ノワール・デコレーション~黒い塗り絵~


椅子間いすま地区の治安の悪さは目を見張るものがある。刃傷沙汰にんじょうざたは高頻度だし、軽犯罪を数え出したらキリがない。劣悪な環境に慣れてしまった住民は、自身に被害が及ばない限りめったに通報しない。おかげでエブリデイデンジャラスゾーン。清く正しく美しくの真逆を完全独走中だ。


「ウェーイ、バイブスブチアガってるぅーっ!?」

「「いぇーい」」

「なにそれダウナーでじわるんだけどぉ。えぐめにテンサゲなかんじぃ?」

「「それなー」」

「えー、今かまちょなんですけどー」


 椅子間いすま地区ビギナーが洗礼を受けるのに丁度良いのは彼女達だろう。

 春先でまだ寒いのに、露出過多のホットパンツで街を闊歩かっぽするリーダー格。その後ろには同じく肌面積広めの手下の女がふたり。

 勝手気ままに騒いで暴れて迷惑行為を繰り広げることで有名な連中だ。

 時にはバイクで爆音上げて大暴走、時には公共物を殴って器物損壊。強い相手には噛みつかず、小さな悪事をちまちま積み上げている。陰では「ヘタレ小悪党」と呼ばれているが、本人達は気付いていない。中途半端な奴らである。

 そんな彼女らの目的は、ない。

 本日の予定も、ない。

 特にやることもないので、昼間から意味もなくのっしのっし。まったく、なにがしたいのやら。


「ちょ、どちゃくそキャンバスじゃん、やばみ」


 そこで目に付いたのは大きな看板だ。目立った錆びはなく、比較的新しく立てられたものらしい。市内に開業予定の病院について宣伝する看板なのだが、その内容については興味ゼロ。白くて大きくて汚し甲斐がいがある。彼女達にとってそれだけが重要だった。


「とりま、これにエモいアート描かね?」

「「あーね」」

「だからダウナー過ぎてじわるわ」


 リーダー格の女がスプレーペンキの缶を取り出すと、手下のふたりも気怠けだるげにそれにならう。

 彼女らがやろうとしているのは、不良の十八番おはこである落書きだ。

 野生動物が縄張りを示すためマーキングするように、自分達の存在を誇示するかのように真っ赤なインクを吹き付けていく。下劣でアート性もないそれは、ある意味マーキングに用いられる糞尿ふんにょう程度と大差ないのかもしれない。


「ねぇねぇお姉さん達、面白そうなことしてるね。僕にもやらせてよ」


 かしましい若者達の間に、ぬっと子供が割り込んでくる。

 身長から察するに十歳前後の男児、茶髪と八重歯が特徴的なあどけない子だ。しかし気になるのはその服装。首元には毛皮のファーが巻き付いており、体を包むのはぴっちりボディラインが浮き出るスーツ。極めつけは全身に巻き付く黒い触手、そして胸部から飛び出すマンモスの牙だ。

 とてもじゃないが、普通の子供には見えない。

 それもそのはず、この子供はゾスの眷属に名を連ねる者、モグオムなのだから。


「これ、借りるね」


 手下のひとりからスプレーを奪うと、モグオムは鼻歌交じりに落書きをしていく。不気味なメロディーに乗せて描かれるのは奇妙な文様だ。支離滅裂しりめつれつなようで意味がある。知識を持たない人間でもその異常性だけは理解できる。恐ろしいなにかを表現した絵だった。


「あーしらに邪魔ムーブでイキるとか、僕君あたおかなのかなぁ?」

「ムーブ? イキる? あーもしかして、チョヅかれてMK5ってこと?」

「あン?」


 いにしえの言語で無邪気に答えてくるので、リーダー格の女はぽかーん。自分達の遙か先輩達が用いた謎の言葉で、女の脳味噌はフリーズしている。意味が欠片もわからない。


「あ、あー、あの、ほら、あれ、マジ卍ってかんじで大丈夫そ?」

「多分違うと思うよー」

「そ、それじゃあ、あーしらとエンカしてぴえんぱおんとか――」

「あー駄目駄目、お姉さんじゃあ話にならないよ」


 軽薄な言葉の応酬は無意味と判断し、モグオムは一方的に会話を終わらせる。

 年上相手に、しかも椅子間いすま地区で名の知れた自分達をないがしろにするとは。リーダー格の血管は破裂寸前だ。奥歯もギリギリ怒りをすり潰すように鳴っている。


「このショタピ、わからせちゃおっか」

「「りょっ!」」


 指示を受けた手下ふたりは、モグオムを玩具にしようと飛びかかる。

 不良ギャルに絡まれる男児の図。Mマゾ属性持ちのおねショタファンなら垂涎物すいぜんもののシチュエーションだろう。

 だが、現実は厳しい。

 モグオムは表情ひとつ変えずに腕を一振り。それだけで、手下のふたりは地面にはたき落とされた。


「やーっぱりだ。お姉さん達みたいなのって、昔っから変わらないね」


 道路の上に転がるふたりを見下ろして、モグオムは以前目覚めた時代を回顧する。あの頃にも似たような若い女性達がいた。略した言葉を操りいたいけな男児をもてあそぼうとした人達。もちろん蹴散らしてディープワンの素材にした。懐かしい思い出だ。


「キャハハッ、今度も僕の役に立ってよ」


 モグオムの目が、獲物を狙う獣のそれに変わる。食い物にしようとした相手が、今や牙をいた猛獣だ。見た目はマンモスでも本性は凶暴そのものである。


「「ひ、ひぃ~っ」」


 恐ろしさを肌で感じた手下ふたりは一目散に逃げていく。


「あーしを置いて秒リムるとかマ!? いつメンなの――ぐぶっ!?」


 一足遅れたリーダー格の女は後頭部を踏みつけられ、哀れにもアスファルトとキスをするハメになる。


「待ってよお姉さん、“わからせ”るんでしょ?」


 モグオムの笑顔が悪意でねじ曲がっていく。

 遊びの時間は終了、ここからは本来の役目を遂行するのみ。


「や、やだやだやだっ!?」

「あーもう、うるさいなぁ」


 ジタバタ抵抗する女が煩わしいので、モグオムはさっさとインクをぶちまける。

 セピア色のそれは、ゾスの眷属の証たるヘドロンボトル。怪人を生み出す災厄の種子だ。


顕現けんげんしちゃえ、深き者ディープワン!」


 モグオムの声に応じてインクは活性化し、あっという間に女を取り込んでしまう。その様子はまるでミミズの海に沈み込んでいくかのよう。

 グロテスクなインクより誕生したのは触手まみれの怪人。両手に装着されるのは落書き用のスプレー缶だ。素体となった者の悪意を見事に反映している。


「キャハハッ、思いっきり暴れちゃおうね!」


 怪人の進撃を目の当たりにして、事なかれ主義の椅子間いすま地区住民もさすがに即通報。薄暗い街は避難する人達で騒然となるのだった。

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