだよな」


「何か言った?」


「いいや、なにも」


 つい心の声が出てしまっていた。

 斎藤は僕をアボカドなんて読んでるせいで、他の同級生から残念不思議ちゃんなんて言われていることを気にしていないのだろうか。


 僕なんかに構わずに、普通の高校生活を送ればいいのに。


 今から僕に構わずに学校生活を送れば、たちまち人気者になること間違いなしだと思う。あ、でもそれは僕が傷付いて泣いちゃうからやめてね?


「それじゃ、気を付けて帰れよ」


「また明日ね、アボカド」


 僕と斎藤はいつもの交差点で別れる。優しく微笑んだ顔を一日の最後に見られるのは、悪いものじゃないな。

 結局、なんでアボカドなのかは分からなかったけど。


「……いまさらどうでもいいか」


 何だかんだで三年間呼ばれ続けた呼び方を変えられても、それはそれでこそばゆい。

 まあしかし、変な名前で呼ぶことを許している僕も変なのかもしれないけど。


 一人で帰りながら少し自虐的に笑ってしまった。

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