8
7月になっていよいよ制服がびしょびしょになる朝が続くようになったある日、学校に行くと、希乃が休みだった。 先生も無断欠席だと腹立たしそうに首をかしげるし、周りに聞いてみても、「わかんない」らしい。
「なんだかいつもより下半身が寂しいんじゃありませんの?」
愛生もそう言っている。こいつはこんな感じでしか喋れないのか?
いつもと違う点がもう一個ある。
あぐりがいつもより積極的なのだ。
「茉奈ちゃん、茉奈ちゃん」
「あぐり、どうしたの?」
「えへへ……なんでもないよぉ~」
顔はすごくいいのだが、正直彼女の行動は日に日にエスカレートしていた。最近では隣の席ということもあってずっとちょっかいをかけられるので、なんだか疲れてきたし、他の3人からも多少手を抜くように言われているのを見た。ちょっと問題児かもしれないな、を意味する溜め息が糸を引いて教室の端まで伸びた。
事件は昼休みに起こった。
私が弁当を食べようと蓋を開くと、智絵里と愛生が隣に寄ってきた。
「ごきげんよう、村木さん、戸倉さん」
「はぁ、4時間目なのに疲れたよお」
「はいはい、今日も可愛いね」
「イェーイ茉奈、ありがとうございますぅ!」
「じゃなくてさ……」
私は弁当箱から卵焼きを取り出して口に放り込んだ。
「茉奈、なんか最近構ってくれなくない?揉ませてよ」
「いやあ、そうかな?」
「そういえば、そうですわね」
愛生も話に入ってくる。
「ほら、ここ数日、水谷さんと2人きりの時間が多い気がしますの」
「隣の席だから……かな?」
恐る恐る思っていたことを提示する。2人の、あー、そうかもね、みたいな顔と首肯を確認する。
「放課後、お時間よろしいかしら?久々に……♡」
「あぁ、はいはい。その代わり数学教えて」
「お安い御用ですっ♡」
いつもの会話。同時に、少し気掛かりな言葉を聞いた。
「あぐりってさ、なんか私たちにも当たり強くない?」
「まあ、……言われてみればそうですわね……前に比べると、少し」
「なんか、茉奈の話すると怒るんだよね」
「怒るというか、……戸倉さんのことを過剰に受け止めている感じがするんですの」
過剰に……?
「そうかなぁ?愛生ちゃん、私怒ってないよ」
あぐりがやんわり否定する。
「って、あぐり!?」
「い、いつからいたんですか」
愛生も少し動揺しているらしく、身体を横に逸らしている。胸が大きすぎてかえって椅子の背もたれにしがみつくあぐりの腕にぎゅむぅっと押し付けられているけど。
「ついさっきだよぉ。それより、みんなで集まって何してるのぉ?」
彼女は机に手を置いて、私の顔を覗き込んでくる。なんだか舌っ足らずな言葉遣いが気になる。
「いえ、別に何も……」
「ご飯食べてるだけだよ」
「そうそう、茉奈ちゃん、これ読んで」
彼女が差し出してきた手紙を受け取る。
『茉奈ちゃんへ』
「えぇっと、これは……?」
「ラブレター!」
智絵里と愛生がお茶を吹き出し、咽せたようにえずく。漫画みたいな反応。
「もう、水谷さん、戸倉さんはみんなのものですよ、」
「いいからいいからっ、でね、放課後来てほしいんだ、例の空き教室」
前のめりになるあぐり。こんな彼女は見たことがない。水谷さん、だった頃は、まさかこんなに積極的な人だとは思わなかった。
「今日の放課後はもう先約が……」
「いいじゃんかよ!前からいちゃついてたんだったら少しぐらい分けてよねッ!」
あぐりが愛生の肩を強く押す。そのまま椅子ごと倒れる愛生。卸し立てみたいな綺麗な制服は埃まみれになってしまった。
「ちょっと、あぐり……!」
「いえ、いいんですの、私のことは」
愛生は育ちがいいためか、怒りの表情は見せない。
「大丈夫?愛生」
「ええ、平気ですわ」
「あぐり、なんで突き飛ばしたの?」
「……だって、……私の方に来てほしくて」
どんどん、彼女のイメージが変わっていく。おとなしくて勉強熱心な少女の面影はもはや無く、ただのわがままな子供だ。
「あの、……ごめんなさい。お昼休み、もう終わりますね」
「あぁ……うん」
私は自分の弁当箱を片付ける。
「じゃあまたあとで。あぐり、放課後、話は聞いてあげるから、とにかく謝って」
「うん……ごめんなさい」
愛生は素直に頭を下げる彼女に丁寧なお辞儀で返すと、立ち上がって先に教室から出て行った。
放課後、あの校舎裏、あの時呼び出された場所で。
「あぐりはさ、どうしたいの?」
「どうって?」
声が出た。すぐに返事が返ってくる。
「私を、どうしたいの?」
「正直に言うね。みんな邪魔なの、……私のものにしたい」
邪魔。なんて鋭くて、恐ろしい言葉。
「だから、ね?茉奈ちゃんも協力してくれない?」
「協力?何を?」
「茉奈ちゃんも、私のこと、ちゃんと見て」
「……どういう意味?」
「そのままの意味だよぉ」
あぐりが腕を絡めてくる。
「……ごめん、そういう気分じゃない」
私はそれを振り払った。
「どうして?」
「友達だから。愛生も智絵里も希乃も、それは同じ。でも、そこを踏み越えようとするのは、……違うと思う」
「……」
「みんなどうしようもなく変態だけど、友達なんだよ。それなのに、あぐりだけがその枠から外れようとしてる」
そこまで言って気づいた。目が。目がいつもと違う。
「茉奈ちゃんの気持ちは嬉しいよ?でも、茉奈ちゃんには私のことだけを見て欲しいの。みんなに優しくしてる、茉奈ちゃん」
声はいつも通り。眼鏡の奥の曇った瞳だけが、ただただ私を刺す。
「……やめて」
「茉奈ちゃん、茉奈ちゃんが好きなの」
「……やめてよ!!」
私は思わず怒鳴ってしまった。彼女はビクッとしたけど、それでもまだ微笑み続けている。
「もういいよ、……わかったから」
「わかってくれた?」
「うん、よくわかったよ、茉奈。こうするべきなんでしょ」
突然ゆらりとこちらへ向かってくる。嫌な感覚が巻き上がってきて視界がぐらつく。どんどん近づいてくる。あぐり、あぐり、あぐり、膝上、上半身、胸、顔、髪、顔、唇、目、目、目。
瞬間、唇に何かがぶつかった。柔らかさと暖かさを感じる。そして、彼女の匂いがした。
「んぅ!?」
彼女は私の後頭部を抑えて、さらに強く押し付けてきた。抵抗できない。舌が入ってきて、口の中を蹂躙される。呼吸ができない。苦しい。身体が動かない。
「他の3人の話、してんじゃねえよ。大好きなんだもん、」
ようやく解放されたと思ったら、今度は首を絞められる。力が入らない。息が、できない。
「愛生ちゃんのことも、智絵里ちゃんのことも、希乃ちゃんのことも、……私のことも好き。それでもいいのかもしれない。でも、私にとっては、……3人が、とかじゃなくて、今までずっと想ってたんだよ、茉奈ちゃんは4人に平等に優しくするつもりなのかもしれないけど、私は違うの。茉奈ちゃんが特別なの。特別。ねえ、……私がダメなの、なんで?なんでなのかな」
目、あぐりの、その奥が。目の奥が、割れるように、砕けるように、深い深い破壊の色でビシャビシャに塗りたくられている。
「ねぇ、茉奈ちゃん。教えてよ」
「……あぐ、りぃ……」
「……ふふ、こんなシチュエーションで見せつけるのは、すごくドキドキするよ」
スカートを捲る。あぐりの白黒のそれが目に入る。
「……」
「ほら、茉奈ちゃん。どう?」
怖い。
怖い。
思わず目を閉じた。
「見ろよ」
恐ろしい声が飛んできたと共に、涙袋のあたりをぎゅう、と親指で押される。
「ぅぅっ」
変な声が出た。目が開いてしまう。あぐりの目と合う。その目はもう笑っていなかった。
「私のこと、好き?」
「……最低」
頬に鋭い痛み。
「好き?」
……助けて。
そう思った時だった。
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